現在、物で埋まっている部屋(我が家ではアトム部屋と呼ばれています。)のスペース拡張のためビデオをDVDにダビングする作業を延々と行っています。だいぶ処分したとはいえ、捨てられないで持っていたビデオは1000本くらいあります。今は大きなケースに保管されていますが、これがなくなると部屋がとてもすっきりするので、少しは家族の「邪魔だ!」攻撃が緩むのを期待しています。

ビデオテープのダビングの場合は、等倍速での再生となるため、懐かしい番組などは、ついつい見てしまいます。録画されたコンテンツは、いろいろなジャンルがありますが、やはり、手塚先生関係が多いようです。手塚先生がお元気だった頃の番組もたくさんありますが、お亡くなりになってから、さらに多くの番組が制作されているようです。同じ時代を生きた日本人にとって先生は、やはり特別な存在だったのかもしれませんね。

NHK殿は、BSも含めて定期的にアトムや手塚アニメのスペシャル番組を制作されています。手塚先生を好きなプロデューサーの方がいらっしゃたのでしょうか?普段堅い表情でニュースを読まれている司会のアナウンサーの方が、実は大変なアトムファンであることを告白され、それからは、ニュースなどで、そのアナウンサーの方を見かけるたびに、思わず微笑んでしまいます。

その他、目に付いた番組を列挙すると、
「世界ふしぎ発見」「知ってるつもり!?」「驚きももの木20世紀」「西田ひかるの痛快人間伝」「芸術に恋して」「カルトQ」「日曜美術館」「トュナイト2」「人間大学」
などとても多彩です。

手塚先生のよく知られたエピソードが紹介されており、内容が重複しているので資料的な価値はないかもしれませんが、番組に登場するタレントの方は、いずれも、とても想いを込めてお話をされており、その映像は貴重です。

特に、世界ふしぎ発見で黒柳徹子さんが、とても真剣な表情で回答を考えられていたのが印象に残りました。手塚先生は、徹子の部屋にも出演されており、それ以前にもおつきあいがあったのかもしれません。私はもちろんお会いしたことありませんが、「いい人だな~」と思ってしまいます。

いずれの番組もエンディングまで、とても丁寧に作られています。制作に携わったスタッフの人達も、みんな手塚先生に一目おいているかのように感じられます。(そうだったらいいな。という希望も込めて。。)

どうも、私の手塚先生ひいきを披露した文章になってしまいましたが、それぞれの手塚先生があるんですね。

(2006.1.14)
恥ずかしながら、こどもの頃、マンガ家志望だったんです。墨汁でケント紙なんかにカリカリマンガ描いたりしてました。

小学生の頃、石森章太郎先生の「マンガ家入門」を読んで、マンガ研究会なる活動にあこがれ、まねして肉筆同人誌を作りました。当時は実際に墨汁でマンガを書いている子供は少なく、たまたま近くのマンガ好きの同級生など、何人か仲間を集めてなんとか本にしました。そういえば、苗字が「石森」という子がいて「君の名前はマンガを描くのに向いてる。」なんて言って無理やりまんが描かせたりしました。ひどいね。

原稿を集めて、順番を決め、頁数を書きこみ、目次、表、裏の表紙をつけると内容はともかくとして、なんとなく達成感がありうれしかったものです。(この本、実は、まだ残っていますが、怖くて見れません。)その快感がたまらなくなり、自分で編集してまとめるという作業にはまって、その後、中学、高校、大学、そしてなんと社会人になってからも同人誌を作ってしまいましたが。。。

私が最初に手塚先生の仕事場を訪問したのは、中学1年の頃でした。その時は、手塚先生が缶詰(〆切が厳しくて。仕事に専念してもらうため、旅館、出版社などに監禁状態(!?)となること。)になっていて、結局お会い出来ませんでしたが、手塚先生のお母様がお世話してくださり、とても丁寧に対応していただけました。手塚プロと虫プロを見学することができましたが、特に手塚プロでは、たまたま部屋にいたアシスタントの方とたくさんお話することができました。

