岩内温泉「いわない高原ホテル」 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

今朝は7時半に起きてみると、木曜夜乗った電車の冷房にやられ風邪ひいとったが治った様子。十分な栄養と良質な睡眠の賜物やろか。

朝食は昨夜スーパーで半額やった天丼。デザートは山梨産プラム3個。

リッチー・コールのアルバム「ハリウッド・マッドネス」をレコードで聴いた。

洗濯し、「王女未央-BIOU-」第35話をギャオで見た。

牛乳飲みながら手嶌葵→平原綾香→サラ・オレインと歌をユーチューブで聴いた。

小雨降る中、久し振りに昼食は「グリル ビクトリヤ」に入りヒレしょうが焼きランチ。ライス、コーヒーが付き1100円也。相変わらず3年前亡くなった鳩山邦夫と一緒に撮った写真が飾られとった。

満足して店出て、スーパーで食料買うて、郵便局で払い込み忘れとって督促状届いた税金を払うた。

帰宅後、アーロン・パークス→ティグラン・ハマシアン→森下滋→海野雅威とピアノ演奏をユーチューブで聴いた。

ほな、岩内温泉へ泊った時の事を写しますわ。メモにアクセスが書き損じとるんやが、どないルートで行ったんやろ?

 

 

岩内温泉「いわない高原ホテル」に訪れたのは三十代後半や。季節は憶えとらんがメモ書きに「真烏賊がごっつ旨かった」と書いとるんやら初夏やろうか、それとも初秋?暑かった記憶も寒かった記憶も無いなあ。

岩内町は積丹半島の付け根にあるの町や。

「いわない高原ホテル」は岩内岳の山腹に立っとって鉄骨二階建て。敷地は2万坪やそうな。

その敷地内に荒井記念館ちゅうのがあってパブロ・ピカソの版画を展示しとるんや。ワテはそれ程ピカソには興味無いんでザッと観たが、点数かなり揃うとり、しかもまだ所蔵しとる作品が仰山ある云うのには驚いた。

大浴場は浴舎にあるんや。行ったらカラ松の丸太造りの風呂には誰も居らんかったんで、透明の湯が掛け流しの木枠の湯船に手足伸ばし浸った。ちょっち熱めやった。

程なくすると、筋肉質の若人が二人入って来た。仲のええ二人で湯船で道内の温泉談議し出したさかい、さりげなく近づいて話聞いとると、結構道内の温泉を巡っとる。

温泉好きとはええ嗜みやと親近感を抱いたわ。

小父さん仲間が三人入りに来たさかい、眼下に日本海を見下す露天風呂へ移動すると、そこに居ったの爺さんが一人だけで手足存分に伸ばし浸っとった。湯温はぬるめでワテにピッタリ。それで、仲のええ若人が移って来る迄また手足伸ばし日本海眺めながら浸っとったわ。

泉質は含食塩重曹泉。

部屋に戻り、ぼんやりテレビ見ながら風呂上がりのヱビスビール。3缶買うて来た1缶をグビグビ飲んだ。プハ~ッ。

夕食には追加料理を頼んどらんのに海の幸がいっぱい並んで豪華やった。刺身は勿論旨いが、真烏賊がごっつ旨かった。天麩羅も揚げたてで旨かった。頬張りつつ思うた。宿泊料からすると大いに満足や、と。

鱈腹食うて膨れた腹擦ってテレビ見ながらヱビスビールをまた1缶チビリチビリと飲んだ後、大浴場へ再び行った。丁度小父さん二人が出て行くところで、他には誰も居らんかった。

それで、烏賊釣り船やろ、窓越しに湾の幻想的な光の点々を眺めながらのんびりと浸っとったが、湯船にザンブリ入るでっぷり太った小父さんが来たんで上がったがな。

部屋に戻って、買うて初めの方を読んでその儘にしとった三島由紀夫「英霊の聲」を持参したさかい読んだ。二・二六事件の将校や神風特攻隊員の霊が霊媒師の青年に憑依し呪詛しよるんや。昭和天皇に「などてすめろぎはひととなりたまひし」と繰り返される。

ヱビスビールの残った1缶を飲んで寝た。

朝日に目覚めて起き、朝湯に行った。ワテが居る間は大浴場も露天風呂も誰も居らず誰も来ず貸し切り状態で、温泉を満喫したわ。

味噌汁や小鉢などに地元の旬を感じさせる朝食も旨かった。

コーヒー飲んでから部屋に戻って、チェックアウトの時間迄「英霊の聲」の続きを読んだ。霊媒師の青年が昭和天皇の顔に変わったちゅう最後やった。読み終えてみると著者が霊に憑依されとる如きな書きっぷりがごっつ面白かった。しかしながら、ワテは昭和天皇も時代のうねりに抗えなかっただけやと考えるから、大好きな小説家やけれど三島由紀夫の考えには到底付いて行けぬ。

チェックアウトの時間きっちりに宿を出た。積丹半島の新鮮な魚介類と煌々と灯る烏賊釣りの漁り火夜景が旅情を感じさせた宿やった、との印象を強うして。