実はブログは、はじめてです。とりあえず、自分のHPに掲載していた文章を掲載してみましたが、索引のみやすさという点では、元のままのほうが見易かったように感じます。
どこか、いいプログがありましたら教えていただければと思います。

ところで。。
川崎市民ミュージアムで機動戦士ガンダムのキャラクターデザインを担当していた安彦良和さんの展覧会が始まりました。

ファーストガンダムからもう27年くらい経過してるんですね。早いもんです。あの頃の中学生は40才越えてるんですね。僕からガンプラを略奪されていた小学生も、みんないい大人です。

でも、モビルスーツ、ニュータイプ、スペースコロニーなどのコンセプトは今でも色褪せることなく、むしろ、人類が宇宙に出たら改めて再考される命題かもしれません。

そして、アムロ、セイラをはじめとするホワイトベースの人々。。もちろん、シャーやザビ家の個性的な面々も、ちょうどいい感じでガンダムに関する良い思い出として記憶に残っています。安彦さんは、いい仕事をしましたよね。

これに。大河原邦男さんのメカが加わり、機動戦士ガンダムは記念碑的作品として後世にも語られて行くでしょう。すばらしい作品は、ほんとうに、奇跡的な偶然と微妙なバランスからできあがるものです。
リアルタイムでこの作品を体験した経験に感謝。感謝。

小生の専門のひとつはアンティークトイですが、ガンダムも初放送後25周年経ちコレクターが出現しはじめているようです。最初のガンダムの当時物は、ネットオークションでとても人気があり、出品されるとすぐ売れます。

今のところ、何が高いかよくわかりませんが、劇場アニメ化された時のポスターなどは、いい値段となっているようです。ガンプラは、今も入手できるものが多いので、プレミアがつくまでは行かないかもしれませんが、1/144、1/100、1/60と脈々と発売される中で、関節構造などは改善されているようなので、むしろ、はじめの不具合のある関節のプラモなんかは研究家が気になるところでは?
また、商品登録の問題で改名されたララァの乗っていた乗り物(○○○○)などは、プラモ箱が貴重品になりつつあるようですが。。。

最後に。。。
個人的には、フラウ・ボウが好きでした。。。25年後のカミングアウトです。
一時はゲーセンを廻りながら狩人のような生活をしていた私です。突出した行動をする変人のように思われるかもしれませんが、そんなに変わっている方でもなかったと思います。というのも、当時ゲーセンには熱心な方がとても多かったのです。電車が最終近くなって駅に向かう途中、山盛りぬいぐるみをつめた大きな紙袋を両手に持った人がいくらでもいたものです。みなさん、「期せずして大漁!」という感じで、KIOSKで売っている紙袋のラージサイズを使っているのが何となく可笑しかったです。

「ぬいぐるみが欲しい!」なんていうと女の子趣味みたいですが、熱中していたのは”コテコテ”の男性労働者の方々が多かったように思います。作業服でタオルを頭にまいたお兄さんが一生懸命クレーンを操作してました。ゲットしたぬいぐるみを大切そうにSEGAなんて書いてあるビニール袋につめて持ち帰る様子はなかなか微笑ましかったです。そのうち、フロントガラスのところにゲーセンぬいぐるみをたくさん飾っているトラックをあちこちで見かけるようになりました。確かにちょうどよい保管場所です。捨てないで飾るなんて素敵なアイデアでした。

お酒を飲んだ後ゲーセンに立ち寄るというのも、よくあるパターンです。時には飲み屋さんのはしごしている途中に一勝負という事もありました。たまたまゲットしたぬいぐるみを持って入った店で、あげちゃうのか、あるいは、取られちゃうのかわかりませんが、場違いなところにゲーセンぬいぐるみが鎮座されている光景もよくありました。確かに、ブームの頃はどんなキャラクターのぬいぐるみでも、あげると喜ばれました。特に女の子にはとても喜ばれた記憶があります。。。そういえば、たくさん女の子を引き連れてゲーセンを廻ってぬいぐるみを取りまくり、ゲットしたものを女の子にあげてキャアキャア言わせている人がいましたな。。。(私ではありません。念のため)

