インスタントジョンソン じゃいオフィシャルブログ『マルいアタマをぐちゃぐちゃにする』powered by Ameba -261ページ目

邪念

邪念・・・よこしまな考え。不純な思い。


たまに僕の中から邪念が生まれる。


決して聖なる者であるとは言えないが、


聖なる者になりたい!


純粋でいたい!って気持ちはある。


そこに突如現れる邪念。


平和な街に突如現れたモンスターのような存在だ!


僕はこのモンスターを倒したいと思うのだが、このモンスターを殺すには、自分の命を犠牲にするしか今のところ手立てがない。



僕の中から生まれた邪念で、僕は心の中で数々の悪事を働いた。



ありとあらゆる罪を犯した。


人を殺したこともある。


ここでは書けないような恐ろしいこともした。



しかし一度も捕まったことがない。


完全犯罪だ。


証拠もない。


被害者もいない。


疑われたことすらない。



邪念で逮捕されるのなら、僕はきっと終身刑だろう。



この邪念が生まれる人はどれくらいいるのだろうか?



僕は少数派なんだろうか?



大事なのはその邪念を表に出すか出さないか?



行動するかしないか?



今のところそうなっている。


例えば、


「浮気したい!」って思ったら罪か?


「浮気したい!」って口にしたら罪か?


浮気したら罪か?


全然オッケーか?




この中で「浮気したい!」っ思うのが邪念だ。



この時点で許せないって思う人はいるだろう。



勝手な推測で犯人だと責め立てる人はいるかもしれないが、邪念を暴き罪を立証出来る人は聞いたことがない。


そんな人が実際にいたら、それが邪念刑事だ!



心の中で「死ね!」って想っただけで逮捕してくるだろう。



邪念刑事に目を付けられたらもう逃げられない。



その時は自首しよう。

忍者

忍者になりたかった。


幼い頃からずっと。


どこかの山奥の隠れ家に住み。


怪我したら秘伝の秘薬を塗る。


他にはない独特のカッコいいコスチューム。


山を谷を駆け抜ける。


水の上さえ走っていく。


瞬時に姿を消したり、現したり。

手裏剣を抜群のコントロールで投げる。



そんな忍者になりたかった。



小学校の卒業文集に書いた将来の夢・・・忍者


子供らしくて良かった。


中学校の卒業文集に書いた将来の夢・・・忍者


笑われた。


大人になり目指しているものを聞かれ答えた・・・忍者


呆れ返られた。



飲み会とかで


「仕事何してるの?」


と聞かれ


「忍者」と答えたい。


きっとモテるに違いない。



しかし現状はどうだ?


山、村、里・・・住んだことない!


区とか町とかばっかだ。


怪我したらネットで絆創膏を購入。


毎日、特にコンセプトもメッセージもない衣服を身に纏い。



山を越え谷を越えるのに電車とか使っている。しかもたまにグリーンとか乗っている。


都合が悪いときだけ瞬時に姿を消し。


すぐにさじを投げる。



とても忍者になんかなれない。



伊賀だか甲賀の里で忍者の検定試験があるという情報を入手して、本物の忍者になろうと合格する為に体を鍛えた。


筆記試験だった。

確認

人は時折確認をしたくなったりする。


自分は何のために生まれてきたのか?


自分が死んでも何も変わらないのではないか?


自分は本当にこの仕事でいいのか?


恋人はどれくらい自分のこと好きなのか?



よく確認したくなるが、明確な答えは聞いたことがない。



本当にこの電車に乗っていれば目的地に着くのか?


この食べ物は何カロリーだろうか?


この人誰だったっけ?


こんなのは確認しようと思えば出来る。



人は何故確認したくなるのだろうか?


確認したくなるのは、人は答えを導き出したいという本能のせいなのではないだろうか?



この怪しい生き物を食べたらどうなるのか?


この液体にこの液体を混ぜたら何が起こるのか?


左右を見ないで直進したらどうなるのか?



いくつもの確認が人間界を進化させてきたのだ。



そう考えると人は確認したがるのが正常なのだと思う。



「私のこと好き?」


「愛してる?」


「どれくらい?」


しつこく確認を迫ってくる人も、多少めんどくさいかもしれないが、人間界を発展させるために答えを導き出そうという本能が強いだけなんだ。



そして今日は自分は何のために生まれてきたのか?


自分が死んでも何も変わらないのではないか?



この永遠の問いの答えに迫ってみよう。



自分は何のために生まれてきたのか?


「そりゃあ、人によって違うだろ!」


そんな言葉が聞こえてきそうだ。

ここで一つ仮説を立ててみよう。

何のために生まれてきたのか?


そもそも、この問題自体が違うのではないだろうか?



バスが走ってます、運転手は男か女か?


まさお君は旅行に行きました、海ですか山ですか?


みたいな。


つまり、生まれてきた理由なんてそもそもなくて、生きていく上で作っていくものだとしたら、この問いに答えなんてないのだ!


それが答えだ!



そして、自分が死んでも何も変わらないのではないか?


この答えは・・・


変わるだ!


バタフライエフェクト・・ある場所で蝶が羽を羽ばたくことで、遠くで大きな気象変化を巻き起こす。


つまり、誰かが死んだら・・


潰れかけた葬儀屋に葬儀を頼み、何とか生き延びた葬儀屋の社長がこれを期にどんどん潤い、最終的に事業を拡大し大富豪に。そして、多額のお金を難民へと寄附。多くの難民が死を逃れる。その生き延びた難民の一人がサッカーに出会う。それがアフリカをサッカー大国にした、史上最高のキーパーと言われた、ポタフ・ジャミャンである。



みたいに。


死んで良かったみたいになっちゃったけど、逆もしかり


ある人が死に、その人がバイトしてた食堂が、普段店主とバイト一人だったので店主一人で回さなきゃならなかったが、その日に限って客が次から次へと。疲れきった店主は誤ってA定食を頼んだ客にB定食を出してしまう。怒った客は店主に突っ掛かる。そこにたまたま食べに来ていた外国人が止めに入る。その止めに入った外国人にキレた客は外国人を殴ってしまう。倒された外国人は運悪くテーブルの角に頭をぶつけて死んでしまう。その外国人こそかの有名なアフリカの英雄、ポタフ・ジャミャンである。日本とアフリカの戦争が始まる。第八次世界大戦である。



ってなことになりかねない。



つまり、自分が生きてようが、死のうが、影響は与えてるのは間違いないのだ。


仮にもし生きてたらの世界と、死んだらの世界を両方見ることが出来たら全然違うかもね。


死後、神様に


「君、17歳の時パンを買いに行くじゃんけんに勝ってたら、総理大臣になってたのに」


「君、25歳の時もう一つ先のガソリンスタンドで給油してたら広末涼子と結婚してたよ」


なんて言われるのかな?



で、俺は何のためにこんなブログ書いているのだろう?



確認してぇー!