―May the FOXGOD be with You―
★今日のベビメタ
本日10月7日は、2013年、ニッポン放送「BABYMETALのオールナイトニッポン」が放送され、YUIちゃんの「寝てんじゃねえ、豚野郎ォォォ!」という叫びが深夜の日本列島に響き渡り、2015年にはWorld Tour 2015 in Japan@名古屋Zepp Nagoya(初日)が行われ、同日NTV「NEWS ZERO」でBABYMETALが報道された日DEATH。
伏見稲荷を創建した秦氏が、遠く中東から中央アジアを経て日本にたどり着いたユダヤ人集団であるという説は広く流布され、様々な本で「証拠」が挙げられている。
現在最も入手しやすいと思われる『秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説』(坂東誠著、PHP文庫)から、いくつか抜き出して列挙してみる。
まずは、日本の神道とユダヤ教の類似点から。
・秘伝を記した巻物のことを日本語で「虎の巻」というが、日本に虎はいない。これは旧約聖書の「モーゼ五書」のヘブライ語「トラー」のことではないか。(ヘブライ大学ベン=アミー・シロニー教授)
・伊勢神宮の参道の灯篭には、ユダヤのシンボルである六芒星=ダビデの星が刻まれている。
・日本の神社の構造は、旧約聖書「出エジプト記」26~27章にある「会見の幕屋」とそっくりである。「会見の幕屋」には、一般人は中に入れず、祭司だけが入れる「聖所」と、そこから階段で少し上に登った奥に、最高位の大祭司が年一度だけ入れる「至聖所」があり、そこに「契約の箱」が置かれ、中に「十戒の石板」「黄金の壺」「アロンの杖」の三種の神器が安置されていた。日本の神社も手前に「拝殿」があり、そこから階段を登った奥に「本殿」がある。一般人は「拝殿」の前で拝み、「本殿」には入れない。伊勢神宮内宮の「本殿」には三種の神器が置かれ、一般的に、神社の本殿には「神輿」が安置されている。
・神社の入り口には「鳥居」としめ縄があるが、エルサレムの神殿の入り口にも青銅製の2本の柱が立ち、縄が巻かれていた。その柱をパレスチナ地方の共通語だったアラム語で「トリィ」と言った。
・神社の入り口近くには手水舎があるが、エルサレムの神殿の前にも水盤があって口と手を清めていた。また、エルサレムの神殿の前には献金箱があったが、これも神社の拝殿前のさい銭箱と同じである。
・旧約聖書には「(ソロモン王の)王座には六つの段があり、王座の背もたれの上部は丸かった。また、座席の両側には肘掛けがあり、その脇に二頭の獅子が立っていた。六つの段の左右にも十二頭の獅子が立っていた。」(「列王記上」10章19-20)という記述がある。これは日本の神社の「狛犬」のことである。そういえば大きな神社では、狛犬は一対だけではなく、拝殿までずらりと並んでいる。
・旧約聖書に書かれた「契約の箱」のサイズは、日本の神社の「神輿」と同じで、箱の四隅の輪に棒を通して担ぐようになっていた。「契約の箱」の屋根には羽の生えた天使「ケルビム」がついていたが、それは「神輿」の鳳凰と同じである。祇園祭の「神輿洗い」は、ユダヤ人が「契約の箱」を担いでヨルダン川を渡った故事に基づいている。
・ユダヤ教の祭司は白い亜麻布の式服を着ていたが、それは日本の神主が着る白い亜麻布の羽織袴と全く同じ形状で、袖などにひもが垂れているのも同じである。
・山伏が兜巾をつけてほら貝を吹く姿は、頭にテフィリンと呼ばれる小さな四角い箱をつけ、角笛(ショーファー)を吹くユダヤ教の修行者とそっくりである。
・日本では穢れを清めるために塩をまくが、ユダヤ教でも清めのために塩をまく。