ゲーセンで100円玉をコインのようにジャラジャラさせながら大量にぬいぐるみを集めているおじさんが珍しく見えたのか、見物人が集まることもありました。ねらっているアイテムが取れそうで、なかなか取れないような時は、そのたびに、見物人も一緒に一喜一憂。クレーンでつかんでいて、最後の動作の振動で落ちてしまうような時(これってよくありましたよね!)にはためいき、ようやくゲットした時にはどよめきが起こったり。。。でもこんな時は、途中でギブアップしにくいので困りました。

困ったといえば、渋谷センター街でぬいぐるみハンティングをしていた時、横で見物していた女子高生に苦労してゲットしたぬいぐるみを「ちょうだい!ちょうだい!」とせがまれたのには閉口しました。たぶん、当時、見物している女の子にあげちゃうおじさんがたくさんいたんだろうな。小生はあくまでコレクションの対象だったので「だめ!」という姿勢に徹しましたが、女の子達のリアクションは「けち!」。。。(ためいき。。)

クレーンゲームがブームになる前のゲームセンターで遊んでいる客は、酔客や一部のゲームマニアの常連客が中心でやや低調でしたが、クレーンゲームのブームやプリクラの流行がきっかけとして新しい客を開拓し、さらに小生のように昔の常連を引き戻す事になりました。クレーンゲームは業界にとっては救世主だったと思います。

クレーンゲームのブームにより景品ぬいぐるみの出来がどんどん向上し、さらに、プラのフィギュア、文房具などぬいぐるみ以外の分野で気が利いた景品も開発されました。これは、景品ビジネスがどんどんいろいろな方向に展開するきっかけともなったと思います。食玩ブームの先鞭となったのはクレーンゲームブームだったのではないでしょうか?

今や景品ビジネスおよび素晴らしい景品達は、日本が世界に誇る「ジャパニーズクール」の牽引車となっている感があります。リアルタイムではまり続けた小生としては、大変感慨深くまたうれしい事です。

(この話題まだ続く)

(2006.9.9)
ゲーセンぬいぐるみは、昔のマンガやアニメのキャラクターをモチーフとして、基本的に5体1セットで企画されていました。主人公だけでなく懐かしい脇役まで作られる場合が多く、夜のゲーセンを徘徊するお酒などを飲んで少しばかり気分がよくなったサラリーマンの人の琴線に触れ、当時ゲーム機のガラス窓におでこをつけて一生懸命クレーンを操作するおじさんの姿があちこちで見られたものです。

ある程度系統だっており、数が多いというのは、コレクションアイテムの必須条件です。当時、私は、すでに手塚物おもちゃのコレクションをはじめていましたが、主だったアイテムを入手し、すこし落ち着いていた頃でした。

そんな折、前に書いたようにたまたま実家の近くのスーパーで発見したドンドラキュラやBJをきっかけとしてゲーセンに足を運ぶようになっていた私は同じゲーム機の中で一緒に置かれていた懐かしいキャラも、ぼちぼちゲットするようになりました。ちょうどクレーンゲームがブームとなってきた1991年頃のことです。ブームがどんどん拡大して行く中、つぎつぎと、いろいろなキャラクターが出てくるので、こちらも、どんどん深みに入っていくことになりました。それから2、3年はまさに「酒とゲーセンの日々」でした。
ゲーセンぬいぐるみの流通期間はそれほど長くありません。盛り場のゲーセンでは短いところで1週間くらいでゲーム機の中の景品は置き換わってしまいます。常にゲーム機の中に新しく魅力的なキャラのぬいぐるみを入れ、それを欲しがるお客さんにどんどん100円玉を入れてもらうためです。いつでも取れると思っていて、知らない内に日にちがたち、再度そのゲーセンに行ったら、中のぬいぐるみが入れ替わっていた、なんてこともよくありました。そんな時は、すこしはずれた町のゲーセンなどをまわって、所望のアイテムをさがしたりしてました。今なら、ネットオークションなどでも手に入りますが、当時は、欲しいものは正々堂々とゲーセンで獲得するしかなかったのです。

5体セットのうちすでに4体をゲットしており、残り一つももう少しで釣れそうな時などは、客は目的のアイテムをゲットするまで延々とお金をゲーム機に入れ続けます。こうなると、100円玉はゲームセンターのコインと化してしまいます。私も一度にたくさん両替して、ポケットを100円玉で一杯にしながら遊んだものです。以前はやったスペースインベーダーもこんな感じでしたね。

