『ノア 約束の舟』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

『ノア 約束の舟』☆☆+

今日は7時半に起きた。

米国産グレープフルーツを入れ、グレープフルーツ・パスタつくり食うた。デザートは山梨産プラム3個。
昨日、やっと体重66Kgになって嬉しかった。けど、鼻水は相変わらず出る。花粉症?今朝は66.1Kg。

ジェラルド・クレイトンのピアノ演奏をユーチューブで聴いた。
用事があり、新橋へ歩いて出掛けたが、何度も大きな道路での信号に掛かり思うたよりも時間とられ2時間弱で到着。
帰りは雨ゆえ電車で移動したがくしゃみ連発。

御徒町駅で降り、昼食は上野「ラ・サエッタ」に入り、ホエー豚バラ肉のズツキーニ、リコッタチーズ、きのこのジェノベーゼソースのパスタ・ランチを注文した。パンとサラダに玄米茶が付いて、1000円也に満足。

風呂に小一時間浸り考えとった。若人の会話を耳にすると語彙の貧困を痛切に思う。ワテ等の若い頃は背伸びして難しい言葉使い合うて喜んどったもんやが。
小雨なんで徒歩でM君と待ち合わせした新宿ミラノへ向かうも、途中東新宿駅辺りで大雨降り出したんでタリーズでアイスコーヒー飲みながら小降りになるの待った。
M君と映画を観、ビアレストランで食事し、店出ると小雨降っとったんで電車で帰宅するも、車内でくしゃみ連発。


今夜はM君と新宿ミラノでダーレン・アロノフスキー監督がノアの箱舟伝説に新たな解釈施しとる作品観て来た。

新たな解釈ちゅうてもワテ大学生の時に旧約聖書創世記読んどるんやけど、この作品観て大分原典と違うように思われたんやが、M君にどこがどう違うか問われると記憶あやふやで答えに窮したんですわ。
原題は『ノア』 で、約束の舟を描いたちゅうより創造主から選ばれた人間ノアの苦悩描いとった。
主人公のノアにはラッセル・クロウ。己の欲望に忠実で人間の力信ずるカインの子孫トバルカイン役にレイ・ウィンストン。妊娠出来ぬ身のはずがなぜか孕んでしもた養女イラ役にエマ・ワトソン。そうさせたノアの祖父にアンソニー・ホプキンス。妬み深い次男ハムがローガン・ラーマン。ノアの妻でラストで重要な言葉を彼に伝えるナームにジェニファー・コネリーや。
世の中、神のお告げを受けたと信ずる者も居れば、そないなもん気のせいや思い込みやちゅう者も居る。本人はええ事しとるつもりやが、気違いや。
正しく夢の中で世界が滅びるちゅう神のお告げを受けたと信ずるノアは、家族と共に堕天使の力借りて巨大な箱舟を造り、ノアは生命の多様性を絶やさぬようにと、この世の全ての種類の動物をひと番ひと番次々と箱舟に呼び寄せてゆくねん。これがワテに、多国籍企業目指す我が国の会社経営者が株主総会で言い募る流行りのダイバーシティ思い起こさせた。つまり、会社の社会的責任の話や。グローバル主義の経営者は会社ちゅう舟に有能で多くの利益もたらすなら米国人や英国人やインド人やロシア人や韓国人や中国人を入れたがるんやが、その分平均的能力の日本人が減らされるちゅうのにトンと意を用いぬやっちゃ。
そして、“神のお告げ”通りカイン一族との激しい戦闘のさなか全てを飲み込む津波の如き洪水になったが、舟は耐え得てノア達は難を逃れる。生き延びたんやけど、ノアはちゅうとイラが孕んだ事知り気違いとなるんや。創造主から託された使命をノアに打ち明けられた彼の家族は右往左往させられる。
なぜイラの妊娠が不味いとノアが思うたかちゅうと、彼にしたら人間は滅ぶべき種やからや!末息子で人類終わらせようとしとってん。
それが、彼が指名され完遂せねばならぬ使命やと思い込んどるねん。
ダーレン・アロノフスキーは、ノアを過激な環境保護原理主義者に描いとるだけやなく、ある意味、多国籍企業目指す我が国の会社の経営者の如く描いとんねん。穢れり劣ったと思うもんは滅びるべきもんなんや。そやさかい、カイン一族なんぞ乗せられるはずもないと。
ノアは種の最も有能なひと番生き残ればそれこそ良き世界が出来ると合理化するんや。
ストイックなノアは、己が一家が行く行く絶える事さえ選び、人間の業から世界を清浄にし新たな世界を創るのが己の負わされた使命と思い込んどるねん。恐ろしい開き直りやろ。ヒトラーより怖いわ。
そやから当然トバルカインは生き残る為、一族の長としてノアから箱舟を奪いに掛かる訳や。
戸田奈津子の字幕翻訳に誤訳があるのに気に掛かって仕方なかった。ノア達はGODやのうてCREATORと云うとるが、神としとる。M君は創造主やと日本人に分かり難いからや云うが、GODやと選良感が出ん。ノアは選良意識に目が眩んどるんやから、そこ肝やでえ。
この作品、スペクタクルもんとしては物足りんが心理もんとしては面白いがな。
ノアは洪水後には気違いやなく、葛藤する父となって酒煽っとる。観とる側にとって、ノアも人間やった、と救いがある。
ノアは気付かぬ。葛藤は堕天使にもあり、愛する妻ナームにも、宿敵トバルカインにも、不肖の息子ハムにも、そしてノアの更なる葛藤の種蒔いた祖父にもあるちゅう事を。
疑問湧いたのは、ワテの記憶によれば葛藤の苛立ちがハムへの怒りとして表れる泥酔後の場面が原典にはあった思うのやが、この作品ではそこが省かれとるのはどうしてか。それで物語が薄まっとると考えられるんやが。
ハムは父と袂を分かち一人旅立つんやが、それは父を殺そうとした悔いもあるんやろ。己が刺し殺したトバルカインにも共感するところある彼は今後どないな事為すんやろとつらつら考えたわ。
作品評価を☆☆か☆☆+で迷ったが、ナームに父として祖父として遣り直し出来るとノアが云われるラストがええんで☆☆+にした。
人間とは、業抱えとるが、遣り直し出来る動物や。