2017年のBABYMETAL(5) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日、12月18日は、2012年、TSUTAYA「VA」でBABYMETALの連載が開始され、2016年には、Red Hot Chili Peppers UKツアーのSpecial Guestとして、ロンドンTHE O2に出演(追加公演)しました。レッチリのドラマーがチャドメタルとして登場、「Painkiller」と「Breaking the Law」を演奏後、SU-の誕生日を祝ったDEATH。

 

<6月16日>BABYMETAL Special Headline Show in LA@ハリウッドPalladium

BABYMETALは今年初の単独ライブをアメリカ・ハリウッドで開催した。

その年初の単独ライブが海外で行われるのは、2016年のウェンブリーと同じ。だが、3月25日にKORNツアーの付け足しのように、6月という遅い時期に初単独ライブと発表されたときには、先が見えなかった。Fox Dayを経て、5大キツネ祭り、サマソニ、巨大キツネ祭りの開催が五月雨式に発表され、今年のスケジュールがようやく全貌を現したが、サマソニは別として、単独ライブの当落はまだわからない。

BABYMETALに会いたくて、日本時間6月15日、現地に飛んだ。

ライブ前日、会場のThe Palladiumに行ってみると、もう大勢のメイトさんが並んでいた。

PAPIMETALさんを見つけて、日本人メイトさんから有り難くチケットを購入。時間があったので、2014年にBABYMETALが初めてアメリカで単独ライブを行ったFonda Theater(収容1200人)に行ってみた。場末の映画館のような小さなライブ会場だった。

The Palladium(収容3700人)もスタジアムクラスに比べれば小さいが、SOLD OUTしており、ウェンブリーの実績から考えて、周到に準備すればアメリカでも1万人クラスの会場でも埋まるだろう。この3年間でBABYMETALは大きく成長したのである。

当日の朝、投宿したホテルで、ベビTを着ていたぼくに話しかけてきてくれたイギリス人がいた。それがRichardさんだった。ウェンブリーとダウンロードでBABYMETALにほれ込み、3月に日本へ来て、ラウド系アイドルにハマった。5大キツネ祭りに当たったら夏に日本へ来るとのこと。「それなら日本を案内するよ」と言ったのが友だちになったきっかけだった。そこには、青森出身のオオムラさんもいて、一日中一緒にいた。

朝食をそこそこにThe Palladiumに行き、待機列に並ぶ。もう数百人の人が並んでおり、日差しの照り付ける中、コスプレショーなども行われた。待機列で知り合ったAA-METALさん、Tsutsu-METALさん、オオムラさんとイタリアンレストランで食事。御三方とは7月のRichardさん迎撃オフや巨大キツネ祭りで再会した。半年前のことだが、ずいぶん前のような気がする。

食事から戻ったタイミングで、三人を乗せた黒い車が正面の待機列の前を通って裏の駐車場から会場入りするのを目撃。当たり前のことだが、こうして世界各地を巡業して回っているのだなあという実感が湧く。

開場近くなると、長大な待機列の前の舗道に、ラテン系らしいおばちゃんがホットドッグの屋台を出す。もう列を離れられないタイミングだから、小腹がすいたメイトさんが結構買う。いい商売である。

中に入ると、社交ダンスに用いるボールルームの造りで、全体が円形である。2階席まですぐ超満員になる。圧縮、サークルモッシュは必定なので、日和ってピット後方の背もたれ部分に陣取る。

BABYMETALのライブには必ずドラマがある。

初めてオープニングアクトに起用したのは、HELLYEAH。パンテラのドラマー、ヴィニー・ポールが、弟ダイムバッグ・ダレル(G)の射殺事件後に結成した後継バンドである。

CD音源の「ド・キ・ド・キ☆モーニング」のドラム・パートは、打ち込みに使ったDTMソフトに附属していたパンテラのサウンドセットで打ち込まれている。

つまり、ヴィニー・ポールは、知らずしてBABYMETALの誕生に関わっていたのである。

そのヴィニーがBABYMETALのオープニングアクトを務めるという奇跡。

だが、この日のHELLYEAHは、BABYMETALを引き立てるオープニングアクトなどという生易しいものではなかった。約1時間、狭い会場にチャド・グレイ(V)のグロウルとドゥームな演奏の混沌が渦巻いた。

