『Blame It On My Youth』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

Eみさんと鰻食う夢見た今朝は8時に起きた。

風呂に小一時間浸り、日弁連が死刑廃止宣言採択したの怒っとった。死刑にせなならん害為す輩も居る。廃止に賛成した奴等、人間はごっつ偉いと考えとるんや。人間はそんな偉いもんやない。

腹立たしさ鎮めようと牛乳飲んだ。

朝食は茨城産コシヒカリのご飯を炊き、くめ納豆、紀州産梅干しで二膳。デザートは熊本産早生みかん3個。

リッチー・コールのアルバム「ハリウッド・マッドネス」をレコードで繰り返し聴いた。リッチー・コールの演奏は楽しいなあ。
浅草へ散歩に出たら、かっぱ橋道具街でかっぱ橋道具まつりやっとって賑わっとった。

昼食は裏浅草「とんかつ やまと」でカキフライ定食。味噌汁とワテ食えぬお新香が付き1000円也。
満足して店出て、スーパーでヨーグルト買うて帰宅。

バーブラ・リカ→ニッキィ・ヤノフスキー→イーデン・アトウッドの歌をユーチューブで聴いた。


ココア飲みながらちょっちハスキーな歌声イーデン・アトウッドの『Blame It On My Youth』を聴いとったが、この曲の邦題は「若気の至り」や。
若い頃の悔やんでも悔やみきれぬ事って誰しも己の指の数はあるやろ。その半分は失敗が付き物の恋でのもんやろなあ。恋は思案の外とは云われるけどな。
浅はかな己を自覚した頃には既にその恋は散りぢりの欠片となっとんねん。
でも、そうした悔やんでも悔やみきれぬもんを折に触れ考える事こそ、己の成長につながっとるといつしか分かってくんねん。

If I expected love when first we kissed,
Blame it on my youth.
If only just for you I did exist,
Blame it on my youth.
I believed in everything,
Like a child of three.
You meant more than anything,
All the world to me.

If you were on my mind both night and day,
Blame it on my youth.
If I forgot to eat and sleep and pray,
Blame it on my youth.
And if I cried a little bit when first I learned the truth,
Don’t blame it on my heart,
Blame it on my youth.

オスカー・レヴァントの作曲、エドワード・ヘイマンの作詞ですわ。
表現力豊かなエミリー・クレア・バーロウの歌には、「まだ若いんやから頑張りや」と声掛けとうなる。
晩年のボロボロになっとるチェット・ベイカーの歌聴くとしみじみとする。
多くの歌い手が歌うとるが、一人に絞り込むなら肺ガンで早逝したナット・キング・コールや。温かみある低音が心地ええ、歌唱の巧みさが心地ええねん。
では、時に素直に謝るの嫌がる御方が「若気の至りだったか」ちゅう言葉出した遣り取り、出て来た昔のメモ書きから起こしてみますな。

高く掲げた右手を振りながら約束時間に30分程遅れで姿現したEみさん、「こっちだったか」云うただけで悪びれるところがないねん。
そやから心配しながら待っとったワテ、ここは睨まなあかんなと、眉間険しく皺寄せて目凝らし黙っとった。
「怒ってるんだぁ」
ワテはおもむろに云うた。「それは理解しとるようやな」
「そうかぁ」
「そうか、やあらへん。まず云わなあかん言葉があるやろ」
「どんな言葉が聞きたい?」
「あのねえ・・」
「会えて嬉しい」
「その前の一言があるやろ。お前様の御免なさいはどこに隠れとるんや?」
すると、Eみさんは上を指差した。
「上から見とんのかい!」思わず声が高くなった。
「察しいいね~。物事判断の時には俯瞰するのが大事って、S吉よく云うでしょ」と微笑んだ。
「おちょくっとんかい。お前様のは上から目線やないかい」
「やだぁ、誤解してるねぇ。流石察しいいS吉だって誉めてるのに、S吉の云う通りにもしてるのにぃ。それなのに」
ワテは遮って云うた。「違うやろ。状況弁えとらんがな」
「そうかぁ、そうなのかぁ」と独り合点した様子のEみさん「安心して、S吉を責めてないょ」
{どうも怪しい、また小芝居始まったな}そない思うたんで強い口調で云うてみた。「当たり前や。出口間違ったのEみやろ」
「S吉が捜しに来ないの、責めてないって事だょ」
「アホ云いなさんな、何かの理由で電車の到着が遅れとると思うたんや。なのにとっくに着いとったとは」
「イライラしながら待ってた?それとも心配してたぁ?」
「15分経っても姿見えへんかったら、出口間違ったと思うて電話掛けな」
「それがねぇ、改札一ヵ所しか無いと勘違いしちゃったんだょ。ヘンだと思って駅員さんに聞いたら、もう一つあるって云われて焦ったょ」
「先週きっちり伝えたでえ。しっかり聞いてなかったんや?」
「誰にでもたまにある事さ」
「一般化で誤魔化すでない。今ワテはお前様の御免なさいの一言を求めとるんや」
すると、腕を絡ませ甘えた声出し囁くんや。「Eみはねぇ、S吉が寛容なの知ってるょ」
「そうや。デモストライキ、親しき中にも礼儀ありやろ。三つの子供やないんやから」
「心の中では三つ指ついて謝ってるのになぁ」
「見えんわ!」
「大声出さなくても・・見えればいいの、聞こえればいいの。大事なの心の問題でしょ。人のちっちゃな失敗に拘るのは、普段からその人を思い切り非難してやりたいって欲望あるからさ。精神修養が足りないねぇ」
「ワテは失敗を云うとるんやない。今日の態度は礼を失しとるとしか思えんわ」
「可笑しいなぁ、礼ってS吉好きじゃない儒教の教えでしょ」
「人間関係を円滑に出来るもんやったら、儒教でもブードゥー教でもええねん」
ゆっくり首振りながら「ローマの繁栄は寛容さがあったからだってよく云う人は、ちっちゃな失敗を陰気に咎める人だったぁ?心狭くなっちゃったの?寛容な人だって信じていたのに、Eみは悲しいょ。S吉と付き合ったの、若気の至りだったか」と芝居気出して云うEみさんに、「なんでそんな飛躍すんねん。ほんま建て付け悪い話や」とぼやくワテであった。