~俳優:ジョン・ウエインと放射能~ | 自炊・電子書籍化応援ブログ

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 およそ2週間ぶりでしょうか?…突然に仕事がフル稼働状態となりまして、ブログを見に行くのも更新するのも間々ならなくなり誠に申し訳ございませんでした<(_ _)>

そんな再開のブログですが、今回は僕が大好きだった映画俳優さんの1人‘ジョン・ウエイン(本名:マリオン・ロバート・モリソン)‘氏について少し書いてみたいと思い取りあえず、ブログにまとめるため記憶の補足として色々と調べていたら、「えっ」ってことにブチ当たりました。

ジョン・ウエインと言えばジョン・フォード監督の大ヒット作品「駅馬車」を始め「アパッチ砦」、「黄色いリボン」、「リオ・グランテの砦」など名作西部劇で常に主役(もしくは主役級)を果たし、また戦争映画などではアメリカ型英雄の理想像を演じるなど‘ミスター・アメリカ’と呼称されるほど理想のアメリカ人を具現化した俳優でした。

そんなジョン・ウエインも病魔には勝てず1979年6月11日、胃癌により72歳でこの世を去るのですが……では、何が「えっ」なのかと言うとこの胃癌の原因が問題なのです。

ジョン・ウエインが西部劇で名を馳せた1950年代、世界は東西冷戦の真っ只中!、ソビエト連邦を盟主に社会主義陣営との過酷な核兵器開発が激化し始めた頃でもありました。そんな情勢の中、対立する西側・自由主義陣営の盟主でもあったアメリカはより強力な核兵器開発のため、ネバダ州・ネバダ砂漠で頻繁に核実験を行っていました。特に1951~53年にかけての僅か3年の間に80回以上も実験を行っていたのです。

いくら隔離実験場で爆破実験をしていたとは言え、高濃度の放射能を含んだ死の灰が実験場内だけに留まる訳もなく当然広範囲に拡散し、それらの灰が堆積したネバダ砂漠は大変な放射能汚染地域だった訳です。そして、ここで本日のブログの表題である「ジョン・ウエインと放射能」が関わってくる訳なのです。


当時、西部劇はアメリカ映画界では人気のジャンルの1つであり、その撮影にネバダ州・ネバダ砂漠を始め周辺地域のユタ州やアリゾナ州などがロケ地の常連でした。そしてこれらの地で長期の撮影に参加した俳優陣や監督・スタッフが高確率で癌を発症し、その多くが短命に終わっているのです。

特に1954年に制作されたチンギス・ハンの半生を描いた「征服者」という作品では、ネバダ砂漠で3か月もの長期ロケを行い、加えてスタジオ撮影のためにも60トンもの土砂をネバダ砂漠からハリウッドに持ち込んでいます。このためハリウッド内でも放射性物質による癌の発病が起こりウォルト・ディズニーといった著名人も含め、やはり多くの映画関係者が癌で亡くなっています。

ジョン・ウエインが癌で亡くなったことは知っていましたし、彼の遺作である「ラスト・シューティスト」は癌に侵され苦痛のジョン・ウエインが最後の力を振り絞って撮影に挑んだことは有名なお話しです。そんなウエインの死の原因が実は放射能によるものであった!?……ということは僕にとっては大変驚くべきことでした(…今の今まで知らなんだ!)

このことは広瀬隆さんの著書「ジョン・ウエインはなぜ死んだか」に詳細に書き記されているとのことで早速Amazonから注文しました。

僕は広瀬隆さんという方を全く知りませんでしたが、彼の著書を掻い摘んで説明している文章を読んでみると、1978~83年の全米での癌による死亡率は10人中2人、それに対してハリウッドの映画人の癌死亡率は10人中4人強という凄まじい数字が提示されているのです。

核実験による映画人の発癌との因果関係については公式な発表等を僕は耳にしたことはありませんし、おそらくこのことはアメリカ国内でもタブーなのかも知れません。ただ…今回、俳優:ジョン・ウエインの懐かしい思い出をキーワードにブログを書こうとしたのに、‘放射能汚染’の恐怖を知ることになるとは思いもよりませんでした。

……昨今、東北大震災で被災した地域の1つ福島県の放射能問題が時間の経過と共に社会的に希薄化しつつありますが、ジョン・ウエインの死やその背景にある事情を垣間知ることで、改めて放射能汚染の恐ろしさを感じました。……そして福島第一原発での事故直後にまき起こった‘脱原発’の機運の高まりは一体何だったのか……

…加えて今思うことは10年…20年経過した時、福島で原発事故に遭遇した人々がジョン・ウエインの死と重ならないことを願うばかりです。
(…と言うことで、さらに付け加えれば東電は今、真剣に事後処理に取り組まないと本当にエラいことになると思いますよ
………)。