ディズニーの「ノートルダムの鐘」について昔の私より | じょぬログ

じょぬログ

ニコニコ動画のフルボイスルッカトリガーの作者のブログ。あとがきや近況など。

2008年に私がディズニーの「ノートルダムの鐘」について書いた文章を見つけたので復刻させてみます。笑

多少の手は加えています。参考URLのリンク切れはそのままですがご容赦を。

 

以下、2008年の私より

--------------------------------

ノートルダムの鐘
 The Hunchback of Notre Dameの直訳は「ノートルダムのせむし男」。
 

 レンタル屋で探して楽譜を片手に見てみた。
 差別と迫害の歴史。この映画の場合はジプシーに対する迫害とせむし男=障害を持つ人への差別である。なぜ差別はなくならないのか。なぜ差別が正義とされるのか。そんなことを考えさせてくれる。そもそも正義なんて属する集団によって簡単に変わるものだ。この物語のテーマは、アリエルの故郷より深く、ヘラクレスの故郷よりも高い。
 子供向けの勧善懲悪話とはちょっと違う気がする。なにより、主人公のせむし男カジモドの恋が実らないのである。ディズニーで他にヒロインと結ばれないヒーローがいたら教えてもらいたい。正しい心が報われるとは限らないのだ。

 で、曲。

 冒頭のBells of Notre Dame。

 

  ジプシーの男クロパンが子供たちにノートルダムの鐘つきの話を聞かせている。鐘をつくのは怪物か?人間か?ラストシーンにもかかわる問題提起である。ここでカジモドの過去が明らかになる。ジプシーの息子だったのだが、母を判事フロローに殺されてしまう。この風呂郎が単純に言うなら悪役である。司祭の言葉から罪を感じたフロローはノートルダム大聖堂にカジモドを住まわせ、育てることにする。

 ニコニコ動画に日本語版がありました。

 

 カジモドがすばらしき美声で歌い上げるOut There。

 

 カジモドは二十歳。風呂郎に外の世界には危険がいっぱいだと言われてなかば鐘の塔に幽閉されている。「外の人々はお前を受け入れないぞ。塔の中が一番安全だ。」いわく、風呂郎。いや、一番差別してるのお前だから。というつっこみはともかく、カジモドである。二十歳だって。それが塔の上から楽しそうな日常生活を送るほかの人々を見下ろすだけなんて…。ちなみに、ニコ動http://www.nicovideo.jp/watch/sm1361903によると美女と野獣のベルが端っこにいるらしい。歌の趣旨はアリエルに似ていなくもない。

 

 カジモドはついに意を決して風呂郎にだまってお祭りを見に行くことにする。こっそり。
 それがTopsy Turvyを見ると分かるとおり、こっそりのはずが大変なことになってしまう。

 

 日本語訳では「さかさま祭り」。この日は醜いものが一番美しい、ということでみんな競って醜い顔の仮面をかぶるのだ。あろうことかカジモドは、仮面をかぶっていないのにその醜さから仮面をかぶっていると勘違いされる。治安を守るために風呂郎も祭りを見に来ているのに、舞台に上げられてしまうのだ。子供の頃の私はこの時点でもう見ていられなくなった…。ニコ動の日本語版http://www.nicovideo.jp/watch/sm1364276
 この場面で重要なのがエスメラルダに対する3人の男の反応である。カジモドは舞台の上のエスメラルダにおそらく恐怖心を抱いた。風呂郎のとなりにいる隊長は素直に彼女の美しさに目を見張った。
 問題は風呂郎である。
 「治安を乱す不届き者め」という顔をしつつ、実はこの瞬間が一目ぼれである。ああ恐ろしい。
 上の映像では大歓声に包まれて終わるがこの次の場面が恐ろしい。醜いカジモドに集団で暴力を加えはじめるのである。必要なシーンとはいえ、むごい。
 それをエスメラルダが止めに入る。もとはと言えばエスメラルダのせいで舞台に上げられてしまったのだということは、ここでは忘れることにする。
 