HELLYEAHの終演後、休憩をはさんだため、「BMD」のイントロが始まったのはアナウンスされていた開演時間を2時間近く過ぎてから。

ソウルでのMETALLICAのように、前座のバンドと音量やスクリーン使用の「差」をつけることはなく、HELLYEAHは対バン扱いだったと思う。それがKOBAMETALのヴィニー・ポールへのリスペクトの仕方なのだろう。

だが、さすがBABYMETAL。狭い会場、同じPAを使っていても、SU-のボーカルはクリアに澄み渡り、神バンドの演奏も音の分離が良く、それでいて、ちっとも軽くない。

HELLYEAHのへヴィなグルーヴこそラウドロックの本質だというファンはいるだろう。

だがBABYMETALの、ハイファイな重さとタイトな速さの完璧な演奏もまた、簡単にできることではない。過酷な練習とフェスや前座で他流試合を繰り返すことで培った実力であり、結果、レッチリのようなメインストリームロックファンにも、「メタルっていいな」と思わせる聴きやすさを持っている。それは、METALLICAにも通じる、長く市場に受け入れられる大物バンドとしての資質だと思った。

脱線するが、本物のポップス、大衆音楽は、過酷な下積みや芸の引き出しから生まれるとぼくは思っている。

ギター一本で弾き語るフォーク系や、70年代UKのパンクは、成熟を拒否し、素人のリアリズムで勝負する音楽だと思う。もっと言えば半素人「アイドル」もそうだ。1回限りのパフォーマンスのリアリティが観客を感動させることはあり得る。その輝きは、往々にしてよく練られた「芸」を上回る。

だが、人生は長い。若くして“天才”と持て囃されても、それだけで長く活躍することはできない。ゆるぎないアーティストとは、努力によって、試練を乗り越え、洗練を経て、成長していくものだと思う。

HELLYEAHの表現は、ヴィニー・ポールがたどり着いたものであり、BABYMETALの表現もまた、メインストリームを視野に入れ、なおかつメタルの新しい表現であろうとするOnly Oneのものだ。

セトリは全14曲。セットリストの終盤、単独ライブらしく、「ギミチョコ!!」「KARATE」からの「THE ONE」で盛り上がったあと、暗転した舞台にプログレッシヴなシンセサイザーの音が流れた瞬間、もうひとつのドラマが起こった。「From Dusk Till Dawn」が世界初生披露されたのである。

日本版「Metal Resistance」の「シンコペーション」の代わりに、US版、EU版に入っている曲である。東京ドームでの「Tales of the Destinies」に続き、これで、2ndアルバムの曲は全曲生演奏されたことになる。

霧をつんざくようなSU-の「♪In the Air…」という歌声の美しさ。

このブログでも様々なご意見をいただいたが、謎の英語歌詞は、どうやら「痛み…感じて…ずっと…ひとり…心…気づかないふり…もう…逃げない…」という「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のブレイク部分をなぞっていると思われる。ともあれ、この曲は、BABYMETALがプログレッシヴメタル、シンフォニックメタルにも発展していけることを如実に示した。

しかしまあ、実はヴィニー・ポールのドラム音だったKawaiiメタル「ド・キ・ド・キ☆モーニング」の「♪リンリンリン」と、「From Dusk Till Dawn」の「♪In the Air…」の振れ幅の大きさたるや。

かつてKOBAMETALは、「バンド形式の場合は音楽性を変えることが容易ではない。その点、BABYMETALはアイドルからメタルへアプローチしているため、バリエーション豊かな展開ができる。」(2012年10月31日「日経トレンディネット」インタビュー)と述べた。そのコンセプトはやはり有効であり、それを現実にした三人と神バンドのパフォーマンスは、どんなバンドにも負けないBest Live Bandと呼ばれるにふさわしいものだということを、BABYMETALは狭いライブハウスでのHELLYEAHとの対バンで、証明したのである。

(つづく)