神宮球場に通い続けて | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

今朝は6時にトイレに呼ばれ目覚めたが、二度寝して起きたの8時半や。

朝食はシリアルにヨーグルト。デザートは栃木産トマト3個。

「絢爛たる一族 ~華と乱~」第29話と第30話をギャオで見た。刺された阿月拉の身が心配や。

田中菜穂子→桑原あい→木住野佳子とピアニストをユーチューブで聴いた。

遠出しよかと思うたが、小雨降っとるんで昼食は「浅草みくも」へ。頼んだのはほっけ定食。サラダ、里芋の炊き合わせ、小鉢2つ、浅利の味噌汁が付き1100円也。

満足して店出て、スーパーで食料買うて、郵便局で金下ろし帰宅。

筋トレ30分し、グレープフルーツジュース飲みながら寺久保エレナ→マイケル・ブレッカーとサックス奏者をユーチューブで聴いた。

 

 

燕ファンクラブの名誉会員である春樹さんは、ここ2年ばかり神宮球場へ通ってないんやなかろうかと思うた。ごった返す神宮球場を知らんのやないのか?

なぜそない思うたかちゅうと、先般、図書館で目を通した日経新聞の「春秋」欄に「文学界」8月号に掲載された村上春樹さんの短編「ヤクルト・スワローズ詩集」の事が書かれとったんですわ。

それで早速、雑誌コーナーにある「文学界」を手に取り読んだ。そしたらワテの人生とも重なるところあって、周りには燕を応援する者など誰も居ない子供の頃の記憶が蘇り、読み終える頃には涙目になったがな。

春樹さんはサンケイアトムズからのファンやと書いとるが、ワテは遊撃手豊田泰光が西鉄からトレード入団したシーズンからの国鉄スワローズファンやからファン歴はワテの方が長い。そう、餓鬼の頃からの燕ファンやさかい、サンケイスワローズ→サンケイアトムズとコロコロと名称変更された時期も応援しとる。思えば、あれから長い歳月を経て来たが弱いチームを負けても負けても応援し続けるちゅうんは精神修養みたいなもんやからな。

そして、神宮球場へ通い始めたのは68年の春樹さんの方が早い。

ワテが神宮球場へ応援に通い出した時はヤクルトスワローズになっとって、大学一年生になり立ての晩春やったが、あの頃の外野スタンドの上の方は芝生でのんびりしたもんやった。観客が多くなかったさかい寝そべりながら観戦しとる人も少なくなかったがな。

ところで、「ヤクルト・スワローズ詩集」読んどる内に疑問が湧いたんや。

これ、エッセイなんか小説なんかどっちなんやろ?私小説?

5百部を自費出版したちゅう「ヤクルト・スワローズ詩集」は存在するんやろかちゅうのも疑問の一つや。

存在が事実だとして、3百部程は売れ、残ったのは友人知人に配ったとあるんやが、ワテの友人Nっぺももらっとるんやろか?ま、もろうとったら、ワテに自慢するやろからもらっとらんな。

もし、「ヤクルト・スワローズ詩集」が私小説なら、春樹さんが阪神タイガースファンの父親への反発もあって上京後に燕ファンになったのと同様に、ワテが国鉄スワローズファンになったんは国鉄の運転手なのに読売巨人軍ファンの父親に対する反発からなんや。

これ迄、神宮球場での一喜一憂は、最も少ないシーズンでも貧乏やった大学四年間のそれぞれ8回、最も多いシーズンは会社員時代の26回や。長きに亘り試合に通い続けとるが、その間、勝利のお立ち台へ上がった選手の晴れやかな姿も見て来た。片や、期待されドラフト入団した新人達の多くが一軍神宮球場でのプロの歩みをほとんど踏めずに球界から去るのも見て来た。

今シーズンは前半戦が終わったこの時点、ワテの神宮での応援は3勝11敗。まだまだ精神修養が続くんやろか?