~コミュニケーションの場・駄菓子屋からネットへ~ | 自炊・電子書籍化応援ブログ

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 ‘駄菓子屋‘……昭和に生まれ、少年・少女時代がドップリ昭和世代だった人々には駄菓子屋の四文字は少なからず郷愁を感じる言葉ではないでしょうか?。

私たちが記憶に留める駄菓子屋は戦後の姿だと思われるますが、その源泉は明治期にまで遡り、日本が工業生産国へと発展するに伴い数を増やし、やがて昭和を向かえた頃には全国で見られるようになっていきます。一方駄菓子の起源は江戸時代の雑穀・水飴を材料に作られた一文菓子が最初だったようで庶民の間食として食されていました
また
駄菓子と呼称された由縁は日本の伝統的製法で作られた上菓子(京の和菓子も同じ)に対して付けられた名称であったようです。
(なお、関西圏では
雑菓子などとも呼ばれていたそうです)

…そんな駄菓子屋は僕が少年時代だった昭和30年~40年代には結構見られた風景でした。学校が終わり放課後急いで家に戻ると宿題もほったらかしに、1日のお小遣い10円をポケットに忍ばせ駄菓子屋へと向かうのです。
そこには遊び仲間をはじめ、知った顔、知らない顔、はたまた上級生や下級生など大勢の子供たちが集い駄菓子を買い求めているのです。
……そんな駄菓子屋空き地と並ぶ少年・少女たちの遊びの場であり、また間違いなく子供たちの新たな出会いも含めたコミュニケーションの場でもあったのです。

‘チクロ、発ガンの元‘(チクロは甘味料の一種で砂糖に比べかなり廉価だったためお菓子などにはよく使われていた)なんて記事が新聞紙面を騒がせていた頃、僕はそんなヤバい材料が使われていたかも知れない駄菓子を頬張りながら友人たちと楽しい時間を過ごしていたのです。
{みかん水}1本5円、1個1円の{飴玉}、{たこ焼き}が5個10円、その他、{ふ菓子}やその親戚みたいな{黒棒}、「どこで作ってんの?」と思うオリジナリティーバリバリの{おもちゃ}や{当てもん}の類などなど…そういったものをチョイスしながら僕たちはある種の価値観の共有を感じたりもしていました。

しかしそんな駄菓子屋も社会環境の変化や、それに伴う子供たちの遊びの嗜好が変わったことで80年代を境に急速に衰退していきます。
加えてコンビニの登場やスナック菓子の爆発的人気、ファミコン……そして今日に見る少子化時代の到来が
駄菓子屋の存在に決定打を与えるのです。
80年代前に子供たちのコミュニケーションの場であった
駄菓子屋は、90年代には受験戦争激化に見られる塾・予備校などに場所を移し、現在ではネットワークを通じた仮想空間へと変わってきました……。

是々非々論はさておき、僕自身は最近ネットを通じたコミュニケーションの価値を少し理解できるようになってきました。この間もブログを通じて親しくして頂いています‘ミックスナッツさん‘が映画「父ちゃんのポーが聞える」の記事へのコメントで、「思い出の共有」という言葉を書き残しておられました。
‘ミックスナッツさん‘は僕の住む大阪から見れば、かなり遠い場所にお住まいの方なのですが、パソコンと言うツールがあったからこそ共有できる思い出や価値観に出会えることを再確認したのです。
それにオフ会を大阪で開いて下さった‘市民さん(山口敦史)‘さんや、‘浪花のいけやんさん‘、‘ヤマナさん‘など…………ネットでのコミュニケーション頭では理解していたのですが実感が湧いてくるのには少し時間がかかりました。

駄菓子屋からPCネットワークへ……
現実世界での対話も仮想世界での対話も、実のところどちらも大切なものであることを感じられる今日この頃でした。