ジョン・コルトレーン『マイ・フェイヴァリット・シングス』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

シルバーウィーク最終日の秋分の日の今朝は7時に起き、昨夜スーパーで半額になっとったの買うて冷蔵庫に入れといた生姜焼き弁当をレンジ加熱して食うた。デザートは青森産トマト。
朝風呂に小一時間入り、首相安倍晋三が携帯電話料金引き下げの検討を高市早苗総務相に対して指示した事を考えとった。税金の引き下げの検討指示はせぬ分、儲かっとる民間企業を絞って介入して行き、その分で消費喚起図ろうちゅう訳や。消費税引き下げはせん。これがアンべ悪いノミクスなんや。
マリーナ・ショウのアルバム「マリーナ」をCDで聴いた。

筋トレ30分してから、昼飯に昨夜スーパーで半額になっとったお握り三個持って神宮球場へ歩いた。
Mちゃんと約束の11時半ちょっち前に着いたが、内外野席共売れ切れのアナウンスが繰り返されとった。外野自由席に入ってみると、二人並んで座れる席が無かったものの一人ずつ座れる席ならちらほら見られたんで、別れて腰下ろし燕軍を応援しましたわ。
相手先発投手が黒田博樹にもかかわらず終始優位に。快勝が間違いないと思われた時点で球場後にし、夜は妻と彼女の友人夫婦との飲み会が入ってるMちゃんと蛇の如き名前の洋風居酒屋で一時間飲んだがな。病み上がりのアルコールは沁みるがな。彼と別れ赤坂「B flat」へ歩いて、一人で聴いた。HJちゃんと一緒に聴く予定やったんやが、風邪ひいて体調崩してしもたんやて。

ライブ聴きながらキープしとるスコッチ、少しやなく飲んだ。旨かったんや。健康、有難し。
家迄歩き通そうと思うとったんやけど、左尻が痛うなり途中リタイア。東京駅で電車利用。
帰宅後、ラクビーワールドカップの経過が気になりネット立ち上げるも、ドンドン点をスコットランドに入れられる・・・


今夜はマーチン・ヤコブセン(sax), 納谷嘉彦(p), 本川悠平(b), マーク・テイラー(ds)のカルテット聴きに赤坂「B flat」へ行ったんや。
リーダーのマーチン・ヤコブセンが、今日はコルトレーンの誕生日と云うて、30人程居った客の多くが反応した。
ワテもコルトレーンが40才の若さで肝臓癌患い世を去ったのは知っとるが、今日が誕生日とは知らんかった。彼は秋分の日生まれやったんか。
ジョン・コルトレーンは最高のサックスフォン演者の一人。彼の残した業績を語るには、どれ程の時間を用意しなければならないのか?今でもほんま素晴らしいハード・バップからさえ旅立とうして、ジョンが身を削るようにして成し得た事は計り知れない。求道の人や。
ワテが初めてJAZZを聴いたの、ちゅうか意識したのは小学生の多分五年生の時にソニー・ロリンズのラジオで耳にした演奏で、それで興味覚えたんやが、好きになったのはジョン・コルトレーンや。小学生六年生の時、たまたま聞いとったラジオ番組にかかったのがジョンが奏でるソプラノサックスで『マイ・フェイヴァリット・シングス』でんがな。
聴いとる内、こりゃあ変態や!思うた。その時点では曲名も誰が演奏しとるのかも分からんかったんやが、その日一日どころか翌日も一週間後も耳に居着いて離れませんのや。ソプラノサックスで吹いとるのも分からんかったワテであったが、シビれたんや。脳内細胞に、その後日タイトル知る事となった『マイ・フェイヴァリット・シングス』が経巡り回り続けましたんや。
それからというもの、新聞のラジオ欄でジャズ番組があるの見つけるとよっぽどの理由がない限り番組聴く事にした位あの『マイ・フェイヴァリット・シングス』捜し求めとった。それ程はまりましてん。
そやから、JAZZを聴く機会が多くなり、馴染みもし耳も肥えて行ったんやが、そやさかい、周りの同学年の人々とは好みが違い過ぎやと強く意識し、一定の距離とって付き合うようになったんや。
実云うと、ジョンは『マイ・フェイヴァリット・シングス』数多くのアルバムに入れとるので、小学生六年生当時のワテが聴いた演奏がどのアルバムに収録されたもんなのかは分からん。ええ演奏がほとんどやから、それはもう気にする必要ないんやが、長年聴き比べて来たが、「セルフレスネス・フィーチャリング・マイ・フェイヴァリット・シングス」のが最高かなあ。「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」のもごっつええけど。
力強く縦横無尽に揺さぶる演奏、それがジョン・コルトレーンの真骨頂や。それが、我が身を包んでくれるように聴こえる。