澪標
澪標・・みおつくし。
船の水路の目印となるもの。
昔、NHKのドラマで(確か、沢口靖子さん主演だったような)「澪標(みおつくし)」というタイトルでやってた。
でも、意味は知らなかった。
陸上でいう道標ということだと思う。
海にも陸にもあるように、
きっと人にも、人生の澪標というのがあるだろう。
自分の歩む道はどこにあるのか?
人の道を外れないように、
きっと人生の澪標はあるはず。
それは、出来事だったり、
人との出会いだったり、
様々な目に見えない形で存在する。
恋愛も仕事も事件も、
自分一人では起こり得ない。
きっと自分の進路も、過去に歩いてきた道も、
みんなが作ってくれたものなんだ。
勿論、自分も含めて。
どこに進むかは、どんな道を通るかは、最終的に自分で決めているってことだ。
そういえば、僕が道を踏み外しそうになったときは、
誰かが澪標を作ってくれた。
親だったり、恋人だったり、相方だったり、先輩だったり、後輩だったり、友達だったり、他人だったり。
人生の澪標がなかったら、今頃僕はどうなっていただろうか?
恐らく、難破して、遭難して、迷子になって、途方に暮れて、
沈没してたと思う。
あぶねぇー!
廃人になるところだった!
そして僕もたまには誰かの澪標になってあげよう。
たまに、嘘の澪標を立てる人がいて、
知らず知らずに道を外れてしまうときがあるけど、
そこは今までの経験で、本物かどうか見分けよう。
後、100%澪標を頼らないで、
自分の思う方向にオールを漕いで行く事も大事だ!
敬具
船の水路の目印となるもの。
昔、NHKのドラマで(確か、沢口靖子さん主演だったような)「澪標(みおつくし)」というタイトルでやってた。
でも、意味は知らなかった。
陸上でいう道標ということだと思う。
海にも陸にもあるように、
きっと人にも、人生の澪標というのがあるだろう。
自分の歩む道はどこにあるのか?
人の道を外れないように、
きっと人生の澪標はあるはず。
それは、出来事だったり、
人との出会いだったり、
様々な目に見えない形で存在する。
恋愛も仕事も事件も、
自分一人では起こり得ない。
きっと自分の進路も、過去に歩いてきた道も、
みんなが作ってくれたものなんだ。
勿論、自分も含めて。
どこに進むかは、どんな道を通るかは、最終的に自分で決めているってことだ。
そういえば、僕が道を踏み外しそうになったときは、
誰かが澪標を作ってくれた。
親だったり、恋人だったり、相方だったり、先輩だったり、後輩だったり、友達だったり、他人だったり。
人生の澪標がなかったら、今頃僕はどうなっていただろうか?
恐らく、難破して、遭難して、迷子になって、途方に暮れて、
沈没してたと思う。
あぶねぇー!
廃人になるところだった!
そして僕もたまには誰かの澪標になってあげよう。
たまに、嘘の澪標を立てる人がいて、
知らず知らずに道を外れてしまうときがあるけど、
そこは今までの経験で、本物かどうか見分けよう。
後、100%澪標を頼らないで、
自分の思う方向にオールを漕いで行く事も大事だ!
敬具
凹
この文字はどうしたら□になるだろう?
お酒を入れたって、横にしたり、逆さまにしたら、こぼれ落ちてしまう。
結局は凹のままで、□になったことにはならない。
今までの経験ではある程度は時間が□にしてくれる。
もしくは、穴を埋める形に遭遇するしかない。
その形が長方形なら□を飛び越えて凸になる。
きっと長方形はボンヤリしてても見つからない。
よし!
長方形を探しに行こう!
お酒を入れたって、横にしたり、逆さまにしたら、こぼれ落ちてしまう。
結局は凹のままで、□になったことにはならない。
今までの経験ではある程度は時間が□にしてくれる。
もしくは、穴を埋める形に遭遇するしかない。
その形が長方形なら□を飛び越えて凸になる。
きっと長方形はボンヤリしてても見つからない。
よし!
長方形を探しに行こう!
携帯ウォシュレット
使ったことは一度もない。
実物を見たことすらない。
トイレには色々な形式がある。
さすがにボットン便所は今やまずないだろうけど、
古い会館なんかでは、和式はまだまだある。
正直、する気にならない。
洋式だとしても、ウォシュレットが付いていないとやりたくない。
いつの間にかにそんな体になってしまった。
携帯電話がないと生きていけなくなってしまったのと一緒だ。
世の中が便利になるにつれ、その便利な世の中に対応するのか?
それとも、便利に頼り過ぎて、楽な生活から抜け出せなくなってしまうのか?
交通がなかった時代のカゴでの移動は、
きっと今のリムジンくらいの感覚だったろう。
乗ったことないけど、今カゴで移動なんて絶対かったるい。
ただ、今現在、僕は携帯ウォシュレットを使う気がない。
携帯ウォシュレットに慣れてしまうのが恐いのだ!
携帯ウォシュレットを忘れたときが最悪になってしまう。
なくしたら地獄だ!
それと、携帯ウォシュレットをバックに忍ばせているのが、
どうもスタイリッシュに思えない。
なんなら、清潔な商品のはずが、なんかちょっと汚いイメージすら生まれてくる。
だから僕は携帯ウォシュレットを一生使わない!
海外の文化が遅れている土地に行ったときは・・・
えーい!
野糞だぁ!
実物を見たことすらない。
トイレには色々な形式がある。
さすがにボットン便所は今やまずないだろうけど、
古い会館なんかでは、和式はまだまだある。
正直、する気にならない。
洋式だとしても、ウォシュレットが付いていないとやりたくない。
いつの間にかにそんな体になってしまった。
携帯電話がないと生きていけなくなってしまったのと一緒だ。
世の中が便利になるにつれ、その便利な世の中に対応するのか?
それとも、便利に頼り過ぎて、楽な生活から抜け出せなくなってしまうのか?
交通がなかった時代のカゴでの移動は、
きっと今のリムジンくらいの感覚だったろう。
乗ったことないけど、今カゴで移動なんて絶対かったるい。
ただ、今現在、僕は携帯ウォシュレットを使う気がない。
携帯ウォシュレットに慣れてしまうのが恐いのだ!
携帯ウォシュレットを忘れたときが最悪になってしまう。
なくしたら地獄だ!
それと、携帯ウォシュレットをバックに忍ばせているのが、
どうもスタイリッシュに思えない。
なんなら、清潔な商品のはずが、なんかちょっと汚いイメージすら生まれてくる。
だから僕は携帯ウォシュレットを一生使わない!
海外の文化が遅れている土地に行ったときは・・・
えーい!
野糞だぁ!