生きる (1952) 東宝 | ゆうべ見た映画

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懐かしい映画のブログです。
ときどき、「懐かしの銀幕スター」「読書」など
そして「ちょっと休憩」など 入れてます。

 

黒澤明監督

 

 

このままでは 私は死ねない 

死に直面して はじめて生を思う人間の軽薄 

 

生きるとはどういうことか 

誰もが描きたくても 描ききれなかったテーマを 

真正面から取り組んだ見事な作品

 

 

ネタばれ、ご免

 

市役所の市民課長・渡辺勘治(志村喬)

これが この物語の主人公である

 

毎日、書類の山を相手に

黙々と判子を押すだけの 無気力な日々を送っている

 

今この男について、これ以上語るのは退屈なだけである

 

なぜなら彼は、毎日ここで

時間を潰しているだけだからだ

つまり、彼は真に生きているとは言えないからだ

 

 

「高架下の空き地を公園にして欲しい」

 

こうした住民たちの陳情は 

市役所や市議会の中で たらい回しにされ

それはいつまで経っても実現しない

 

役所で自分の地位を守るには

何にもしないことが一番なのである

 

 

ある日、渡辺は体調不良のため診察を受け

自分が 進行した胃癌であることを知る

 

不意に訪れた 死への不安

 

一人では抱えきれない その不安を

渡辺は同居している 息子に打ち明けたかったが

若い息子夫婦は 自分たちのことしか頭にない

 

家を建て直したい算段に

父親の貯金、恩給、退職金までアテにしていて

とても話せる相手ではない

 

自分はいったい、これまで何をしてきたのだろう

 

これまでの 自分の人生の意味を見失った渡辺は 

市役所を無断欠勤し 

今迄、道楽のひとつもせず 貯めこんだ金をおろし

 

飲み屋で偶然知り合った小説家(伊藤雄之助)の案内で

ダンスホールや ストリップショーを遊び歩いたが

それもただ、虚しさだけが残った

 

 

店の弾けるような 賑やかさの中で

地を這うような声で

『ゴンドラの唄』を歌う渡辺

 

 

翌日、渡辺は 

市役所から玩具工場に転職した

元部下の小田切とよ(小田切みき)と偶然に合い

 

それから幾日か 一緒の時間を過ごすうちに

若い彼女の奔放な生き方、その明るさ、生命力に惹かれる

 

やがて渡辺は

自分が胃癌であることを とよに伝え

もう自分には生きる目的も、意味も無いと嘆く

 

「私はあと1年か 半年しか生きられない

 しかし、何かしたい、何かやり遂げて死にたい」

 

とよは 自分が工場で作っている玩具を見せる

 

「こんなものでも作っていると楽しいものよ、

あなたも何か作ってみたら」

 

「これを作るようになってから、

 日本中の赤ん坊と仲良くなった気がするの」

 

彼女のこの言葉は ふと、渡辺の心を動かした

「まだ遅くない、まだ自分にも出来ることがある」

 

不意に立ち上がり 喫茶店の階段を降りていく渡辺の背後から

大勢の若い男女が 

「ハッピーバースディ、トゥーユー」を合唱する

 

まるで、彼の新たな決意の誕生を祝うように・・

 

しかし、無論それは 渡辺に向けて、ではなく

彼と入れ違いに 

階段を上がって来た女性への ハッピーバースデーであったが・・

 

 

 それから5ヶ月後

渡辺は死んだ

 

渡辺の通夜の席で 市役所の同僚たちが

役所に復帰したあとの 渡辺の様子を語る

 

渡辺は復帰後、

頭の固い役所の幹部らを相手に 粘り強く働きかけ

縄張りを持つ、やくざのところにも臆せず出向き

 

ついに住民の要望だった 公園を完成させた

 

 

そして、雪の降る夜

完成した公園のブランコに揺られて 息を引き取った

 

 

同僚たちは 口々に渡辺の功績を讃え

これまでの自分たちが行なってきた やり方を批判しあった

 

だが通夜の翌日には 役所はもとの光景に・・

何も変わっていない・・

 

同僚たちは 新しい課長のもと

相変わらずの「お役所仕事」を続けている

 

しかし、渡辺の造った新しい公園は

子供たちの笑い声で溢れていた

 

       ピンク薔薇

 

当初のタイトルは『渡辺勘治の生涯』だった

 

 

伊藤雄之助に連れられて行く キャバレーのシーンは 

スタジオ内に 新橋の「ショウボート」を参考にセットを作り 

本物のホステス250人を出演させた

 

 

押すな押すなで 踊っているシーンは 

「俯瞰で撮るから この中を人で埋めてくれ」と 

黒澤さんが セットの床にチョークで線を引いた

 

 

『ゴンドラの唄』 

 

志村は 黒澤監督から

「この世のものとは思えないような声で歌ってほしい」

と言われたと言う

 

このとき

黒澤監督42歳、志村喬47歳

 

やっぱり、黒澤さんは凄い人だったんだなあ

42歳にして こんな作品を創り上げるなんて

 

この2年前が『羅生門』

2年後が『七人の侍』

 

       ピンク薔薇

 

志村喬夫人の 政子さんは 

「ウチの人が主役だなんて 観客が入らなかったらどうしよう」と

夜も眠れなかったが 

 

試写会で「志村喬」と  一行で出た夫の名前を見たとき

涙が止まらなくなったそうです

 

 

 

第26回キネマ旬報ベスト・テン第1位

第4回ベルリン国際映画祭・ベルリン市政府特別賞受賞

昭和27年度・芸術祭文部大臣賞受賞