 そしてヒロインの持ち歌。God Help The Outcasts。

 虐げられたものがいます。神様、どうぞあの方たちをお救いください。
 私はなにもいらないから、あの方たちを、どうか、お願い…
 自分の仲間のジプシーたち、そして醜いというだけで迫害されているカジモドのためにエスメラルダは祈る。ジプシーを追う追っ手たちも、ノートルダム大聖堂の中では手出しが出来ないのだ。自分のために祈ってくれる人、エスメラルダ。日本語版もなかなか。http://www.nicovideo.jp/watch/sm1364535
 カジモド、恋に落ちる。
 それから風呂郎の本心が明らかになるHellfire。

 地獄の炎がこの身を焼く 罪の炎がこの身を焦がす
 ここはとにかく恐ろしくて子供には見せられないシーン…
 だからおまえはエスメラルダを追いかけているのか…と。日本語詞はこちらhttp://www.geocities.co.jp/Hollywood-Spotlight/4050/Paroles/34_Le_Bossu_de_Notre_Dame.html#Douce_lueur_:_Infernaleで見られるので確認してみると怖いかも。簡単に言うなら、風呂郎は元祖ストーカーということです。

 映画の最後で、カジモドは救われます。報われないけど、それがどうでもよくなるほど彼の環境は変わります。自分を受け入れてくれる人がいること。それがどれほど人生において大切なことか。なぜ人は人をおとしめるのだろう?なぜ異質なものを排除しようとするのだろう?虐げられた者達のために、あなたは祈ることができますか?
 というわけでほんとのエスメラルダが歌ったであろう歌詞を聞いて結びにしましょう。
 美しすぎるぜ、フランス語版 God Help The Outcasts

 

--------------------------------

2008年の文章ここまで。

そして別の文章でこの歌について詳しく書いているのでそちらも載せます。

以下、2008年の文章

--------------------------------

 

エスメラルダ
ノートルダムの鐘より、God Help The Outcastsの英語詞を解析してみた。
 今回紹介したいのは、エスメラルダのすごいところ。
 英語詞だと、エスメラルダのすごさが分かります。あんな派手な格好で舞台に立つ踊り子ですが、心は誰よりも純粋なんですよね。筆者の拙訳ですが一緒に見てくれるとうれしいです。
 エスメラルダの歌God Help The Outcastsの中間部で歌う、ノートルダム大聖堂にお祈りに来ている一般人たち、英語版ではこう歌っています。

I ask for wealth
I ask for fame
I ask for glory to shine on my name
I ask for love
I can possess
I ask for God and His angels to bless me

私に富を
私に名声を
私の名前に栄光を
私に愛を 
私は手に入れられるはず
私を祝福してください、神よ、天使たちよ

見てください、このきれいに並んだIと私。

みんな自分のために祈っている。
そこで転調して次のエスメラルダ。

I ask for nothing

きました。究極の利他主義。
(一般人たちはいろいろ自分のために欲しがってるものがあるみたいだけど)
私は何もいらない

転調して一音高くなるんですよ。
なんというか、群衆にまぎれないように声高に叫ぶ感がありますよね。
I ask for wealth
I ask for fame
で自分のために祈る群集と
I ask for nothing
で他人のために祈るエスメラルダを対比させる歌なんです、これ。

歌の続きを見ていきましょう。
I ask for nothing
I can get by
私は何とかなるの
But I know so many
Less lucky than I
でも私よりも不幸な人を たくさん知っているの
Please help my people
助けてあげて その人たちを
The poor and downtrod
貧しく、虐げられた人々を
I thought we all were
The children of God
私たちはみな神の子
God help the outcasts
Children of God
神よ、助けてください
虐げられた者たちを 神の子を

 ちなみに訳すのがすごく難しいmy peopleですが「私の民族」=「ジプシーたち」と解釈することも出来るんだけど、この文脈ではカジモドのことも含めてると考えたいですね。ま、カジモドもジプシーの息子なのであながち嘘でもないけど。ちなみに日本語版の訳詞では
「助けてあげて 踏みにじられた その人達を みな神の子」となっているので、「その人たち」を拝借。

 