そのアシスタントの方は、まだ幼い私を見ながら、「そういえば、ちばてつや先生は中学生でデビューしたみたいだよ。きみもがんばってね。」とか「手塚先生はシェークスピアなんか読んで、今でも色々勉強してるんだ。きみも、まんがばかり描いてたらだめだよ。」なんていうことを話されていました。その内、部屋にたくさんアシスタントが集まってきて、めずらしく、ひまだったのか、私達を囲んで、わいわいと、話しの輪ができはじめました。たぶん今では有名な方もいらっしゃったのでしょうね。

みなさん、とてもいい方ばかりで子供の私とも隔たりなくお話してくれましたが、その内、「そうだ、きみの作品を手塚先生に見せたらいいよ。」「そうだそうだ、せっかくここまで来たんだから、手塚先生にご指導いただくといいよ。置いてけよ。」などという論調で場が盛り上がってしまったのです。私としては、恥ずかしいやら。恐れおおいやらで、冷や汗がたらたら。「今、原稿持ってきてないんです。」、「じゃあ、送ってきたらいいよ。」、「はい。」という事で、お開きになりましたが、実はその時、私のかばんの中には、私が作った、肉筆の同人誌が入っていたんです。。。

手塚プロを出て、富士見台の駅から帰る電車の中で、その同人誌を眺めほっと一息ついたのを、今でも良く覚えています。あの時の事は私の中ではちょっとしたトラウマになっているようで、その後もたびたび夢を見て冷や汗をかくことになりました。

今思うと、手塚プロの方々は、お世辞で私に原稿を置いてけといわれていたような気もしますが、そんな事をしなくて良かったかなと思います。あの段階では、マンガ家になりたいごっこをしていただけですからね。

(2005.12.3)
とうとう愛知万博に行くことができました。

私は、大阪万博に人生最大級の衝撃を受け、未だに「万博」という言葉には特別の感情を持ってしまいます。特にテーマ館で太陽の塔の内部を上がって行った時の感動は忘れられません。

大阪万博では、イベントやパピリオンの企画でざん新なアイデアを必要とされたため、比較的マイナーだった前衛建築や前衛芸術に初めて脚光が当てられた画期的なイベントでした。まだまだ前衛的な事が身近でなかった頃でしたので人材不足だったらしく、ユニークなアイデアを持っていそうな人達がいろいろな分野からたくさん参加していました。(もちろん手塚先生もいくつかの展示に関係していました。)

各パピリオンにおける当時としては前衛的な展示はとても新鮮でした。万博から戻った私は、自分の部屋を複雑に区切り、それぞれの区画をいろんなオブシェで飾りまくって得意になっていました。自称「万博病」です。

そんな万博好きな私でしたが、その後は、何回か大きな博覧会が開催されましたが、それほど行きたいと思わず、まったく足を運びませんでした。どの博覧会も大阪万博のようなインパクトが感じられなかったのです。

年をとって新しい物事に対する感度が低くなってしまったのでしょうか?混雑している会場の様子が報道されていたりすると、なんとなく億劫になってしまうのでした。

ところが、今回の愛知万博では、ひさしぶりに血が騒いだのです。35年ぷりの総合博ということで、昔感動した時の思い出が、じわじわとにじみ出てきたようです。それでも、いろいろなしがらみで、なかなか出かけることができなかったのですが、その間、「行きたい!」、「行きたい!」、「行きたい!」と思っていました。人気のパピリオンを見たいというわけではなく、万博会場に立ち、歴史的なイベントの一部を自分の中で共有したかったのです。

そして、ようやく1日だけですが、チャンスがやってきました。当日は、予想通り大変な人出で会場は、どこも大変な混雑でした。それほど混んでいないと思っていた海外のパピリオンも長い行列。人の波の中を一日じゅう歩き回り、時にはいささかイラつきながら行列。

