選択肢Aを選べ | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日3月24日は、2016年、TSUTAYA O-EAST でもウェンブリーアリーナ公演のライブ・ビューイングが実施されると発表された日DEATH。

■武漢ウイルス関連データ
●累計
・感染国 196か国・地域 うち1000人以上25か国、うち100人以上80か国
・世界 感染確認者332,930人/死者14,510人
・日本 感染確認者1,140人(196か国中23位)/死者44人(196か国中14位)
●10万人当たり
・世界 感染確認者4.32人/死者0.188人
・日本 感染確認者0.90人(80か国中64位)/死者0.035人(80か国中38位)
●現在治療中(感染確認者-回復者-死者)
・世界223,133人 日本811人(196か国中23位)
出典: Wikipedia「新型コロナウイルスの国・地域別感染者数」、WHO「Situation Report」、厚労省「新型コロナウイルス感染症の現在の状況について」

 



ダニエル・カーネマンがエイモス・トベルスキーとともにノーベル経済賞を受賞したのは、行動経済学の意思決定理論である「プロスペクト理論」を提唱したことによる。
この理論は、単純に言えば、人間は不確実な2つの選択肢があるとき、「リスクがゼロになる」方を選びがちだということである。
カーネマンは次のような心理実験を行った。

質問1 あなたは次のどちらを選びますか。
(A)100万円が無条件でもらえる。
(B)コインを投げ、表が出たら200万円がもらえるが、裏が出たら何ももらえない。

この実験では、ほとんどの人が(A)を選ぶ。たぶん、あなたもそうだろう。

質問2 あなたは200万円の借金を抱えているものとする。あなたは次のどちらを選びますか。
(A)無条件で借金が100万円減額され、残りの借金額が100万円となる。
(B)コインを投げ、表が出たら借金が全額免除されるが、裏が出たら借金の総額は変わらない。

この質問でも、確実なのは(A)の方だ。
ところが、質問1で(A)を選んだ人のほとんどが(B)を選ぶのだという。質問1で(B)を選んだギャンブル好きの人も、もちろん(B)を選ぶ。
なぜだろう。
質問2の(A)では、100万円の借金という「リスク」は必ず残る。(B)ならば50%の確率で200万円の借金=「リスク」はチャラになる。
「利益」なら人間は確実性を選ぶ。だが、「リスク」がかかっている場合、人間は確実性よりも「リスクがゼロになる可能性の多い方」を選んでしまうのだ。プロスペクト理論ではこれを「損失回避性」という。
これは論理よりも「危険!」という感情を優先する人間の直観=「システム1」の仕業である。
「システム2」を起動して、冷静に考えてみよう。
質問1では、もともと100万円は持っていない。ダメ元で(B)を選び200万円ゲットできたら最高だし、外れても元のままだ。ワクワクする分だけ楽しいじゃないか?
質問2では、すでに200万円の借金を抱えているのだから、確実に100万円減額してもらえる(A)を選んだ方がよくないか?
質問1の方は、確実に100万円もらえるのだから、何も考えずに(A)を選んでも間違いではない。
だが、質問2は50%の確率で200万円の借金が残ってしまう(B)より、100%半額になる(A)を選ぶ方が堅実だ。なのに50%の確率で借金がチャラになる誘惑に負けてしまう人の方が多い。
つまり、人間は「リスク」を考えると間違いやすいのだ。
この理論がノーベル経済学賞を受賞したのは、株式投資家の心理を解明したからだ。
株式は買うのは易しいが、売るのは難しい。ぼくも経験があるが、「利益確定売り」は比較的決断しやすいが、「損切り」の決断は難しい。様子見しているうちにタイミングを逸してズルズル株価が下がり、大損するのはよくあることだ。これはその株式がやがて値上がりして、損失がゼロになることを期待するギャンブル=質問2の選択肢(B)の心理そのものではないか。
ぼくは競馬もパチンコもやらないが、負けているとそれを取り戻そうとしてドロ沼にハマってしまうという話はよく聞く。これも「損失回避性」のなせる業だろう。
ここからはぼくの考察である。
人類の歴史上、「システム1」=「魂の叫び」どおり、リスクをゼロにしようとして(B)を選ぶ人より、「システム2」を使って考えた末、リスクを許容して(A)を選ぶ人の方が、結局は、しぶとく生き残ってきたのではないか。
例えば、こんなことだ。

