『雑煮』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

今週も火曜から痛み出し昨日迄頭痛続いておったんや。昨日は納豆ご飯の朝食食うたら頭痛が和らいできたんで10時に初職安訪問したでえ。受付の3階ではえろう待たされ、そこの小父ちゃんは役人ぽかったけど、2階の相談窓口の小母ちゃんは親切に応対してくれましたわ。その足で月曜~木曜迄しか営業しとらん千束「ねぎどん」へテコテコ歩いて行き食うた月見うどんと小カレー合わせて700円也に満足して帰宅したんや。
今朝は7時半に起きてチリ産トラウト、メキシコ産南瓜、熊本産トマト、山形産ぶなしめじで雑煮つくって食うて、牛乳も飲みながら昨日もろて来た雇用保険受給資格者のしおりとはじめてのハローワーク利用ガイドを読んどった。
10時半に散歩へ出掛けたんやが、それは入谷の天麩羅屋「大塚」に11時半の開店時間に入ろう思うとったからや。この店以前は土曜日も昼営業しとったんやけど、今は止めてもうた。それが、こちらもプータローになってランチ食えるようになったんや。頼んだのはてんぷら定食で、今日のネタではピーマンが旨かったわ。漬物と蜆の味噌汁に口直しのシャーベットが付いて940円にも満足。
帰宅後はグレープフルーツジュース飲みながらオスカー・ピーターソン・トリオ&ザ・シンガーズ・アンリミテッドのアルバム「イン・チューン」を聴いとった。

風呂に小一時間浸り、非正規労働者が増えれば増える程その分野の賃金が上がらなくなるの同様、移民を増やすと増えた分野に携わる人達の賃金が上がらなくなるの理解せず認めてまう人居るのが不思議やと考えとった。


今朝は残った切り餅で雑煮を拵えた。
{もう松の内も終わって十日経つんやなあ}、と思いながら食うたが、雑煮は烏賊にも蛸にも日本の正月らしい食い物や。育った土地柄や母親の味の嗜好がつくり手に表れるもんや。
ワテのつくる雑煮で御袋と似ているのは出汁だけで、入っとるもんはかなり違う。
今日も椀中のに入っとったのはトラウト、南瓜、トマト、ぶなしめじで、そのどれも御袋が雑煮に使う食材やない。けど、他人がそれらを食べ比べたら似とる味と云うかもしれん。
これまでで最も驚いた雑煮は、大学二年生からの友Mちゃんがつくってくれたもんや。
大学二年生の多分松の内にMちゃんの所に泊まった朝の事やった。
食う前迄ワテは、彼の六畳四畳半二間の住まいの四畳半の彼がベットルームと呼ぶ小奇麗に片付いた部屋でぐっすり眠っとって、叩き起こされたら彼がリビングルームと呼ぶJAZZのレコードアルバムが何枚も飾られた六畳間の炬燵の上に雑煮の丼が二つ湯気立てとった。
Mちゃんは誇らしげに云うた。「S吉、雑煮が出来たよ」
ワテは丼の中を覗き込んだ。出汁の色はワテの御袋がつくるのと変わらぬ濃さやった。食い盛りのワテはすぐ様頂きますをして、箸を丼に入れて驚いた。いろいろな具がひしめいとったんや。しかも、餅の大きさが小さく一口サイズなんやがそれが三つ。
豆腐、大根、蛸、ごぼう、竹輪、ちくわぶ、つみれ、と出汁から出てくよる具はおでんダネや。おでんに一口サイズの餅が三つ入ったもんやないかと思うたが、泊めてもろて朝飯まで振舞うてもろてるのに「これは雑煮や無い」とは云えぬ。一宿一飯の恩義を茶化してはあかん思うて、「お袋さまの味なの?」と聞いたら、彼は頷いたんや。
後でMちゃんに親しい人達に聞いてみたんやが、彼から雑煮を食べさせてもろたのはワテだけのようで、この話を共有出来る人は居ない。

ほな、北大路 魯山人の一文を載ますわ。

 季節にちなんで、お雑煮の話をしたいと思う。
 いったいお雑煮は、子供の時分から食べ慣れた故郷の地方色あるやり方が、いちばん趣味的で意義がある。
 主婦の心がけ次第で、第一日は地方色豊かなお国風雑煮、二日目からは東京風の贅沢な、賑わいのある楽しいもの、というようにすれば、家族に喜ばれること請け合いだ。
 かといって、強いてそうせねばならぬという理由はないのだから、各自の好みに任せてよい、とまずご承知おき願いたい。
 わたしの経験からいうと、雑煮の中を賑々しくするためには、にんじんとか、だいこん、いもなどを入れる方がよいだろう。いもなども、原形のままの方が野趣があっておもしろい。なにか変わった趣を添えたいような場合には、いもに角目を立てて削るのも悪くない。が、あまり細工をせずに作る方がよいと思う。
 だしは普通のかつおぶしだけでとるか、あるいは昆布だしにするのもよろしい。また、冬になると、焼きはぜなどよく贈られる家庭もあろうが、焼きはぜをだしに用いると、特殊の風味が出て楽しめる。
 さて、いちばん肝要なのは、餅の焼き方である。昔から狐色に焼くのを最上としておったようだが、ところどころ濃く、ところどころ狐色に丁度鼈甲の斑を思わせるように焼くのが理想的である。そして、餅の堅い、やわらかいの程度によって、火の加減をしないと、中身が堅いのに表面ばかり焦げたり、白くしなしなしてしまったりする。
 雑煮のコツは、餅の焼き方にあるといってよいと思う。また、不細工に大きな餅のはいっているのはおもしろくない。ことに朝から屠蘇機嫌でいるところへ大きいのを出すのは気が利かない。
 料理屋で出す小型マッチ箱ぐらいの大きさが、見た目の感じがよい。でも、客次第で餅の大きさも加減したらよい。若い者たちには多少体裁が不格好でも、大きいのを入れた方が歓迎されよう。出す相手と場合に応じて、それ相応のもてなしをすることは、単に雑煮だけにかぎらず、何事においても必須条件である。
 白味噌の雑煮なども、変わっていてうまいものである。それから、のりは良質のもの――焼きのりでもよい――を、細か揉んでかける。四角に切ったのを、一枚のせたりするのは感心しない。
 しかし、のりというものは、なかなかむずかしく、焼き方にコツがある。
 現に、京阪などでは、生で使っている。それは別として、うまく焼けたものは、たいへんうまいものである。
 京阪のような大都会でさえ、のりの焼き方を知らないのであるから、いわんや地方ではいうをまたない。東京といっても、地方の人が大部分で、存分なのりの焼き方のできるひとは稀なことであろう。百円ののりを五十円ぐらいに下落させて食べているのが大部分である。
 要するに、雑煮はあり合わせで、見つくろって出せばよいのだ、ということを会得していただければ結構なのである。