・日本では相撲は格闘技ではなく、なぜか神事とされている。現在でも神と「独り相撲」をして豊作を祈る神社がある。旧約聖書「創世記32章23-32」には、アブラハムの次男ヤコブが天使と暗闇の中で相撲をとって祝福を受け、イスラエルという名前をもらったというエピソードがあり、ヘブライ語で「スモー」は「彼の名前」を意味する。
・天皇家の紋章である十六菊家紋は、イエスと同時代のユダヤの王ヘロデ大王の紋章だった。
などなど。
次に秦氏がユダヤ人であるという「証拠」。
・『新撰姓氏録』に、秦氏の祖は「弓月公」とあるが、中央アジアのバルハシ湖の南に、紀元1世紀~2世紀ごろ弓月(クンユエ)国というキリスト教国があり、そこに「ヤマトゥ」という地名があった。これはヘブライ語で「神の民」を意味する。倭国が大和(やまと)と呼ばれるようになったのは、秦氏の影響ではないか。(ヨセフ・アイデルバーグ氏)
・秦氏は、赤穂の坂越(現在の兵庫県赤穂市)に大辟(おおさけ)神社を創建し、山背国葛野(現在の京都市右京区太秦)には蚕の社という三本の鳥居のある神社を作り、その隣に大酒(おおさけ)神社を併設した。大酒はかつて大闢と書いた。これは中国語で「ダビデ」と読む。つまり、秦氏は伏見稲荷を創建する前、「ダビデ神社」を作っていたのだ。
・大酒神社の門柱には「機織管弦楽舞之祖神」と書いてある。秦氏は養蚕や機織りなどの技術をもたらしたが、雅楽ももたらした。ダビデはもともと羊飼いで、羊の毛を刈る仕事をしていて預言者サムエルに見いだされ、サウル王をリラックスさせる竪琴の名手として仕えた。つまりダビデは機織りと音楽の祖という秦氏の氏族的性格に合致する。ちなみにイケメンの雅楽奏者、東儀秀樹氏は秦氏の末裔である。
・「平安京」は秦氏によって開発されたが、「エルサレム」は「平安の都」という意味である。
また、エルサレムの北にある「ガリラヤ湖」は別名「キネレト湖」ともいうが、キネレトとは「竪琴」のことである。平安京の北にある湖のことを「琵琶」湖というのは、エルサレムとキネレト湖の関係と同じである。エルサレムの別名シオンは「祇園」ではないか。
・秦河勝が側近だった聖徳太子の別名は「厩戸皇子」。聖徳太子が生まれる前、母の夢に救世観音が現れ、太子の誕生を予言した。馬小屋で生まれたといえばイエス・キリスト。イエスの母マリアも、イエスの懐妊を大天使ガブリエルに予告されている。聖徳太子の超人的な伝説に、秦氏のよく知るイエスの物語が紛れ込んでいるのではないか。
・秦河勝が創建した広隆寺は、もともと太秦寺(たいしんじ)と呼ばれていた。これは当時の唐では景教=ネストリウス派キリスト教の寺院のことである。
・現在映画村のある京都市右京区太秦(うずまさ)は、秦氏の本拠地のひとつだった。「ウズマサ」はヘブライ語で「なんと遠い道のりか!」という意味とも、「ジーザス、メシア!」という神を称える祈りともいわれる。
・秦氏が創建した稲荷は、イナリと読むが、これは十字架につけられたイエスの頭上に掲げられた罪状「INRI」、つまりIesus Nazarenus Rex Iudaeorum(ユダヤの王ナザレのイエス)というラテン語である。
云々。
ソロモン王の死後、ユダヤ人の王国は南のユダ王国と北のイスラエル王国に分裂した。
『秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説』では、紀元前722年、北王国がアッシリア帝国に滅ぼされ、12支族いたユダヤ人のうち10支族が消えた際、アジアに向かった集団の一つが秦氏であり、日本に渡来したのも紀元前で、彼らこそ、東征して日本を建国した天孫族であるという壮大なストーリーになっている。
しかし、秦氏が関わったとされる場所や人物にはユダヤ教だけでなく、キリスト教の影響もあるから、少なくともイエスが生きた紀元1世紀以降になってから渡来したのでなければトンデモ話としてもつじつまが合わない。例えば次のようなストーリーはどうか。
