拉致、洗脳、宗教が少年を変えた | 映画ブログ 市川裕隆の燃えよ ヒロゴン


昨日も言ったが、映画は社会を知り、世界を知るきっかけになる。
「エドガルド・モルターラ~ある少年の数奇な運命」は、1858年にイタリアで実際に起きた誘拐事件の映画化。
長年スティーヴン・スピルバーグも映画化を望んでいたが、断念したという作品。


この少年を誘拐するのは神の思し召しだ、と言い切るキリスト教会の枢機卿。
ユダヤ教であった7歳の少年は、親兄弟から引き離された。
そして洗脳されていったのだ。


何が恐ろしいって、最初は家に帰りたいと嘆いていた少年が、次第にキリストに染まっていくことだ。
ユダヤの教えを否定し、自分の親達をも否定する。
宗教間の微妙な問題が露骨に表れる。


イタリアだけでなく、これは日本でも有り得ること。
違う宗教を否定し、敵とみなすこと。
世界は醜い争いを繰り返す。


映画化に踏み切ったのは、イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ。
「甘き人生」や「愛の勝利を~ムッソリーニを愛した女」等、人間ドラマ、社会派ドラマで評価される大ベテラン。
この作品も実に彼らしい重厚な作品だ。


宗教はもちろん人を救うけれども、時に人を滅ぼす。
長く生きてると、皆さんも宗教を押しつけられたことが一度や二度はあるでしょう。
問題なのは、やんわり断っても、彼らは盲目であること。


こちらの言葉が通じないことがある。
それまでお互い分かり合えていたはずなのに、態度が急変したりする。
君も一緒に祈ってくれると思っていた!と。


エドガルド・モルターラも家に帰れたはずなのに、取り返しのつかないことになる。
家族は子供を奪われ、子供の心さえ奪われてしまった。
これは決して遠い過去の異国の話ではない。