『星とたんぽぽ』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

勤めとった会社の親しい仲間と温泉へ行く夢見た今朝は7時ちょっち過ぎに起きた。

風呂に小一時間浸り、映画でも本でも話題作に飛びつく人って話題作しか観たり読んだりせぬ人やと考えとった。

朝食に茨城下妻市産こしひかり米でご飯炊き、くめ納豆、海苔で二膳。デザートは山梨産桃。

スタン・ゲッツ&アストラッド・ジルベルトのアルバム「ゲッツ・ア・ゴー・ゴー」をCDで繰り返し聴いた。

筋トレを30分した。

「後宮の涙」第10話と第11話をギャオで見とったら正午になっとった。

昼食に裏浅草「うんすけ」へ行き、健康志向で一汁三菜ランチを頼み、ご飯は玄米。アイスコーヒーが付き1000円也。

スーパーで食糧調達して帰宅。

今朝夢に出て来た仲間と行った老神温泉「漏田本館」のメモ書き捜したが、見つからんかったんで、牛乳飲みつつネットでHちゃんと湯治に行く温泉どこにしよかと見とったが、気付いたら辺りが薄暗くなっとったがな。

夕食はタイ産鶏肉、茨城産南瓜、新潟産ぶなしめじをタジン鍋で蒸し、ご飯食うた。デザートはフィリピン産バナナ2本。

 

 

金子みすゞの代表作に『星とたんぽぽ』って詩があるが、家で最も涼しい部屋に行き昔書き残したメモを整理しとって、フト目に留まったメモを読んでたら、みすゞの詩が思い浮かびましたんや。

まずはメモ書きから。そして、みすゞのその詩を。

 

上野の国立西洋美術館にEみさんと居って、ふたりは芸術に向かい合ってた。

「Eみには見えるやろか?」

「見えないょ」

「己の目ん玉しか信じないちゅうのではあかんわ」

Eみさんは顔動かしながら云うた。「上から見ても下から見ても、斜め横からも、今S吉が見てる幻は見えないね」

「諦め早いなあ。上辺だけ見とっても駄目や。五感働かせな」

「五感の働きは、Eみの方がS吉よりいいけどねぇ」

「ほな、心で見てや」

「心に眼は無いね」

「たとえですわ。目の前に見えるもんだけで判断せずに」と云うたところで、Eみさんがワテの方に右手の平近付け遮り云うた。「S吉は顔にあるだけじゃなく、眼がいっぱいあるんだねぇ」

「そやなくて、自分に見えなて無くとも、他人には見える事ってあるやろ」

「幽霊みたいにぃ?」

「違うわ、怪しげな話をしたいんやない。その時には見えてなくとも、澄んだ心で見れば見えて来るちゅう事ですわ」

両手で自分の腕を抱いたEみさんは考えとる様子やったが、「そうだねぇ、孫悟空はお釈迦様に声を掛けられる迄、指が指に見えてなかったもんねぇ。あるある」云うねん。

「三蔵法師を守る猿に話は飛ぶんかい?大分飛んだわなあ」

「西遊記知ってるでしょ。孫悟空はお釈迦様の手の平に居るのに全然気付かなかったでしょ。お釈迦様の指として見えてなかったでしょ」

「お釈迦様の手がどれだけ大きいんかちゅう話や無くて」と云うて、その後の言葉は止めた。お前様には見えん事の中には大切な事あんねん。そう直截に云うてええもんかどうかちょっち考えましたんや。しっぺ返しくらうとあかんさかいな。

ところが、彼女は云うたんですわ。「世の中は孫悟空のような人とお釈迦様のような人に分かれてるんだょ。S吉は孫悟空だって自覚あるでしょ」

ワテはつらつら考え云うた。「いつもお前様に操られとるちゅう事?」

Eみさんがくすくす笑いながら云うた。「云ってないょ、そんな事。勘違いしてるなぁ」

「ワテにはEみの魂胆がくっきり見えますんや」

「見たいものしか見えて無いねぇ」

「ワテがEみの手の平で踊らされてる姿なぞ見たないわい」

「見えてる、見えてる」

Eみさんがそう云うて、手叩きながらはしゃいだんで、周りの目がワテ等に集まった。


 青いお空のそこふかく、
 海の小石のそのように、
 夜がくるまでしずんでる、
 昼のお星はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。

 

 

 見えぬものでもあるんだよ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 つよいその根はめにみえぬ。
 春がくるまでかくれてる、
 かわらのすきに、だァまって、
 ちってすがれたたんぽぽの、