紀元1世紀のエルサレム。イエスは磔刑後3日で復活し、弟子たちの前に現れたので、弟子たちは信仰を続け、ユダヤ教の分派=原始キリスト教団として集団生活をしていた。
だが、70年、ユダヤ人愛国者の反乱をきっかけにローマ軍が侵攻しエルサレムを徹底的に破壊したユダヤ戦争が起こった。ユダヤ人は国を失い2000年にわたって民族離散(ディアスボラ)することになる。
その際、ユダヤ人原始キリスト教徒の多くは西へ向かい、ローマ帝国領内に移住し、やがてキリスト教はローマの公認宗教となったが、中には東に向かった一団もいた。
彼らは中央アジアで秦の始皇帝の末裔とともに原始キリスト教を国教とする「弓月国」を作ったが、後漢の班超の西域侵攻によって滅ぼされ、ウイグル~モンゴル~満州を経て、朝鮮半島東部の「波丹」に落ち着いた。だがそこも新羅の圧迫によって追い出され、百済を経て、3世紀後半、ついに日本に渡来した。それが秦氏の一族である。
『日本書紀』応神天皇紀(3世紀後半に比定)に、弓月公が新羅に圧迫され、百済経由で亡命してきた経緯が記述されている。弓月公は応神天皇に謁見し、「蚕の種」を献上し、以降秦氏は日本に定住し、養蚕や絹織に携わるようになった。養蚕技術こそ、秦氏がシルクロードから来た証である。渡来人なら秦は「シン」と読むはずだが、応神天皇は絹織物が人肌のように温かいので、「ハダ」という日本名を与えたという。
秦氏がユダヤの風習やキリスト信仰を保ちつつ、アジア最先端の生産技術を携えていたのは、遠くエルサレムをローマ軍に追い出され、中央アジアの「弓月国」も滅ぼされ、新羅の「波旦」からも逃げてきた亡命集団だったからだ。どんな場所でも生産技術を持っていれば生き残れる。そのファイナル・ディスティネーションが日本だった。
国づくり半ばの日本の朝廷は、すぐれた生産・土木技術をもつ秦氏を重用した。秦氏はやがて財務能力も発揮して、大和朝廷の財政基盤を作り、ついには日本という国を形成した祖先神として日本神話そのものに組み込まれた。
天照大神に御饌(みけ)を捧げるトヨウケ神として伊勢の外宮に祀られる一方、赤穂や太秦には民族の英雄である大闢(ダビデ)神社を創建し、伏見では御食津(みけつ)の神、ウカノミタマとして祀られたが、その別名は稲荷=INRI=イエス・キリストだった。つまりキツネ様はイエス・キリストなのだ…。
これはカトリックでありBABYMETALファンであるぼくが勝手に作ったトンデモ話に過ぎないが、一応色んな要素の整合性はとれている。
だが、このストーリーには、決定的に疑わしい点がある。
ユダヤ教、キリスト教共通のモーゼの十戒の第一は、「わたしのほかに神があってはならない」である。
頑固な一神教であるユダヤ人ないしキリスト教徒ならば、天地を創造した神の他に神はなく、英雄とはいえ人間に過ぎないダビデ王を神として祀ることもなければ、日本古来の太陽神天照大御神を神として崇めることもあり得ない。まして、自らが神として拝まれることなど決して肯んじないはずだということである。
それを敢えて氏族の性格を表す象徴とはいえ、八百万の神々のひとりとして、日本神話に組み込まれることを選んだのはなぜか。
さらに、秦河勝が聖徳太子のブレーンとして活躍していた頃、日本国の統治原理として明文化された十七条憲法には「篤く三宝を敬え」という条文がある。三宝とは、悟りを実現した超人的存在である「仏」(釈迦、阿弥陀如来など)、仏が説いた教え「法」(経典)、法を学ぶ僧(出家者)のことである。要するにこれは、仏教を国教とする宣言である。ユダヤ教、キリスト教を信じる者が、仏教を国教とする国の高官を務められるものだろうか。
(つづく)


