AKB48の被災地訪問活動について | 自炊・電子書籍化応援ブログ

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こんにちは。スタッフとりちゃん、です。

今回はAKB48グループが行っている
被災地支援活動について書きます。


AKB48は、東日本大震災の支援活動として、
震災発生後すぐに「誰かのために」プロジェクトを立ち上げ
義援金寄付や募金活動、
震災以降に発売のCD売上の一部を義援金として寄付、
などの活動をしています。
そして、このプロジェクトのひとつの活動として、
被災地訪問があります。

被災地訪問は、被害を受けた地域・地区に訪問し、
ミニライブを行ったり、ハイタッチ会などを行うものです。
訪問メンバーはその都度変わり、
1回の訪問でだいたい6名くらいが参加しています。
訪問は2011年5月から始まり、毎月1回の頻度で行われいます。

先月5月18日には37回目として宮城県石巻市を訪問していました。






そして一週間後、
5月25日の岩手県滝沢市におけるAKB48全国握手会にて
襲撃事件が起きてしまいます。


この事件については様々な報道がされましたが、
警備体制の見直しが必要なことは明らかでした。
それまでのAKBグループでは、
今週はAKB48、来週はNMB48などのように、
ほぼ毎週土日に握手会が開かれている状況でしたが、
事件後は全ての握手会スケジュールが延期となり、
今後のスケジュールは未定、というのが現状です。

私の勝手な想像では、握手会再開まではあと数ヶ月は必要なのかな、
と思っています。
(私自身はあまり握手会に興味が無いので特に困ってはいません)


そこで、ふと思ったのが被災地訪問のことです。
これまで、毎月欠かさず訪問活動を行っていたのですが、
6月は被災地訪問を行うのか?行えるのか?
というのが疑問でした。

普通に考えれば不特定多数が集まる握手会と、
特定の地域の方のみが集まる被災地訪問は別物です。
(被災地訪問の場所は、他地域のファンが来るのを避けるため、
事前の告知はなく、その地域の自治体のみに告知される)

そのため、この事件の影響で、
毎月実施していた被災地訪問を取り止めるのはなんか違うなー
と考えていたのですが、、、

先日、6月28日に38回目の被災地訪問が行われました。(岩手県山田町)




無事に行うことができ、素直に良かった、と感じました。
これからも被災地訪問は続けていくとのことです。


AKBグループが被災地訪問をすることの意味については、
様々な意見があると思います。
2011年5月の最初の頃は、メンバー自身も
「私達が行っていいのか?」という疑問があったようです。
しかし、総合プロデューサーの秋元康氏から
偽善者と思われても、何もやらないよりはいい
と 言われて、気持ちが楽になったとのことです。

メンバーからは、
笑顔と元気を届けようとしているが、
逆に元気をもらってしまう
という趣旨の発言がよく聞かれ、
今でも悩みながら、色々考えながら活動を続けていることが分かります。

では被災地の方々はどう思っているのか?
被災地の方々も様々な意見があると思いますが、
その一つが垣間見える記事を紹介します。

この記事を書いた「マブリットキバ」さんとは、
岩手のご当地ヒーローのような方で、AKB48のファン。
震災後は、被災地の岩手県山田町で子どもの支援活動をされている方です。

握手会での襲撃事件後に書かれた記事です。(長文です)



夜になってようやく報道関係からの連絡がやんだ
正直、連絡してきた報道の姿勢とやり方には落胆した

しかし、その最後に震災報道では見なかった新しい面を見た
なので少々思うところがある記事になるが
その新しい一面を忘れない為に書き残したい

事件のあった日から、今日の夕方まで報道各社の
取材の申し入れや連絡は凄かった。お構いなしに着信が鳴る

現場の状況を語ってくれだの、事件を目撃した人を紹介してくれだの、
訪問したメンバーさんが襲われたことについてコメントをだの
こども達に事件のコメントをとってくれだの、甚だ呆れるばかりだ

中でも、3年間誰かのためにプロジェクトや訪問でお世話になった
岩手の報道機関の一斉の手のひら返しの報道姿勢には落胆した。

普段は「いつも訪問してくれてありがとう」などとインタビューをしながら
いざ事件が起きると詳細もわからない人間の言葉をそのまま流し
確証も無い情報ばかりを我先に入手しようと走り回る
「血を流した場面はみましたか?」「誰かショックを受けた人を紹介してほしい」

