本日も断捨離です。何時も不燃ごみを捨ててから可燃ごみを捨てに行きます。可燃物の処理場は坂道が続くので、すこしでもガソリンの節約の為に不燃ごみを捨ててから坂道のぼりです。


本日のゴミ


可燃物 30kg 累計 190kg

不燃物 40kg 累計 240kg


可燃物も計って持っていくのですが、いつも10kg少なく言われます。今回も38キロで持って行きました。規定では四捨五入なので40kgのはずなのですが、今回も30kgでした。


町役場のホームページを見たら50kgまで無料となっています。でも事務の人は40kgまで無料と言いました。ひっとして、10kg分の調整があるのかもしれません。とりあえず。50kg持っていき、試してみましょう。



ぶす犬くーちゃん-3
新聞雑誌の資源ごみは重い。今回の燃えないゴミは新聞雑誌とスカパーのパラボラアンテナ一つのみだった。

可燃ごみも今回重いものが多く、比較的車内に隙間があります

本日は計量ミスをしてしまい、不燃物ゴミを50kg持っていってしまった。超過料金はなんと260円。後40円も出せば、不燃物専用のゴミを10枚購入出来る。80キロは出せる。余りにも勿体無い。


慌てて、処理工場に置いたゴミを10キロ分回収に行ったら「よかですよかです。折角置いたゴミ、手数だけが増えるだけ。」との事。助かった・・・環境美化センターのおじちゃん。ありがとう。


本日のゴミ


可燃物 30kg 累計 160kg

不燃物 50kg 累計 200kg

昨日看護師の合格発表があった。日本語教育の世界でも今回の看護師の合格発表に注目していた。そう、インドネシア人、フィリピン人の日本での看護師資格を取得出来るかだ。


今回16人が合格した。滞在期間3年間。その間に日本語を克服し、日本人と全く同じ条件で試験を受けての合格である。


私はこの試験制度に言いたい。人の命に関わる事だからと日本人と同じ試験を受けさせるのは愚行である。人の命に関わる部分は日本語でも「仕事言葉」医療の専門用語がバンバン出てもそもそも日本人でさえなじみの無い言葉例えば「褥瘡(じゅくそう)」のハードルは日本人と同じ。彼らを一番悩ましているのは医療現場でも日常生活でも登場する事がない法律用語である。そして、試験問題独特の言い回しである。これらの用語、言い回しは人の生命がどうのこうのなど関係無い。法規などの試験は彼らの母語でやってしまっても問題は全く無いのだ。彼らは日本で看護師試験に合格し、ずっと日本の医療現場で活躍しても、その間に使わない言葉を試験の為に覚えなければならない。空しすぎる、そして苦しすぎる言葉の習得に苦しめられているのだ。そんな言葉を覚えるくらいならば、看護師としてもっともっと必要な仕事言葉に力を入れたら日本も彼らもウィンウィンの関係になるのに。


日本人がやる日本語での試験が故に彼らにとっての日本語の何が問題なのかが全く見えていない。多分彼らに関わる日本語教員も試験に対して歯がゆい思いを抱きながらもがんばっていたと思う。

今日は土曜日なので、午前中のみ可燃物しかもちこめません。

キッチリ無料で処理してくれるリミット40Kg計り東部清掃工場まで持って行きました。


本日のゴミ


可燃物 40Kg 累計 130キロ

不燃物  0Kg 累計 150キロ



ぶす犬くーちゃん-2

可燃物のみなので、いつもよりもゴミが少ないです。

今日のゴミは殆どが発泡スチロール。軽いのに量がかさばるので、計りもせずにゴミ処理場へもっていったら。なんと・・・・ギリギリ40キロ・・・・危なかった。後少しで超過料金を取られていた。私の家からゴミ処理場までの往復はガソリン500cc位かな・・・


本日のゴミ


可燃物 10 キロ 累計 90キロ

不燃物 40キロ 累計 150キロ


物が捨てられない人間のゴミの種類は資源ごみだ。とうしても、今度使う、今度使うで結局使わない。物を買ったら一回コッキリの使いきりのつもりで今度から購入しよう。



ぶす犬くーちゃん-1

ダンボールで重さを取ったかな・・・・

毎日毎日、断捨離断捨離、捨てる捨てる捨てる。


今までの累計


可燃物 20 + 30 + 30 合計 80キロ

不燃物 40 + 40 + 30 合計 110キロ


これでも全体のおそらく1/50位。多分もっとあると思う。


物を買わない。絶対に買わない。生活をエンジョイする為に必要な物は、テレビと食卓と食器と調理器具と洗濯機とお風呂とそれに関わる物。そもそもカツカツ捨てていったら家が物で溢れる事など無い。


