温湯温泉「佐藤旅館」 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

昨夜はM君と青山一丁目で23時ちょっち前に別れ、歩き通し今日の1時ちょっち過ぎに帰宅。4時にトイレに呼ばれたが、今朝8時ちょっち過ぎに起きた。

風呂に小一時間浸り考えとった。河野太郎の外相は大丈夫やろか?野田聖子が総務相やったが、首相狙っていると云われる野田聖子が大臣受けたのは意外で、ワテは初め戦術の失敗ではないのかと考えとったが、野田がすぐに次の自民党総裁選に必ず出ると述べたの知ってなかなかやるなあと思うた。新自由主義者河野太郎も次の自民党総裁選に出まっせとアナウンスすべきやった。

朝食に茨城下妻市産こしひかり米でご飯炊き、くめ納豆、海苔で二膳。デザートは栃木産トマト。

スウィンギーなアントワン・エルヴィエのピアノ演奏をユーチューブで聴いた。

郵便局に寄り、スーパーで日用品調達し、昼食に西浅草「先斗」へ行って、いつも頼む鯖塩焼き定食を注文した。800円也。

帰宅後、一番涼しい所に寝そべり春樹さんの「騎士団長殺し」の続き読み出したんやが、いつの間にか眠ってしもて、目覚めたら16時過ぎとった。

 

 

20代、30代とよう温泉へ行っとって、入った温泉・鉱泉の数は四十路前に300に達した。

一人旅を頻繁にしとったからや。

しかしながら、今も年に一二度は友人と温泉旅行へ行っとるんやが、近年は一人旅する気持ちにならんので、一人で出掛けても行く土地に住んどる友人に再会する為であって、滅多に一人旅はせぬようになった。

また、30代迄は宿泊する旅に出ると、単独、誰かと一緒に行くにかかわらず備忘にメモを認めとっとったもんや。つまらん宿やった時は別としてな。

ただ、今からすると惜しい事やが、独りの際のメモには日付入れとらんので、訪れたんがいつなのかはっきりせんのですわ。

温湯温泉「佐藤旅館」へ泊った時も一人旅やった。ひっそりした山間の湯治宿や。多分、行ったのは30代前半の夏休みやと思う。

東北本線石越駅で栗原電鉄に乗り換え細倉駅で下車。村営バスに一時間乗り終点で降りた。

仙台藩の花山御番所の建物があって、門がいかめしい。秋田藩に対する関所やったんや。

細い道を入って行くと日本秘湯を守る会会員宿の「佐藤旅館」があった。

昔見た田舎の小学校の校舎のような外観した木造二階建ての宿は、建て増ししとってちょっとした迷路のようやが、客室に使うとるのは昭和初期の建築とかで、廊下や柱などしっかり手入れされ磨き込まれとり、黒光りしとって風情ありましたわ。

障子仕切りの部屋に荷物起き、タオル持って大浴場に行ったら、中には誰も居らんかった。

タイル張りに岩を積んで配した湯船の湯は無色透明や。

足入れると熱いやないかい。熱めどころやない。「どこが温湯なんじゃい!」と叫んでしもたわ。

ワテには向かぬなと体洗っただけで浴室出よとしたら、中肉中背の小父さんが入って来たんや。

小父さん、湯に入ったらどないな顔するやろと見とったら、事も無げに深い湯船に浸かるやないの!

「名前通りぬるいのかと思うたら、熱い湯でワテは入れませんでしたわ」と、小父さんに話し掛けてみたら、「そんなに熱いかね?」と首捻り、云い添えて「すぐ慣れるよ」と云うねん。湯治かと思い聞くと、小父さんはリピーターで今回も釣りに来たんやて。

泉質は弱食塩泉。

大広間に用意された山の幸料理は、家庭料理ぽいが手抜きなくつくられており、特に岩魚が旨かった。

湯がぬるかったらまた行くんやけどなあ。