そのためにこども達や町の方々まで連絡し根掘り葉掘りしようとする

以前、同じ県内の報道関係者の方に面と向かってこういわれたときがある。

「ジオラマは素晴らしいが報道の価値は無いし、しようとは思わない
なぜなら、山田町は悪質なNPO問題のイメージがあるので話しにならない
そういうイメージがあるので取材も報道もするわけにはいかないんです」

それが事件が起きると一斉に手のひら返しで取材の攻勢だ
震災のときと同じ、真実などお構いなし。台本ありきの取材方針
自分たちの記事を裏付けるコメントやインタビューがあるまでやめない
最初から「こういうことだろう」というメディアの報道姿勢は決まっている

ここまでは良くあるメディアの姿勢だ

これだけならオレも書き残しておきたいとは思わなかった

ここからは震災では見れなかった新しい面だ

オレは町の方にも当然、報道関係から連絡が行っているだろうと思った
町の方やこども達にも躊躇無く取材を入れているだろうと不安だった
それがこども達や町の人の不安を拡大させるのではと心配だった

だが町の方々から「取材は全て丁寧にお断りしました」との連絡があった

町の方々は全員で今回の取材の趣旨はメンバーさんの為にならないと
判断して全ての取材を断っていたのですよと聞かされ、驚いた

それ以外にも町や被災地訪問があった場所の方々から
事件が県内で起きたことへの謝罪と励ましの連絡を頂いた

メンバーさんやスタッフの方、ショックを受けたファンの方々に
「大変でしょう、とてもやりきれない。心中をお察しするばかりです」
「安全は構築するとして、楽しいことは同一視せず自粛しないでほしい」
と労わる言葉もたくさんいただいた。仮設にすんでいる方々からだ

被災地の方々や町の方々、親御さんもこども達も
混乱に乗じないこと、マイナスイメージに繋がることは
お世話になったメンバーさんやファンの方に対する姿勢ではないと
心を合わせ、一切の報道取材を断ったとする報告には頭が下がった

なぜこんなに連携が取れたのか、そう決断できたのだろうと思った
震災の時の報道ではこんなことは無かった、不思議だった

以前、運営のスタッフさんやメンバーの皆さんから聞いた言葉がある

「一日の訪問で本当に力になっているのかと言われれば難しい
被災地に来て勇気付けるつもりがいつも勇気付けられる
どうしたら本当の力になれるのか、悩みながらでも続けます」

オレはそれにハッキリと答えることができなかった

しかし今、それにようやく自信を持って答えることができる
本当に現地の人々に勇気を与え力になっていたんだと

信頼を得て、メンバーの皆さんやスタッフの皆さん
ファンの皆さんは被災地の方々に愛されていたのだとわかった

「今度はわたし達がメンバーを守る番ですね!」と町の方々は言った

泣いた。

メンバーの皆さんはいつも言う

「わたしなんかで力になっているんでしょうか」と

力になっている。希望になっているんだと伝えたい

続けてきた誰かのためにプロジェクトというものは
汗と涙は無駄ではなかった、答えにたどり着いていたんだ

ファンの方々は遠くからジオラマを見にやってくる
遠くは2000キロから県内の方々まで

みんなが少しでも被災地の役に立とう、いっぱい食べよう
いっぱい笑おうと遠い沿岸の被災地までやってきてくれるのだ

その努力と誠意、優しさは一つになって町の人々や
訪問した場所の人々の気持ちを動かした

震災のときには無かった新しい何かが生まれていたのだ
オレは前に立っていたので、それに気づかなかっただけだった

こども達から連絡があった。親を震災で亡くした子からだ

「キバさん、ジオラマをつくろう!わたしたちはとまっちゃダメ!」

そうだ、未来があるんだ。きっと先には希望が待っているんだ

これからも様々な困難があるとは思いますが、
毎月の被災地訪問は続けてほしいなと思いました。


最後に関連情報を。

・AKB48「誰かのためにプロジェクト」公式ページ
http://www.akb48.co.jp/darekanotameni/



・Wikipedia(ウィキペディア):「誰かのために」プロジェクト


長文になりましたが、
最後まで読んでいただきありがとうございます。