東京五輪まで、いよいよ一週間。

 

本来なら、東日本大震災から復興を果たした日本の「レジリエンス(復活力)」を、世界に示す祭典となるはずだった大会は、コロナ禍という試練の中、開催目前に緊急事態宣言が発出され無観客となり、ある意味オリンピック史上特筆される大会となってしまった。

 

開催の3ヶ月延期をずっと主張してきた自分としては

https://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12678785885.html

ワクチン接種も中途半端なら、通常開催できないビハインドを補うためのデジタル活用といった創意工夫もないという、最悪な状況での五輪突入を結果的に招いてしまった現政権の洞察力、戦略性、決断力、責任感の希薄さに嘆息するとともに、このような日本人を育ててしまった、わが国の教育の誤りを痛感するばかりだ。

 

国家の運営に携わる人間が、まともな状況分析や推測一つできず、基本的な判断や初歩的な交渉一つすることもなく、知恵もなく工夫もなく、ただただ場当たりその場しのぎを繰り返しながら、空々しさの極みとも言える「安心安全」という標語を恥ずかしげもなく連呼し、庶民に無為な我慢を長々と強い、その挙句に次世代への借金を膨れ上がらせながら、人々の暮らしを干上がらせ続けている。

 

こんな人間たちに、自分たちの生活や将来を託さねばならないなんて、絶対に間違っている。

 

そう、日本の教育、特に偏差値という単一な評価軸で人間の価値を測るようなこの国の学校教育は、明らかに大きな過ちを犯してきた。

 

その因果の結末が、一週間後の東京五輪という訳だ。

 

 

 

 

しかし、そんな厳しい状況下でも出場選手たちは、ただひたむきに競技と向き合い自己研鑽を重ね、来るべき瞬間を粛々と待っている。

 

 

5月下旬のことだったが、東京五輪に「板飛び込み」の個人とシンクロの2種目で出場が内定した榎本遼香(えのもとはるか)選手が、母校である作新学院へ挨拶に来てくれた。

 

中等部と高等学校の6年間を作新で過ごした榎本選手は、当時から“天才少女”としてマスコミにたびたび取り上げられ、五輪出場を期待されていた。

 

何事にも全力で取り組みとびきり負けず嫌いの彼女は、勉学でも優秀な成績を重ね、卒業後は筑波大学に進学した。

 

そして今や期待された通りオリンピックに出場となれば、さぞ幼少期から順風満帆な人生を送ったと思われがちだが、榎本選手は中等部時代、恩師であり姉妹のように慕っていた若い女性コーチを亡くしている。

 

当時、彼女の落胆とショックはあまりに大きく、一時はもう競技をやめてしまうのではないかと周囲から心配されるほどだった。

 

悲しみを乗り越え競技を続け、高校時代はオリンピック強化選手にも選ばれたが、卒業を前に「肺気腫」を発病、普通の生活すら送れないほど体調を落としてしまう。

 

何年もの時間が過ぎても体調が戻らない中、若手の有望選手は次々と出現し、榎本を追い抜いていく。

 

そんな苦境にあってもなお、彼女は世界への扉を開くことを諦めなかった。

 

長年取り組んできた個人種目をやめ、シンクロ(2人で動作を合わせて飛び込む種目)に転向、女子シンクロでは日本初の世界レベルに届く成績を出せるまでに成長する。

 

今回もシンクロでの東京五輪出場が期待され、実際、出場権を獲得したわけだが、なんと個人でも好成績を打ち出し、シンクロと個人の2種目で五輪出場を決めた。

 

 

ただ、榎本選手のところにも池江璃花子選手などと同様に、五輪出場の辞退を要請するメールが送られて来るそうだ。

 

五輪開催について、選手は何の決定権も持っていない。

 

コロナ禍、しかも緊急事態宣言下で無観客となってしまった自国開催の五輪に向け、精神的にも体力的にも極限まで追い込まれている選手たち個人を、これ以上苦しめることは本当にやめてもらいたいと切に願う。

 

 

 

(画像:読売新聞)

 

(画像:毎日新聞)

 

東京五輪に作新から出場する選手は、オリンピックは金メダルを期待されるスポーツクライミングの楢﨑智亜選手をはじめ、リオ五輪競泳金メダリストの萩野公介選手、同じく競泳バタフライの水沼尚輝選手、そして榎本選手の4名。

 

(画像:下野新聞)

 

 

そしてパラリンピックには、車いすテニスでグランドスラムを制した大谷桃子選手と、車イスバスケの高柗(たかまつ)義伸選手の2名が出場する。

 

(画像:パラスポーツマガジン)

 

大谷選手は作新高校在学中は健常者のテニス選手としてインターハイにも出場しており、その後に病を得ることとなり車椅子生活となった。

 

 

高柗選手は高校入学当時は杖を使用して歩いていたが、在学途中から車イスを使うこととなった。

 

完全にバリアフリーにはなっていない校内を、何人ものクラスメートが車イスごと彼を抱え階段を上り下りして、どこにでも連れて行った。

 

良きクラスメートに恵まれたのだろうが、高柗選手には周囲の者たちをそうさせずにはおかない魅力と人徳があった。

 

卒業式の日、会場である総合体育館の階段から、弾けんばかりの笑顔を湛えた級友たちが担ぐ車イスで一段一段降りてくる高柗選手の、鳳輦の玉座にあるプリンスかと見まごう神々しい笑顔と、その周りで我が事以上に彼の卒業を喜びはしゃぎまくるクラスメートたちの輝きに満ちた瞬間を、私は一生忘れない。

 

 

 

いまや不条理の真骨頂となってしまった東京五輪。

 

しかし出場を決めた選手たち一人ひとりに、私たちの想像を絶するような壮絶で輝かしいドラマが、きっとあるに違いない。

 

そう、一流のアスリートは、人知れず乗り越えた「レジリエンス」のオーラを誰しも(まと)っている。

 

躍動する選手たちが放つ「レジリエンス」の光明こそが、コロナ禍にある世界中の人々に、今を耐え生き抜く力を何より与えてくれると、私はそう信じている。