疲れましたが、会場にいるだけでなんともいえない幸福感を感じる事ができました。さまざまな国のパピリオンがなかよく並んでいる平和な光景は、とてもいいものです。展示内容より、そんな雰囲気に浸れたことで満足していました。行って良かったです。

帰りの電車時間の関係で、会場に滞在できる限界の時間が次第に近づき、それでも、すぐ入館可能な比較的地味なパピリオンに入って何をするでもなくたたずむ。時を惜しみながら、たたずむ。

とうとう帰る時間となり。後ろ髪を引かれる思いで、なんとも言えない寂しい気持ちで、出口のゲートに向かって歩いていく時、35年前も同じ気持ちだったことをひさしぶりに思い出しました。


(2005.9.18)
私の近況。

あいかわらずネットオークションをやっています。今や専門店に足を運ぶよりネットでモノを買うほうがずっと多くなっています。そんなコレクターは増加していると思います。一般の売りたい人もネットに出品しているので、店に持ち込んでの買い取りも減っているようです。

それならというわけで、店舗売りをやめて、インターネットだけでモノを売っている業者もちらほら出てきました。今やネットオークションは、プロアマ混在のフリーマーケット状態です。でも活況になることは悪いことではないと思っています。

私は、ほぼ毎日「お気に入り」に入れてあるキーワードで気になるアイテムをチェックしてています。この作業、手塚関連グッズは、膨大な数が出品されているので、かなり大変です。でも、時折ではありますが「お~!」というモノを発見した時の快感がたまらず、こつこつとマウスのクリック動作を続けています。

ただし、いいものが見つかったからといって、落札できることはまれです。たいていのアイテムは、私だけではなく、他の人も「お~!」なのです。特に手塚キャラ関係のグッズは熱心な方が多く厳しい競争になってしまうんです。そうなると、財力で劣る小生はあきらめるしかありません。へたに頑張って、結果的に相場を上げることになっては自分の首をしめることになるので様子を見て入札に参加しています。

欲しい品物をあきらめた時は、やはり少しがっかりします。でも、古物の世界は、お金があるからといって必ずしも希望の品物が自分のところに来るわけではありません。自分の経験では、その品物を想い続けていると、いつのまにか、自分の前に現れるものなんのです。いわゆる、縁でしょうか。だから、今回だめでも、いつか、またチャンスがあるさ。と自分に言い聞かせて納得するようにしています。

実際。おもちゃは量産品なので結構たくさん世の中に出ているので再会する確率は高く、最初より状態が良いものを安く入手できることも結構あります。かれこれ6年くらいネットオークションに参加してきましたが、その間にたった一回しか出品されていないというものは、ほとんどありません。無理は禁物です。

ただし、最近はあきらめが早くなっているようで、これはすこし気になります。欲しいものに対して、あまり淡白になってしまうと、コレクターとしては「黄色信号」だと思うのです。そして想いがなくなると、理屈ぬきに品物は自分のところに来なくなります。これは不思議ですが、本当ですよ!

あくまでも趣味ですから、どのようなことに意義を見出すかは、個人の自由です。淡々と古(いにしえ)のおもちゃを眺め、お茶を一服というのもいいかもしれませんが、小生としては、まだ当分の間は物欲的行動に走っていようと思います。私の元気の素でもありますからね。その点、手塚グッズの世界が奥深くて、とてもよかったです。一個人では永遠に解明できそうにない迷宮なので、ずっと没頭できそうですからね。。


(2005.6.19)
今回は手塚学との違う話題ですが、とても感動した事があったのでお話したいと思います。例によって、非常に個人的なたわごとにつき、ご興味ない方はごめんなさい。