とにかく当時は新しく出る景品キャラクター系ぬいぐるみを全種類そろえようという、とほうもない野望のもと、あちこちのゲーセンに通いつづけました。山手線、中央線などのすべての駅周辺を歩き回りゲーセンを見つけてはクレーンゲーム機の中を覗くという、怪しい行動パターンを繰り返していました。

ゲーセンぬいぐるみは、例えばバンプレストやSEGAなどのような大手のものは、どこでもありますが、比較的マイナーな発売元の場合、地方の方がよく出まわっていたアイテムなどもありました。このため、探索の範囲がしだいに広がっていきました。

福岡県の博多に出張した時などは、出張先で仕事を終えた後、新幹線に乗りこみ、県庁所在地、政令都市など大きな町にひとつずつ降りてゲーセン探し(ついでにおもちゃ屋さんめぐり)をしまくり、夜になると近くに宿を探して泊まるということを繰り返しながら、ゆっくり上京するという無頼な旅をしたこともありました。特に繁華街にはゲーセンがかたまって存在するので、便利のため近くに宿を探しましたが、〇〇ホテルと紙一重の雰囲気のホテルが多く、夜中にぬいぐるみをたくさんかかえて戻って来た小生は、とても浮いてしまいました。日々の収穫品は、次の日に宅配で自宅まで送ってました。

こんな奴、他にいたんでしょうか!

(この話題まだ続く)

(2006.6.3)
現在、小生の自宅では、居住スペースの拡張のため、収集物の整理・圧縮作業を行っています。

数百本あったビデオテープは、DVDへダビングすることにより劇的にスペースが減少しました。押し入れ一杯あったのが、みかん箱2個くらいになりました。映像情報はメディアの進歩にともなって、どんどん小さな入れ物に置き換わって行くでしょう。いずれは1チップに一人の人間が触れる情報一生分が入ってしまうんでしょうね。

ところが、おもちゃは、そう簡単ではありません。他に置きかえることができないので、捨てないかぎりボリュームは変わりません。できることは、すきまなく押し入れ用ケースなどにつめるくらいです。大きさがまちまちなので苦労します。

これに加えて、恐るべき量の書籍が家のあちこちにひっそりと鎮座されているんです。マンガ中心ですが、いろいろな分野のムック本がたくさんあります。これがまた重いんです。。。実は、まだ奥様に内緒のかくし場所もありまして、発見された時の反動がこわいです。どうやっても、広い場所をあけることは難しそうです。

以上の状況から、結局トランクルームを借りることにしました。実家などに置かせていただく事も検討しましたが、さすがに、「おもちゃ、マンガを置かせてください。」とは切出し難く苦しいですが、お金で解決することにしました。

現在、押し入れの中の整理中です。いやはや、我ながら大変な物量。久しぶりに見た物も多く、思わず見入ってしまいます。いろいろな物をながめているうちに、これらをそのままトランクルームに入れてしまうのが惜しくなってきました。ガラクタみたいなものではありますが、長い間身近においていたのは、自分なりに惹かれている点があったからで、みんな大切な仲間なんですものね。

最近、「ゲーセンぬいぐるみの山」という部屋を作りはじめましたが、せめて、グッズを写真に記録しておいて、みなさんにも見ていただくためなんです。手塚物だけではなく、当時物でもありませんが、私は結構いい感じと思って入るコレクションなので、どうかよろしくお願いいたします。クレーンゲームには、いろいろな思い出があります、いろいろなエピソードもいずれ紹介したいと思っています。

古いものがお好きで、当HPへ来ていただいた方は、「ぬいぐるみ!」と驚かれたことと思います。いろいろなキャラクターのシリーズを紹介していきますが、マンガ、アニメ関係の懐かしいキャラであり、種類も多いので、これからコレクションアイテムに成長していく可能性もあるのでは?と思っています。

良く考えて見るとクレーンゲームのブームが起こってから、15年も経過しているんです。マルサン、ブルマァクの怪獣ソフビがコレクションアイテムとなり、アクティークトイの専門店で取り扱われはじめたのは、たかだか発売後12、3年程度ですので、そろそろ、集めている人がちらほらしてもいい頃です。
ホビーがある程度世間的に認知されマニアが劇的に増えるまで20年くらいかかると言われています。今なら、まだ、タダ同然で集められるので、チャンスかも?

