『ヤクルト・スワローズ詩集』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

梅雨寒の今朝は8時ちょっち前に起きた。涼しくてよう眠れるがな。

マイケル・フランクスのアルバム「アート・オブ・ティー」をレコードで聴いた。

朝食は北海道産ななつぼし米でご飯炊き、群馬産モロヘイヤを刻んで入れたおかめ納豆で二膳。デザートは山形産さくらんぼ。

「王女未央-BIOU-」第33話をギャオで見た。

牛乳飲みながら寝占友梨絵→田口理恵→さより→小和瀬さとみ→升本しのぶと、一度も生で聴いとらん歌い手をユーチューブで聴いた。

今日こそ遠出しよかと思うたが、またしても小雨降っとるんで昼食は馬道通り「ブラカリ」へ歩き、いつものパスタセットを頼んで、ゴルゴンゾーラ、胡桃、ラディッキョのクリームソース スパゲッティを選んだ。サラダとバゲットとフォカッチャにコーヒー付いて1296円也。

満足して店出て、スーパーで食料買うて帰宅。

牧山純子→里見紀子→寺井尚子と、これ迄ライブ聴いたジャズバイオリン奏者をユーチューブで聴いた。

ソフール プレーンを食い、大相撲中継をラジオで聴いた。

ニッポン放送聞き燕応援しつつの夕食はカナダ産豚肉、神奈川産南瓜、新潟産舞茸をタジン鍋で蒸し、ご飯食うた。デザートは南アフリカ産グレープフルーツ。

 

 

どうも怪しい。何がって、Nっぺに「日経新聞の「春秋」欄読んどる?先般の記事に春樹さんの『ヤクルト・スワローズ詩集』の事が出とった。その中に5百部を自費出版し、売れ残った2百部程は友人知人に配ったとあるんやが、お前様ももろたんやろか?」ちゅう質問を先週メールで送ったんやけど、トンと返事が来んのや。いつもなら一日以内に返事届くのにな。

「文学界」8月号に掲載された燕ファンクラブの名誉会員である村上春樹さんの短編『ヤクルト・スワローズ詩集』。ナンバー入りの5百部を自費出版したちゅう『ヤクルト・スワローズ詩集』は存在するんやろか?読んどる内にそない疑問が湧いたんで、春樹さんの国分寺時代の「ピーターキャット」の常連を任じとるNっぺに質問しましたんや。存在が事実だとしたら、今も賀状の遣り取りしとるちゅうNっぺはもらっとるやろと。

春樹さんが燕を応援するようになったんは上京してからで神宮球場へ応援に通うとるちゅうのは、読んだか聞いたかで知っとった。1968年サンケイアトムズからのファン春樹さんは書いとる。「テレビで野球中継を見るのはそれほど好きじゃない。テレビで試合を見ていると、いつも何かいちばん大事なものを見逃しているような気がする。」

けど、国分寺時代の「ピーターキャット」に3回、千駄ヶ谷時代の店には10回以上行っとるさかい春樹さんの顔は知っとるんやが、ワテは神宮球場で春樹さん見掛けた事はこれ迄一度も無い。出川哲朗は五回仲間と来とるのを内野スタンドで、周防正行もニ度内野スタンドで見掛けとるけど。

[1968年から77年にかけての十年間、僕は実に膨大な、(気持ちからすれば)ほとんど天文学的な数の負け試合を目撃し続けてきた。言い換えれば「今日もまた負けた」という世界のあり方に、自分の身体を徐々に慣らしていったわけだ。潜水夫が時間をかけて注意深く水圧に身体を慣らしていくみたいに。そう、人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ。そして人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。

「我々の与えられたそういうアドバンテージは、君らにはまず理解できまい!」、僕は満員の読売ジァイアンツ応援席に向かって、よくそう叫んだものだ(もちろん声には出さなかったけれど)。]

それ、よう理解出来まっせ。長く燕ファンやったらな。

でも違うところもあった。若い頃のワテはちゅうと、「寄らば大樹な虚人ファン」とか叫んでたから、彼等に食べたもんの空箱とか投げつけられとった。若気の至りや、思うてる。

載っとる詩の一つ「外野手のお尻」には笑うたわ。79年~81年のシーズンにスワローズ中堅手で俊足生かした守備したジョン・スコットの尻を美しいと書いとるが、実はワテも彼の美尻に見惚れとったからや。憧れの尻やった。

[なにはともあれ、世界中の野球場の中で、僕は神宮球場にいるのがいちばん好きだ。一塁側内野席か、あるいは右翼外野席。そこでいろんな音を聞き、いろんな匂いを嗅ぎ、空を見上げるのが好きだ。吹く風を肌に感じ、冷えたビールを飲み、まわりの人々を眺めるのが好きだ。チームが勝っていても負けていても、僕はそこで過ごす時間をこよなく愛する。

もちろん負けるよりは勝っていた方がずっといい。当たり前の話だ。でも試合の勝ち負けによって、時間の価値や重みが違ってくるわけではない。時間はあくまで同じ時間だ。一分は一分であり、一時間は一時間だ。僕らはなんといっても、それを大事に扱わなくてはならない。時間とうまく折り合いをつけ、できるだけ素敵な記憶をあとに残すこと―それが何より重要になる。]

それにしても、Nっぺからウンともスンとも何ら返事が来ぬのが気になるなあ。ひょっとしてNっぺは『ヤクルト・スワローズ詩集』を密かに隠し持っとってワテにねだられるのが嫌やさかい梨のつぶてなんか?それともその存在を全く知らぬのが恥ずかしゅうて連絡せんのやろか?JAZZ屋で会うたら追究せなならん。