読書 「2 田中絹代は負けない」 | ゆうべ見た映画

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「松竹映画の栄光と崩壊」他より

『田中絹代は負けない』の 2回目です

 

     赤薔薇

 

松竹撮影所が 蒲田から大船に移った頃

27歳の田中絹代は 

鎌倉山旭ヶ丘に 五百坪の土地を買い

 

ここに3棟合わせて 25部屋もある

「絹代御殿」と呼ばれる豪邸を建てた

 

20代の終わりに近づき スター女優としては 

もう若くはないという 焦りがあった

 

後から 追いかけて来る 

若い女優たちに負けないためには

大船に腰をすえて 仕事に打ち込みたい

 

また ナンバーワン女優を 誇示するためにも

豪邸に住みたいという 思いが強かった

 

「絹代御殿」の両隣りは 侯爵の近衛文麿と 

「世界のテナー」と呼ばれた 

オペラ歌手・藤原義江の別荘がある

 

この地域は 鎌倉山のなかでも 

最も見晴らしが良く 最上の土地であった

 

 

俳優には「人気」とは別に 「格」というものがある

それは 撮影所の各所に 張り出される

「番付表」に 歴然と現れて来る

 

今「格」では 

田中絹代が 大船撮影所のトップであるが

勿論 それは不変ではない

 

この頃の絹代は 

牛肉や豚肉は 口にしなかった

鍋物でも鶏肉以外は 絶対に食べなかった

 

絹代の想いは 相撲取りと同じであった

当時の力士たちは 「四つ足は食わない」と言い

 

土俵の上で

 四つん這いになることに 繋がるとして

牛肉や豚肉を チャンコ鍋に用いなかった

 

絹代にとって 女優生活は土俵である

 

これまで スター女優とは

類まれな「美貌」が 絶対条件だったが

その常識を絹代は破った

 

絹代の武器は 「可憐さ」と「庶民性」である

それだけに 

後から来る「若さ」と「美貌」が怖かった

 

この頃 絹代が恐れていた 若手女優には

川崎弘子、高杉早苗、桑野通子などがいた

 

その筆頭の川崎弘子は 美貌と甘い雰囲気が魅力で

絹代を抜くのは 時間の問題と思われたが

突然、尺八の名手・福田蘭堂と恋に落ち結婚 

 

蘭堂は 

明治の代表的洋画家・青木繁の息子であるが

プレイボーイの悪名高く 弘子の人気は急落した

 

川崎弘子

 

次は 一番、将来性があると 監督たちに言われていた

高杉早苗だったが 彼女も 三世・市川段四郎と結婚

思い切りよく 家庭に入ってしまった

 

高杉早苗

 

そして、桑野通子

彫りのあるマスクと 均整のとれたプロポーションで

群を抜いていた 通子は

 

『有りがたうさん』『兄とその妹』の好演で

名実ともに 桑野通子時代到来を印象づけたが

 

恋仲だった 森永製菓の社員との間に

後年、スター女優になった 桑野みゆきを出産

みゆきが3歳になった頃、惜しくも31歳で急逝した

 

桑野通子

 

絹代は 運の強い女と囁かれた

 

しかし当然ながら

後から後から 新芽は伸びて来る

 

その後まもなく 

頭角を現して来たのが 18歳の高峰三枝子で

絹代は 彼女を激しく意識した

 

高峰三枝子は

薩摩琵琶の名手・高峰築風の娘で

その美貌に加え 東洋英和女学院出身の知性派


品のある おっとりした性格は 監督たちに好かれ

『婚約三羽烏』『浅草の灯』など

次々ヒロインに抜擢されたが
 

それに比べ 

あまりに大スターになってしまった絹代は

 

才能ある監督たちから 敬遠されはじめ

次第に 主演作品から遠のき 

さすがに 色褪せたように見えた

 

しかしやはり、絹代は強運の持ち主だった

その頃

松竹内部で 映画化が決定したのが

川口松太郎原作の『愛染かつら』であった

 

 

つづきます