平和で豊かな平原に住んでいたところに、狼が出没するようになり、住人が食い殺されるという事態になった。
あるグループの人々は、狼の来ない高い岩山に移動することにした。だが、岩山は食物が少なく、暮らしていくのは大変だった。
住人の何人かが狼に食い殺されるリスクはあるにしても、被害を最小限にとどめる工夫をした上で、それを社会的に許容しようと決断した人々のグループもいた。彼らはとりあえず柵を作り、夜はかがり火をたき、昼は柵の外には一人で出歩かないように注意しながら、平原に住み続けた。
どちらが繁栄しただろうか。
岩山に住んだ人々は狼に脅かされることはないが、食物が乏しいので多くの子孫を残せない。
一方、平原に残った人々は、狼の脅威にさらされながらも、豊かな収穫を享受し続けたので、子孫を多く残せた。
住民が増え、余剰食物があれば、生産に従事せず、狼の習性研究に専念する学者や、狼と戦うことに特化した軍団も養成できる。やがて柵は堅固な城壁となり、都市が生まれ、城内で狼に襲われるリスクはほとんどなくなった。
仲間が狼に食い殺されるリスクを許容しようなんて、一見非情に見えるが、実はその方が長期的に見れば正しい選択だったのだ。
武漢ウイルス禍は、「収束」に焦点が移ってきた。
最大の問題は、感染拡大のリスクと、経済活動再開のバランスをどうとるかである。
連休明け、次のようなトピックスが日本中を駆け巡った。

BABYMETALにもなじみ深いさいたまスーパーアリーナで、K-1大会が行われたことの是非。
厚労省が大阪府と兵庫県で連休中の「移動自粛」を要請していたことの是非。
快晴で気温も上がった連休中、日本各地で花見に出かける人々が多かったことの是非。
東京オリンピックについて、IOCのバッハ会長が「中止はしないが、計画通りか、延期するか、4週間で検討する」という方針を出したこと。それに関する組織委員会の森喜朗会長の記者会見で、事務総長が26日の聖火リレー福島グランドスタートは予定通り実施するが形態を考慮すると明言したことの是非。


それもこれも、すべてこのウイルスの脅威をどう考えるかにかかっている。
一斉休校および外出・集会自粛期間の家計支援や経済対策の規模や額がホットな話題になっているが、ぼくの考えでは、それは本質的な問題ではない。自粛が解除され、経済がV字回復すれば、少なくとも「コロナ支援」は不要になるからだ。

消費増税の影響は、武漢ウイルス流行前から出ていたから、対策は必要なのかもしれないが、日本経済の抜本的な問題は、財政規律かリフレかではなく、果敢にイノベーションに挑む企業や個人に対する国家的支援があまりに少ないことだというのがぼくの持論だ。まあ、この際そんなのは後回しでいい。
どのような状態を「収束」とするのか。
100%安全になるまで渡航制限や外出・集会自粛を続けて、経済活動を停滞させたままにするというのが、質問2の選択肢(B)だ。
ある程度のリスクを社会的に許容して、経済活動を再開させるという決断が選択肢(A)だ。
感情モードである「システム1」は「リスクゼロ」になる前者=(B)を選びたがるだろう。
論理モードである「システム2」は、リスクを組み込んだ後者=(A)を選ぶだろう。
人類史が証明する正解は(A)だ。
問題は、頭のいい高学歴エリートであるはずのマスコミのみなさんが、悲しいほど「システム1」=感情に依存しているということなんだよね。