小生の個人的事情がきっかけではありましたが、新たなコレクションアイテム創生の一助になれば、いいな~。と思います。
奈良東大寺の修二会(お水取り)に行ってきました。
この行事を正確に説明するのは、小生の浅い知識では難しいです。私流に簡単にまとめると、過去を懺悔し、人類の幸せなどを祈る行を、毎年3月1日~3月14日(本行)に東大寺二月堂で修行僧が行うものです。実は、大変複雑な行事で、 本行の前後にもいろいろな行事があります。ご興味ある方は、検索エンジンなどで調べていただければと思います。

通称「お水取り」の語源は、3月13日の早朝(深夜?)に二月堂の下にある若狭井という井戸から、香水を汲み取る儀式が由来です。また、きれいに火の粉が飛んだところが、いつもテレビのニュースで紹介される「おたいまつ」は、夜の行のために二月堂に向かう修行僧たちを導くあかりがショーアップされたものなんです。ちなみに、おたいまつは、修二会の本行の期間(3月1日~3月14日)は毎日やってます。 開始は午後7時です。(この時間には、東大寺の鐘がゴ~ンと鳴ります。これもいいもんです。)

はじめて行ったのは学生の頃で今年で28年目。われながら、しぶといものです。日吉館という知る人ぞ知る名物旅館に泊めてもらい、他の宿泊客の方に、「せっかくこの時期に来たんだから、お水取りいかなくちゃ!」と言われて、無理やり夜の二月堂に連れてかれたのが、そもそもの始まりでした。あの時のカメラマンのおじさんのおせっかいがなければ、私は、その後、今だに続けている奈良通いをすることはなかったでしょう。(おじさんに感謝。ですね!?)

じゃあ、二月堂の中で私が何やってるかというと、もう、ただひたすら、寒さに耐えながらブルブルしています。おたいまつで、修行僧が二月堂に入ってから、いろいろな行が盛り込まれたその日のメニューが終了し、僧たちが下堂するのが、だいたい、午前1時から2時位。(長い日は午前3時~4時!)荘厳な雰囲気の二月堂の中は、とても寒くなります。いくら厚着をしても大変寒いんです。

行の間、堂内を走ったり歩いたりする時のはきものの音、僧たちの声明、プープーという鳴り物の音、僧の五体投地のバーン。などいろいろな音が堂内に響きわたっています。また、ト帳を介して見える僧たちの影はとても幻想的です。そして、その場にいて、この雰囲気を体感してしまうと、好きになっちゃった人には、毎年行きたくなる魅力があるものなんです。でも、寒いです。おたいまつの時、数千人いた人達のうち、最後まで残っている人は数十人程度でしょうか?

とにかく、小生は、これを何十年も見てるわけです。意味もわからずです。信仰心もなく、何となく、雰囲気がいいだけでです。本当に物好きですね。(同じように二月堂にこもっている他の人たちは、私よりは、勉強されていると思います。そして、私よりず~っと前から通っている超人も大勢いらっしゃいます。この世界では、小生はまだ若造です。若造と呼ばれる。。。こういう感じも、なんとなくうれしい。)

ただ、長い間通っているうちに私なりに、何となく修行してるような気分になってきました。(寒さをこらえる修行?)本来の修二会の趣旨のように、自分なりに、家族の幸せを祈りたくなってきました。そして、普段世俗にまみれている自分のこの一年を振り返り、じっくり、見つめなおすのにはいい時間かなと思えてきました。そして、あの寒さ!理屈抜きで自分をニュートラルな所にもっていくには、あの寒さが丁度良い場を提供してくれているのかもしれません。あれこれ余計なことを考える余裕はないですからね。

東大寺修二会は奈良時代から今年で1250年以上延々と続いている行事です。こちらの都合など関係なく、いつの時代でも淡々と同じように続けられています。(祈祷中、その時の内閣のメンバーの名前とともに、いろいろ祈願をする時間がありますが、こんなことやってるのを知ってる大臣何人いるかな?)その存在自体が、私にとって自分の現在位置を確認する基準の原点かもしれません。ある事を何十年も続けると、それ自体理屈抜きで自分と同化する作用がすこしはあるのかもしれません。だから、また行きたくなるんですね。

もしかしたら、趣味もそうかもしれません。私にとって手塚趣味、手塚学はすでに理屈ぬきのものになってるみたいです。。。なんてね。ここまでこじつけちゃうと論旨が怪しくなってくるので、今回のお話はおわりにします。とにかく理屈抜きで寒く、やっぱり素晴らしいものでした。


(2006.3.18)