岡本喜八監督
原作は半藤一利さんのノンフィクション書籍。
東宝創立35周年記念作品です。
こちらも夏になると なんだか観たくなっちゃう映画。
ジャスミンは10回以上観ています。
お話、簡単に
昭和20年7月26日 午前6時
日本に対して 米・英・中から 無条件降伏を求める
ポツダム宣言が 海外放送で傍受された。
日本は既にこのとき敗戦の色濃く
この宣言を受け入れるか否か
直ちに鈴木総理(笠智衆)の下 緊急会議が開かれるが
結論の出ないうちに
広島、長崎に原爆が投下され 更にソ連が参戦し
日本の敗北は もはや決定的な形相を呈していた。
やがて御前会議に於いて 天皇陛下が戦争終結を望まれ
日本は遂に宣言受諾を決定する。
「国民にこれ以上の 苦痛をなめさせることは忍びない。
私に出来ることは何でもする。
国民に直接呼びかけもするし 陸海軍の兵士たちを説得もしよう」
昭和天皇のこのお言葉に 閣僚たちは思わず嗚咽を漏らす。
映画は
この宣言受諾を正式に決定した 8月14日の正午から
玉音放送によって 終戦が国民に発表される 翌15日正午までの
長い一日を刻々と描いた 緊張感あふれる作品です。
どのシーンも非常に 興味深く見られるのですが
8月15日に放送する終戦詔書を
14日夜、宮内省で 陛下がマイクの前に立たれ
録音するシーンは 特に興味深かったです。
陛下の役は八代目・松本幸四郎さん(初代・白鸚)
昭和天皇については
当時は ご存命で在位中ということもあり
お顔はほとんど映りませんが
この幸四郎さんの「陛下」が
画面に登場されると 周囲のぴん、とした緊張感と共に
厳かな雰囲気まで伝わって来て さすがです。
日常、テレビのCMなんかで
ちらちら顔を見せてるタレントさんでは
どうしようもなく無理な話でしょ。
観てないけど・・
こうして終戦への準備が 着々と行われる中
埼玉県児玉基地からは たくさんの日の丸に送られて
何も知らずに次々と出撃し 散って行く特攻隊の若者たち。
すべてを知りながら
無念の心持ちで彼らを見送る飛行団長 (伊藤雄之助)
さて
陸軍としては あくまで戦争継続を決めていた筈が
御前会議の結果、宣言受諾・終戦となったことに
陸軍大臣・阿南惟幾(あなみこれちか・三船敏郎)は
徹底抗戦を主張する 部下の青年将校たちに
詰め寄られ、責められるが
「天皇陛下は この阿南に
お前の苦しい気持ちはよく分かるが 我慢してくれと涙を流された。
自分としてはこれ以上 反対を申し上げることは出来ない。
不服な者は この阿南の屍を超えて行け!」
と、振り絞るように言う。
翌8月15日・早朝 阿南は切腹して果てますが
この場面は 壮絶すぎて 観ていて辛い。
お腹を斬っただけではない、介錯も自身でやる。
しかし あくまで戦争継続を唱え
血気にはやる陸軍の青年将校たち(高橋悦史・黒沢年男ら)は
クーデター計画に 近衛師団長(島田正吾)を説得するが
説得に失敗し 師団長を暗殺するシーンは
目を覆いたくなるほどの迫力!
傍にいた近衛師団の部下は ギョッキーンと首を撥ねられ
頸動脈を突き刺された 島田正吾さんは
ドバーッと血飛沫をあげて倒れる。
その後は 翌日の玉音放送を阻止するため
陛下の録音した録音盤を奪おうと 皇居(宮内省)や放送局まで占拠し
もうめちゃくちゃに荒らしまわるシーンも
スピーディーで臨場感があります。
脅される放送局職員 (加山雄三)
そして
死ぬ覚悟を決めている三船さんの阿南が
総理の笠智衆さんに
最後のお別れをするシーンも 印象的でした。
小津組と黒澤組
上映時間は157分ですが その尺をまったく感じさせない
冒頭から最後まで続くその緊張感。
岡本喜八監督、見事ですね。
素人のジャスミンが考えると 一日24時間の枠の中
国会や陸軍省、宮内省、また埼玉や神奈川など
あちこちの場所で 同時間に
いろんな人たちが 行動を起こす様子を描くのは
非常に難しそう。
ナレーションは 仲代達矢さんですが
その乾いた口調は ドキュメンタリー映画のようで
また、1967年製作ですが
モノクロで描かれているところも 昭和史を感じます。
岡本監督や三船さんをはじめ
参加した俳優さんもスタッフも
実際に兵隊経験のある人たちが ほとんどだったと書かれています。
それぞれの戦争への想い、熱量が
直に観客に伝わって来るのは
こうした ナマの戦争を生きた人たちによって
創られた作品だからこそと思えます。
大勢の名だたる俳優さんが出演していますが
みなさん、面構えが違います。
たったひとりの 出演女優さんは
鈴木総理大臣邸の女中さん役 新珠三千代さん。
岡本喜八監督と三船さんは
デビュー当時の貧乏時代 一緒に下宿していて
監督と俳優だけの間柄ではありませんでした。
(後に喧嘩別れをしてますが・・・)
また、この映画の監督には
当初『切腹』などの 小林正樹監督が内定していましたが
東宝プロデューサーの藤本真澄さんと小林監督は
以前から折り合いが悪く
脚本の橋本忍さんの仲立ちで 岡本監督に変更。
その代わりに 浮いた小林監督の為に
橋本さんは『上意討ち・拝領妻始末』の脚本を書いた。
ちなみに 1967年のキネマ旬報ベストテンでは
『上意討ち・・』が一位で
『日本の・・』は三位でした。
昭和天皇は この映画の公開年の12月29日に
ご家族と共に ご鑑賞されたそうです。