『納豆の茶漬け』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

今朝は8時ちょっち前に目覚めると、くしゃみ3連発。微熱ありそうやったが測らず。

小一時間風呂に浸り、労働者派遣法を何とかせなデフレ終わらんと考えとった。米国ベッタリな小泉純一郎内閣の時、更に改悪されとるからな。
茨城県下妻市産こしひかりでご飯炊き、くめ納豆と海苔で二膳食うた。デザートはニュージーランド産キウイ2個。
Nっぺ、CHIちゃんに一昨日ご馳走になった御礼の葉書認め、それからトイレ掃除したわ。
豆乳飲みながら三筋迄散歩に行き投函。「天婦羅みやこし」に入ろうかと迷うも素通り。
結局、昼食は帰宅してからで、ブラジル産鶏肉、北海道産じゃが芋、千葉産人参をタジン鍋で蒸し、ご飯二膳食うた。デザートは青森産りんご。
炬燵に入っとったらいつの間にか眠ってしもて、目が覚めたら17時で暗かった。
友人達にメールしてから、夕食にしてカナダ産豚肉、千葉産人参、長野産ぶなしめじを炒め、ご飯と食うた。
牛乳飲みながら大西順子のCD「ピアノ・クインテット・スイート」を聴いとった。


自然のなした芸術であり庶民の味方のお話や。
北大路魯山人「魯山人味道」からの一文を載せる。

 納豆の茶漬けは意想外に美味いものである。しかも、ほとんど人の知らないところである。食通間といえども、これを知る人は意外に少ない。と言って、私の発明したものではないが、世上これを知らないのはふしぎである。
  納豆の拵え方
 ここでいう納豆の拵え方とは、ねり方のことである。このねり方がまずいと、納豆の味が出ない。納豆を器に出して、それになにも加えないで、そのまま、二本の箸でよくねりまぜる。そうすると、納豆の糸が多くなる。蓮から出る糸のようなものがふえて来て、かたくて練りにくくなって来る。この糸を出せば出すほど納豆は美味くなるのであるから、不精をしないで、また手間を惜しまず、極力ねりかえすべきである。
 かたく練り上げたら、醤油を数滴落としてまた練るのである。また醤油数滴を落として練る。要するにほんの少しずつ醤油をかけては、ねることを繰り返し、糸のすがたがなくなってどろどろになった納豆に、辛子を入れてよく攪拌する。この時、好みによって薬味(ねぎのみじん切り)を少量混和すると、一段と味が強くなって美味い。茶漬けであってもなくても、納豆はこうして食べるべきものである。
 最初から醤油を入れてねるようなやり方は、下手なやり方である。納豆食いで通がる人は、醤油の代りに生塩を用いる。納豆に塩を用いるのは、さっぱりして確かに好ましいものである。しかし、一般にはふつうの醤油を入れる方が無難なものが出来上がるであろう。
  お茶潰けのやり方
 そこで以上のように出来上がったものを、まぐろの茶漬けなどと同様に、茶碗に飯を少量盛った上へ、適当にのせる。納豆の場合は、とりわけ熱飯がよい。煎茶をかけ、納豆に混和した醤油で塩加減が足りなければ、飯の上に醤油を数滴たらすのもいい。最初から納豆の茶漬けのためにねる時は、はじめから醤油を余計まぜた方がいい。元来、いい味わいを持つ納豆に対して、化学調味料を加えたりするのは好ましいやり方ではない。そうして飯の中に入れる納豆の量は、飯の四分の一程度がもっとも美味しい。納豆は少なきに過ぎては味がわるく、多きに過ぎては口の中でうるさくて食べにくい。
 これはたやすいやり方で、簡単にできるものである。早速、秋の好ましいたべものとして、口福を満たさるべきではなかろうか。
  納豆のよしあし 
 納豆には美味いものと不味いものとある。不味いのは、ねっても糸をひかないで、ざくざくとしている。それは納豆として充分に発酵していない未熟な品である。糸をひかずに豆がざくざくぽくぽくしている。充分にかもされている納豆は、豆の質がこまかく、豆がねちねちしていないものは、手をいかに下すとも救い難いものである。だから、糸をひかない納豆は食べられない。一番美味いのは、仙台、水戸などの小粒の納豆である。神田で有名な大粒の納豆も美味い。しかし、昔のように美味くなくなったのは遺憾である。豆が多くて、素人目にはよい納豆にはなっているが。

先週の金曜夜EI君に云われたんやが、その昔大学生の頃ワテの三角形の部屋に遊びに行った時、よう納豆の茶漬けを食べさせられたんやて。「高が納豆の茶漬けなのに、毎度いろいろ講釈しながらつくってた」云う。「はっきり憶えてはいないが、生姜は必ず入れてた。それに大根下ろし入れたり茗荷入れたりオクラ入れたりバリエーションはあった」云うんや。
「肉食い過ぎて病気になったから肉断ちしてる。そう云って、一度ずつしか豚肉も鶏肉も出してくれた事が無かった」とも云うねん。

彼が来たらよう肉を振舞っとったんで云うた。「確かにワテ東京に出て来て独り暮らしになってから肉だけしか食わず病気になってしもて暫く通院しとったけど、その前には随分肉食わせたやろ。一度ずつだけやないはずや」

「健康気遣って納豆を食べ出す前には豚肉ばかりだったが、肉断ち後の話だ。兎に角、S吉は極端過ぎる」
その翌土曜日にNっぺから云われたのは、一緒に秩父に札所巡りに行った時の事。ワテが昼食に持参したのがフツーの食パンに納豆はさんだけのもんやった云うねん。
それ、もう何度聞かされた話か。でもな、その度に反論しとるんやが、それはNっぺの観察不足で、食パンには薄くバターが塗られ納豆の他に紫蘇の葉が入っておったんや。ちょっち工夫されとんねん。
つまり、納豆食う。納得の話でんがな。
ワテの定番メニューは、大学時代の後半から何と云うても納豆料理やったんや。健康の為な。勿論今も欠かせぬ定番食材でんがな。
つやつや輝くご飯と旨い納豆があれば、日本の朝のおもてなしや。