今はゴミ様に生活させてもらっているような感じなのだ。


家主は私だ。ゴミでは無い。


ぶす犬くーちゃん-1

後部座席満杯になった本日のゴミ。これでも60キロしかない。一日80キロまで出せるのだが・・・・そもそも入らないのだ。完全に物が無くなるのはこのペースで二三ヶ月掛かるかな。



ぶす犬くーちゃん-2


ぶす犬くーちゃん-3

捨てろ捨てろ捨てろ。金属だって切り刻む工具も用意したぜ。

生活感が無くなるまで部屋をすっきりさせてやる。

 高校の教科書は全て捨ててしまったのだが・・・・・


 何故か国語便覧だけが残っていた。国語便覧は日本語教師養成講座の最中、講師の馬場先生から話が出た。「非常に優れた便覧です。もっていたら宝物にしてください。」その時まで国語便覧の存在すら知らなかった。先生がそこまで言うのならと、ネットの古本屋で見たら400円で売られていたので購入したのだったが・・・・・


断捨離中に高校の時の国語便覧を発見。私の高校は愛知県の中京大付属高校、安藤美姫、浅田真央の出身校である。だからなんだと言われそうだが、深い意味はない。あーその高校ねぐらいで構わない。


ここでの話しの味噌は愛知県から引越しの為に処分した教科書の中の国語便覧だけが、不思議な事に熊本の私の今暮らす場所に在る事だ。


私は日本語教師になる運命なのかもしれないな。

断捨離をして気が付いた、断捨離のコツはまずここからを決めて始める事だと聞いたので、やったのだが・・・・


捨てられない。勿論、今習っている日本語教育関連は捨てるどころがまだまだ足らない状態なののだが、私が学び続けてきた電子工学、大量の電子部品。これらの関連は特に無理。私自身を捨てるような気がしてしまう。


ハッと気が付いた。


倉庫から片付けなければ・・・・・


倉庫を見たらドン酷い感覚の持ち主でも「完全にいらない・・・・・」と思うものが大半を占めていた。


これさえ捨てれば、後は捨てられない物をそこに詰め込めば良い。


良し、光明が見えたぞ!!!!

 断捨離が難しい。私はアスペルガー症候群なのだ。発達障害の一種で、精神疾患に分類されている。精神疾患とは言っても幻聴や幻覚と会話をしたり、突然ハイテンションになり怒り散らすような事では無い。脳の構造がある部分では子供のままで、ある部分では異常発達しているのだ。なので人が出来る事ができずに、人が出来ない事が簡単に出来てしまう。パソコンのタイピングもそう。私はカナのタッチタイプで高速で叩いてしまう。視覚優位性があり、目で見た記憶が良い。そのために手話を人よりも早く習得してしまった。大局を把握する事が酷く苦手なのだが、人が気が付かない細かい事や矛盾に気が付いてしまう。その為に人との衝突が多い。ほされる。の繰り返しではあった。なので人付き合いが苦手と言うよりも不可能なのだ。熊本に来て15年。未だに近所の人の名前さえ知らない。寄り合いの場所も知らない。今回の震災が起きたら私の事を心配する人はだれ一人居ない。逆に言えば、軽い命。安い命。守る者も無い何時死んでも影響が無い身の上だ。


話がだいぶんそれてしまった。アスペルガーの特徴はアイデアが泉のようにパッパかパッパか沸いてしまう事だ。なので気が取られてしまい、事が進まない。断捨離もそう。使うかも知れない、いや使うの繰り返しで捨てる事が出来ない。昨日から断捨離週間にしたのだが、未だに部屋はゴミだらけ。捨てたい、捨てたい。この身もついでに。


ぶす犬くーちゃん-1


ぶす犬くーちゃん-2


熊本市の下通り商店街のイベントで通りにずらりと雛人形が飾られていた。


下着専門店と雛人形のコラボがすばらしいと感じたのは私だけではないだろう。