画像は、今年の2月15日(偶然にも私の誕生日)、作新学院に掛かったダブルレインボーです。

 

まるでCGのようですが、ごく普通のデジカメで学院の職員が写した無修正の一枚です。



東京五輪をはじめ社会活動や日々の暮らしの全てが、withコロナによって少なからず影響を受けた2021年が、間もなく暮れようとしています。

 

コロナによって様々な制約を受けできなかったこと、残念だったり悲しかったりということがたしかに多い一年ではありましたが、withコロナだからこそこれまでの生活を客観的に見つめ直し、本質的な問題に気づくことができた貴重な一年でもありました。

 

 

時が経てばもうじき、2022年という新たな年は自動的にやって来ます。

 

けれど「日本の未来」は、もはや手をこまねいていたら決して来ることはない。

 

太平洋戦争開戦から80年、我が国は明らかな「第二の敗戦」を迎えてしまったことを、この大晦日、痛感しています。

 

 

しかし、悲観する必要はないとも思っています。

 

あの敗戦の焼け跡から奇跡の復活を果たし、世界から“Japan as No.1 ”と評されるまでに成長することができた日本が、このまま沈み潰えてしまうことはないと信じているからです。

 

ただ復活のためには、まずは日本の現状を物語る各種データと正面から向き合い、我が国が現在明らかな敗戦状態にあるという事実を客観的に認識することが必須です。

 

例えば、未曾有の速さで進む少子化の中、日本の生命線とも言える科学技術力は低迷を続け、イノベーションを生む土壌である自由で活力ある学問・研究&人材育成の場は細るばかり、デジタル化の遅れを筆頭にグローバル化のスピードからはとうの昔に振り落とされ、生産性の低さは改善されぬまま、その一方で膨らむのは財政赤字と高齢者の比率ばかりと、問題点を(あげつら)えば切りがありません。

 

(参考1:「グランドデザインなき総選挙を終えて」
https://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12707502909.html)

 

(参考2:ノーベル賞受賞者も続々と警鐘 ~危機に直面する日本の基礎科学 [前編]
https://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12419295996.html)
 

 

けれど残念ながらその認識は、日本人の多くに共有されておらず、中でもこの国を動かすパワーを持つ政治家や官僚、大企業の経営者たちに最も共有されていないことが、今この国が抱える最大の危機と言えます。

 

しかしそれもむべなる哉で、自分たちが主導して作り上げて来た日本が、今や大きく傾き沈没寸前であることを認めることは即ち、自分たちの失敗や無策を認めることに他ならない訳ですから、国を動かすパワーと責任を担って来た人たちの多くが現状を正しく認識しようとしないのは、ある意味自然の成り行きかもしれません。

 

 

しかし、幸運にも言論の自由が保証されテクノロジーが発達した民主主義国家に暮らす現代の日本人は、自らの「意思」とほんの少しの「行動力」さえあれば、あらゆる情報に自由かつ容易にアクセスし事実を知ることができます。

 

自分の国の現状を知ることができるのに知る努力を怠り、自分は一介の小市民に過ぎず何も知らされていなかったから何も分かりませんでしたと、この国の命運を事実から目を背け続ける為政者たちに委ね、自分は常に無力な被害者であるかのようなスタンスを取るというのは、如何にもおかしい。

 

なぜなら戦後日本は、歴とした民主主義国家であるわけですから。

 

さらにもう一段の意思と行動力があれば、現行の政治や企業活動に疑義や不満を持つ人は誰でも、その思いをSNSで発信することもできます。

(もちろん日本では、言論の自由を蜘蛛の糸の如くいつの間にか深層心理から縛り上げる「同調圧力」という見えざる敵と、常に闘い続けなければなりませんが・・・)

 

 

日本の未来の扉を開くも開かないも、それは私たち日本人一人ひとりの「意思」と「行動」次第だと私は思います。

 

今年の干支である「辛丑(かのと・うし)」は“痛みを伴う衰退と新たな息吹が交錯し合う”年とされましたが、来年の「壬寅(みずのえ・とら)」は“陽気を育み、春の胎動を助く”年であるようです。

 

「第二の敗戦」が確実となった2021年に続く2022年を、第二の「奇跡の復活」に向けたスタートラインにする!という強い意志を胸に、新たな年の扉を日本人としての矜持と気概を持って開きたいと思います。