奈良東大寺の修二会(お水取り)に行ってきました。
この行事を正確に説明するのは、小生の浅い知識では難しいです。私流に簡単にまとめると、過去を懺悔し、人類の幸せなどを祈る行を、毎年3月1日~3月14日(本行)に東大寺二月堂で修行僧が行うものです。実は、大変複雑な行事で、 本行の前後にもいろいろな行事があります。ご興味ある方は、検索エンジンなどで調べていただければと思います。

通称「お水取り」の語源は、3月13日の早朝(深夜?)に二月堂の下にある若狭井という井戸から、香水を汲み取る儀式が由来です。また、きれいに火の粉が飛んだところが、いつもテレビのニュースで紹介される「おたいまつ」は、夜の行のために二月堂に向かう修行僧たちを導くあかりがショーアップされたものなんです。ちなみに、おたいまつは、修二会の本行の期間(3月1日~3月14日)は毎日やってます。 開始は午後7時です。(この時間には、東大寺の鐘がゴ~ンと鳴ります。これもいいもんです。)

はじめて行ったのは学生の頃で今年で28年目。われながら、しぶといものです。日吉館という知る人ぞ知る名物旅館に泊めてもらい、他の宿泊客の方に、「せっかくこの時期に来たんだから、お水取りいかなくちゃ!」と言われて、無理やり夜の二月堂に連れてかれたのが、そもそもの始まりでした。あの時のカメラマンのおじさんのおせっかいがなければ、私は、その後、今だに続けている奈良通いをすることはなかったでしょう。(おじさんに感謝。ですね!?)

じゃあ、二月堂の中で私が何やってるかというと、もう、ただひたすら、寒さに耐えながらブルブルしています。おたいまつで、修行僧が二月堂に入ってから、いろいろな行が盛り込まれたその日のメニューが終了し、僧たちが下堂するのが、だいたい、午前1時から2時位。(長い日は午前3時~4時!)荘厳な雰囲気の二月堂の中は、とても寒くなります。いくら厚着をしても大変寒いんです。

行の間、堂内を走ったり歩いたりする時のはきものの音、僧たちの声明、プープーという鳴り物の音、僧の五体投地のバーン。などいろいろな音が堂内に響きわたっています。また、ト帳を介して見える僧たちの影はとても幻想的です。そして、その場にいて、この雰囲気を体感してしまうと、好きになっちゃった人には、毎年行きたくなる魅力があるものなんです。でも、寒いです。おたいまつの時、数千人いた人達のうち、最後まで残っている人は数十人程度でしょうか?

とにかく、小生は、これを何十年も見てるわけです。意味もわからずです。信仰心もなく、何となく、雰囲気がいいだけでです。本当に物好きですね。(同じように二月堂にこもっている他の人たちは、私よりは、勉強されていると思います。そして、私よりず~っと前から通っている超人も大勢いらっしゃいます。この世界では、小生はまだ若造です。若造と呼ばれる。。。こういう感じも、なんとなくうれしい。)

ただ、長い間通っているうちに私なりに、何となく修行してるような気分になってきました。(寒さをこらえる修行?)本来の修二会の趣旨のように、自分なりに、家族の幸せを祈りたくなってきました。そして、普段世俗にまみれている自分のこの一年を振り返り、じっくり、見つめなおすのにはいい時間かなと思えてきました。そして、あの寒さ!理屈抜きで自分をニュートラルな所にもっていくには、あの寒さが丁度良い場を提供してくれているのかもしれません。あれこれ余計なことを考える余裕はないですからね。

東大寺修二会は奈良時代から今年で1250年以上延々と続いている行事です。こちらの都合など関係なく、いつの時代でも淡々と同じように続けられています。(祈祷中、その時の内閣のメンバーの名前とともに、いろいろ祈願をする時間がありますが、こんなことやってるのを知ってる大臣何人いるかな?)その存在自体が、私にとって自分の現在位置を確認する基準の原点かもしれません。ある事を何十年も続けると、それ自体理屈抜きで自分と同化する作用がすこしはあるのかもしれません。だから、また行きたくなるんですね。

もしかしたら、趣味もそうかもしれません。私にとって手塚趣味、手塚学はすでに理屈ぬきのものになってるみたいです。。。なんてね。ここまでこじつけちゃうと論旨が怪しくなってくるので、今回のお話はおわりにします。とにかく理屈抜きで寒く、やっぱり素晴らしいものでした。


(2006.3.18)