ちょうど今、奈良東大寺二月堂では修二会(いわゆる「お水取」。3月1日から3月14日まで。)が開かれています。私は、このお水取という行事が大好きで、なんと27年も毎年通っていました。といっても、特に何をするでもなく、深夜までにおよぶ修行僧のお勤めを眺めたり聞いたりしながら、ほのぐらい二月堂の中で寒さに震えながらボ~っとしているだけなんですけど。まあ、命の洗濯ですね。(急に東大寺お水取りなんていわれても、訳わかりませんよね。いつか私的お水取り解説をしてみたいです。)

ところが今年は、諸事情により、とうとう、行く事ができない状況になってしまいました。今までの人生の半分以上も通っていた私的一大イベントなので、とてもがっかりしましたが、そのかわり素晴らしいものを見る事ができました。それは、上野の国立博物館で開催されていた唐招提寺展に出展されていた盧舎那佛です。

唐招提寺は有名な鑑真和上ゆかりの寺で、私が一番好きなお寺です。何故この寺にひかれるかというと、このお寺は、天平時代の伽藍、仏像などが一式すべて現存している唯一のお寺だからです。また、講堂は、改装されてはいますが、もともとは平城宮に使用された建物を移築したといわれており、これも大変貴重な建物です。天平時代の雰囲気を生で感じるには一番いいところです。私は奈良に行くと必ず唐招提寺に立ちより、金堂と講堂の間の空間で、しばらくの間、いにしえの風物、歴史的できごとなどを想像し瞑想するのが常でした。

今回の展覧会に出品されていた盧舎那佛は、唐招提寺金堂のご本尊です。この金堂には、巨大な佛様達(千手観音、盧舎那佛、薬師如来)がドーンとお並びになっていて、それは壮観です。昔は金堂の内部まで入れたので近くで拝観することができたのですが、近年は、扉に金網が貼られていて、一般の人は建物の外からしか拝めなくなっていました。

ところが、金堂の平成大修理で、一度金堂はすべて解体されることとなり、内部に座していらっしゃった佛様達が久方ぶりに外の世界へお出ましになり、別な場所に仮置されることになりました。この状況の中、大修理の勧進も兼ねてか、本尊盧舎那佛がなんと箱根を越えて東京までお越しになり上野の国立博物館で拝観できることとなったのです。修理が完了すれば、もちろん、金堂の中にお座りになり、ご本尊が動く事はありえません。従って、少なくとも次の大修理(100年後)までは、このような事はないはずです。

最近出不精になって博物館に足を運ばなくなってしまった私も、さすがに、「これは一生モノ」というわけで、いそいそと出かけてきました。行って見るとまたまたビックリ、奈良の唐招提寺金堂でしか会うことができない佛様を見る事ができるというだけで貴重な事なのに、本当にまじかにお姿を拝見することができました。しかも、通常背中にある大きな光背がなく、後ろ姿まで観ることができました。このあたりは、展覧会を企画された人のご配慮なのでしょう。ついで(といっては失礼ですが)に、梵天、帝釈天、四天王像といった脇待達(こちらも。もちろん国宝)も、至近距離で拝観できました。

唐招提寺ファンの私は、もう大感激、大感動の嵐で、どうしていいかわからないほど興奮してしまいました。かなり長い時間その場にいて、いろんな位置をぐるぐるまわり、にやにやしたり、独り言を言ったり(ちょっと、あぶない人ですね。)していましたが、最後には、感嘆の声を発している他の人をながめたりしていました。ディズニーのバンビを100回以上観た手塚先生が、やはり最後の頃は、映画を見ている他のお客さんの泣き笑いを見て喜んでいたという逸話がありますが、こういった心境でしょうか?(ようやく手塚先生と絡めることができた!)

とにかく、たった一年だけお水取りに行けなかった事なんか、小さい事で、ふっとんでしまいました。まさに一期一会といった機会でした。佛様達とは、修理が終わったら、今度は、奈良で再会したいものです。


(2005.3.7)