本日未明、仙台市泉区将監の実家と連絡がとれ、無事を確認しました。
停電でIP電話が使えず、携帯も基地局や中継が壊れて使えなかったようです。
電気が回復したため、電話が使えたようです。
将監団地は家屋の大きい破損はなかったようです。ただし、部屋の中はめちゃくちゃになったとのこと。
水不足が深刻で、団地の給水所は大行列で3時間待ちもあるとのこと。
給水所は、泉区に3ヶ所だけで、お年寄りは自分で水を調達するのは難しい状況です。
心配されている方へ
将監団地にお住まいの方はたぶん大丈夫だと思います。
問題はこれからです。
宮城県だけで震災の犠牲者が1万人以上という予測があります。
親戚の安否確認は当分続きます。
私の実家は仙台で、いまだに、母と連絡がついていません。
津波が届く場所ではないのですが、心配です。
外出中にどこか被害にあわなかったかと。。
 
もっと大変な状況の方々がたくさんいらっしゃるのに、本当に自己中心的だと思いますが。
自分の親族は、どうか無事でいてほしいと祈ってしまいます。
何もできず、じっとしているのはとてもつらいです。
 
日曜日(3/6)に東京ドームで開催されたイーグルスのライブに行ってきました。
70年代、私にとっては学生真っ盛りの時代に本当によく聴いたバンドです。「ホテルカルフォルニア」は、いろんな所でどこでも流れていて、聴きたくなくとも耳に入ってきたものです。あのリフレはみんな知っていましたね。
 
学生時代一緒にバンドをやっていた友達から誘われたんです。ドン・ヘンリー、グレン・フライ、ジョー・ウォルシュなど、昔のメンバーが揃って来日するとのことで、喜んで行くことにしました。
 
当日驚いたのは、お客さんがみんないい年だったこと。見た感じは平均50才くらいのように思えた。「アラ フィフティ」世代です。これだけのおじさん、おばさんが4万人集まるのは大変珍しいのでは?もっとも私達もそのお仲間だったんですけどね。
 
当のイーグルスのメンバーもみんな60才越えの「アラ シクス」だが、演奏はとてもハードでパワフルだった。昔のイメージを壊さないように考慮してか、アレンジは昔聴いたレコードに準拠していた。「ホテルカルフォルニア」は、はじめの方に演奏されたが、ギターソロでジョーウォルシュのパートからギターの音色が派手になるところなんかは、泣きたくなった。みんな元気でよかった。よかった。
 
みんな、はじめは大人しく聴いていたんですが、だんだん盛り上がってきて、がまんできなくなって一人が立って踊り始めると、連鎖のようにみんな立ち始めて、後半はずっと立って聴くことになってしまった。最初に踊り始めるのは、大体女性でしたね。本当に元気なもんだ。男どもは、やれやれという感じでつきあっていました。
 
アンコールの最後は、静かな「ならず者」でフィナーレ。すごい人だったけどあっというまに散会。電車も日曜日の夜のすいているいつもの光景だった。たぶん、コンサートに来た人もたくさん乗っていたはずだけど、もうおとなしい分別ある大人に戻っていたみたいだ。私達もおとなしく帰りました。
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最近近くにある市立図書館によく立ち寄る。もともとは息子に毎晩読んであげる絵本を仕入れることが目的だったのだが、置いてある本はいずれも面白そうなものばかりで自分も時々借りるようになった。
それまで読みたい本は自分で購入して読んだら本棚に置いておくというのが、私のやり方だったが、人生の半分以上が経過し、自分の持ち物が際限なく増え続けることをためらう気持ちが強くなって、物を増やす事に少し臆病になった事も要因だったかもしれない。
 
長い前置きだったが、小学館で長い間赤塚不二夫先生の担当をされていた武居氏が書かれた「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」(文芸春秋社刊 )を借りて読んだ。とても面白いので一気に読んだ。そして感動した。出版されたのは2005年で赤塚先生がまだご存命(眠り続けていたが。。)の頃の本だ。今頃と!言われる,かもしれないが、ようやく読んだ。
 
小説も書かれていたという武居氏のこの本は、赤塚番として過ごした時のいろいろなエピソードを中心に、その周辺のマンガ業界、その当時の世相も絡めた一大叙事詩のように感じられる。作品の生い立ちは、周りの状況や時代と何らかの関連があり言ってみればその時代の産物とも思えることが多い。赤塚作品もその例外ではなく、いろいろな因縁が絡まってあのようなギャグの世界が生まれたということが私なりに理解できた。リアルタイムで読んでいた時、感じていた何とも言えないモヤモヤが晴れた気がした。
 
武居氏ご自身が赤塚作品創作における重要なファクターだったようだが、淡々と(もしかしたら極力ご自分の色が出ないように)慎重に赤塚不二夫という不世出の漫画家の事を書いている。私にはかえって真実のすごさを感じてしまう。
 
最近昭和の漫画家の回顧録を色々読んでいるが、いずれも面白い。そして皆さん人格がすごい!
 
PS.
赤塚先生はとても美空ひばりさんが好きだったんですね。一方、手塚先生は、あまりひばりさんが好きでなかったという証言があります。昭和のメモリー記念切手では、手塚先生とひばりさんの切手が同時に出ましたけど。。
ごぶさたしておりました。今年最初の書き込みです。
 
以前「ゲゲゲの女房」のところで、昭和58年頃水木先生にお会いした時の話題として、”あるエージェントが海外の漫画イベントへの参加をいろいろな漫画家に声をかけたのですが、参加に前向きな返事をされたのが手塚先生と水木先生だけで、お二人だけで外遊したらしい”というような事を書いてしまい、後でいろいろな資料を見てもそのような記録はなく、そのままうやむやになっていましたが、どうやらその情報の由来らしい事が書いてある本に出会いました。
 
その本は、辰巳ヨシヒロ先生の自伝「劇画暮らし」(本の雑誌社)です。
その本には、昭和57年頃辰巳先生と交流のあったある方が、フランスのまんがフェスティパル(BDサロン)への参加をまんが協会に属していた300人の漫画家に呼びかけたのですが、参加希望者は手塚先生だけで、結局、辰巳先生と手塚先生が二人だけでそのBDサロンに参加したというエピソードが書かれています。時期といい、話の内容といい、昔私が伺った話は、たぶんこれだったと思われます。その時、マンガ界の話題として水木先生が話されたことを、私が水木先生自身の事と誤解して覚えていたようです。大変申し訳ありませんでした。
 
ところで最近、さいとうたかお「俺の後ろに立つな―さいとう・たかを劇画一代―」(新潮社)、辰巳ヨシヒロ「劇画暮らし」(本の雑誌社)、松本正彦「劇画バカたち!!」(青林工藝舎)という往年の劇画工房のスターが劇画創世記の事を書いた本を読みました。トキワ荘のマンガ家たちとは違ったプロセスでマンガ家を目指した姿が描かれている貴重に資料です。いずれじっくりと感想を書きたいと思います。