--------------------------------

2008年の文章ここまで。

そして別の文章でまたノートルダムのことを書いているので貼っておきますね。

以下、2008年の文章

--------------------------------

ノートルダムの謎
 またディズニーの話。
 荒唐無稽な文章を書くつもりです。ご注意。
 語り役のジプシー男、クロパンだが。なぜカジモドのことを知っていたのだろうか?塔に半ば幽閉されて世間に姿を見せなかったはずのカジモド。彼を壇上に上げつつ、クロパンは言うのだ。「カジモド、住処はノートルダム!」まあ、他の一般人も何人かカジモドのことを知っていたようだから、ノートルダム寺院に関心のある人は鐘つき男のことくらい知っていたのだ、と結論づけることもできる。
 そうだとしても疑問が残るのは、冒頭のシーンだ。「誰が怪物で、誰が人間か。」と子供たちに問いを投げかけるクロパン。これは物語の一部始終を見てからでないと語れない話だ。つまり、フロロー判事に対する反乱が起こり、カジモドの活躍によってジプシーたちが助かった後の時点でないと、クロパンは子供たちに「ノートルダムの鐘」の人形劇を見せることができない。
 当然、冒頭の人形劇のシーンは後日談であり、カジモドの活躍の一部始終を見たクロパンがそれを子供たちに語り始めるとともに映画の中では時間が戻っている、つまり時間をさかのぼっていると考えるだろう。

 しかし問題はクロパンの人形劇を聞いている子供達の中に、あの最後のシーンでカジモドにおそるおそる近づいていった女の子がいるのである。

 あの女の子は、純粋な心からカジモドに歩み寄り、その後でクロパンからカジモドの話を聞いたのだろうか?しかし、冒頭のシーンでは女の子は明らかにカジモドのことを知らないようすだ。もしあの感動的な歩み寄りのシーンのあとで、ジプシーのおじさんが鐘つきのお兄さんのことを話し始めたなら、「わたし、その人のこと知ってるよ!この前、ジプシーのきれいなお姉さんを助けた人でしょ」となるはずである。他の子供と一緒になって「このおじちゃん何話そうとしてるんだろう」という表情では、話の流れとしては矛盾が生じる。

 この矛盾を解決する方法を一つ見つけた。

 クロパン タイムスリップ説

 クロパンは手品師だ。時間を越えるくらい、わけもないことだろう。
 彼は事件の一部始終を見て、カジモドにいたく感動した。しかし、あの最後の場面で、女の子が歩み寄る勇気を見せなければ、カジモドが他の人々に受け入れられることはなかったかもしれない。それではカジモドが哀れなので、トプシー・ターヴィーの日の朝にタイムスリップし、子供たちを集めて、醜くても心はまっすぐな鐘つき男の話をする。この中の誰かが、カジモドに歩み寄り、人々に認められるためのきっかけを作ってくれることを祈りながら。
 結果はごらんのとおり。優しい女の子が勇気を出してくれた。女の子にとって見れば驚きの連続だろう。祭りの日から何日間も、ジプシーの手品師が言ったとおりのことが次々と起こるのだ。「あのおじちゃんは予言者なんだろうか?」と疑問を抱いたに違いない。
 クロパンは一度だけタイムパラドックス的ミスを犯してしまった。それが祭りのクライマックスでカジモドに名前も聞かずにカジモドのことを大衆に紹介してしまったことである。しかし、仮面だと思われていたカジモドの顔が素顔だったことへの驚きが勝り、なにかがおかしいことに気付く者は一人もいなかったのだ。こうして、クロパンは悪の判事フロローを倒すために非常に重要な役割を果たしたのである。


 えー、最後まで読んでくれたそこのあなた、まあよく荒唐無稽なことを、と思われることでしょう。実際まったく無粋な深読みであります。ほんとのところは、あの冒頭のシーンは後日談であり、最後の感動シーンに使える女の子のキャラクターデザインのネタが尽きた、といったところでしょう。

 すばらしいテーマを秘めたいい映画だけに、あのシーンでの女の子の絵の使いまわしはいただけなかった……。という嘆きを表現させていただきました。

--------------------------------

2008年の文章ここまで。

最後のタイムスリップ説、ちょっと笑っちゃった!昔の私けっこう面白いな!!

 

2023年11月24日に金曜ロードショーで放送されていたので録画して見ました。

やっぱり最初のほうのカジモドが哀れで見ていられない!って思うけど、

総じて素晴らしい映画ですよね。地上波で放送してくれるのありがたい。

ツイステッドワンダーランドというスマートフォン向けゲームで

ノートルダムの鐘をモチーフにしたイベントが復刻された直後とあって、

感動もひとしおでした。

 

読んでくださってありがとうございます!