~日本最古の三輪山・大神神社~ | 自炊・電子書籍化応援ブログ

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 何度もブログで紹介している事ですが、三輪明神・大神神社について今回はその由来伝承・歴史といったものを紹介したいと思います(…近年パワースポットなどといって一部では評判にもなっていますが、そういった擬似科学的なことは抜きにして書いていきます)。

             (三輪山・鳥居↑)      (三輪山・拝殿前↑)
【三輪山が信仰の対象】
奈良県桜井市三輪にある三輪山は日本最古の歴史書[古事記]や奈良時代に編纂された[日本書記]に御諸山(みもろやま)・美和山(みわやま)・三諸岳(みもろのおか)などとして記載され、大物主神(おおものぬしのかみ)が鎮まる神体山として信仰されてきました。
三輪山は標高467m・周囲16kmで、その総面積はおよそ350haを有しています。また南北それぞれに初瀬川(はせがわ)と巻向川(まきむくがわ)が流れ、自然豊かな環境はまさに神が鎮座されるに相応しい神域であると言えるでしょう。

【三輪山についての伝承】
スサノオの息子、スサノオより六世の孫とも言われる大国主神(おおくにぬしのかみ)が少彦名神(すくなひこなのかみ)と共に国造りを進めていた時、協力者の少彦名がなくなられます。大国主は「自分だけでどうやって国造りをすれば良いのだ」と悲嘆にくれていると、そこに海原を照らし神が現れます。その神は大国主の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)であり、大和国の東にある山上に我を祀れば国造りに協力しようと答えます。こうして幸魂奇魂の御諸山が三輪山となり大物主大神(おおものぬしのおおかみ)として大国主の国造りを助けるのです。

【大神神社としての成立】
神武東征以前に纏向一帯(三輪山の北西麓周辺)に勢力を持っていた豪族・磯城彦(しぎひこ)が三輪山を神山として崇拝し、代々族長により盤座祭祀が行われていたことが大神神社の始まりであると考えられます。また先にも記した通り三輪山はそれ自体が神体であることから本殿を持ちません。しかし江戸時代、地元の三輪薬師堂の松田氏を棟梁に拝殿が建立され、これにより神社としての形が整うこととなるのです。

【大神神社の歴史概要】
大国主神と共に国造りを手伝った大物主大神が神体である大神神社の神威は古より全国に示され、また朝廷にあっても鎮護と尊崇の対象でした。特に崇神天皇の御世からその子・太田田根子(おおたたねこ)の時代には手厚く祭られ、その後も長く朝廷の加護を受けました。平安時代には[大神祭]・[鎮花祭]・[三枝祭]が朝廷の政として斎行され、貞観元年(859年)の2月には神階(人臣同様に神様にも位を授ける意)では最高位の正一位となり、その後には大和国一之宮として二十二社の一社に列せられています。中世には大御輪寺や平等寺を中心に三輪流神道が広く全国に普及し人々に強い影響を与えました。近世をむかえると朱印領が寄せられ三輪山は格別な保護をうけるのです。…そして明治時代になると官幣大社となりますが、戦後は国家の管理を離れ今日見る信仰心厚い多くの人々に支えらた国民守護の神社として賑わう日々を送っています。

【大神神社の御利益】
[農業]・[工業]・[商業]・[産業開発]・[方除][治病]・[酒造]・[製薬]・[禁厭]・[交通]・[航海]・[縁結び]等々、人々の暮しや生活全般に関わり守護と御利益を。

                        【交通案内↑】
JR大阪駅から→大阪環状線乗車:鶴橋駅下車→近鉄電車:鶴橋駅乗車・桜井駅下車→JR桜井駅:乗車・三輪駅下車→駅より徒歩10分程度で鳥居前に到着!→鳥居をくぐり参道から拝殿まで7~8分(また桜井駅2番乗り場からは大神神社の二の鳥居までシャトル・バスが運行されています)。
車の場合は西名阪自動車道の天理インターより20分程度で鳥居前駐車場に行けます。

                          (三輪駅↑)
…と言うことで本日は超真面目に僕がよくお参りする
三輪明神・大神神社について何とかまとめ書きしました。興味と関心のある方であんまり遠方でない方は一度足を運んでみてもよいのでは………。
大神神社に一歩足を踏み入れたならば、本当に身が引き締まる感覚と「神様いるよ!」っていう感じを受けますぜぇ~