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 教育続きであんまし楽しい内容じゃないですが、今回は日教組(日本教職員組合)についてチョイ書いてみました。

日教組は日本最大の教職員達による労働組合です。彼ら(彼女ら)は【教師の倫理要綱】なるものを掲げ‘科学的真理に従って行動する’と示しています。何だか聞こえはいいように感じますが、実はこれ!徹底した唯物史観であり日教組が寄って立つところはマルクス主義に他ならないのです。…いささか極論ですが彼ら(彼女ら)は国民(生徒・学生達のこと)をこれらの思想に準じて教育し、資本主義社会(国家)を打倒!、社会主義国家を樹立するという革命理念を浸透させようとしているのです。

これだけ見ても、そら恐ろしい組織ですが彼ら(彼女ら)が掲げる案件には少なくとも五つの目標設定があるようです。その1つ目は『資本主義に対して革命を起こすと言うこと(これは大前提みたいなモン)』、2つ目は『日本が中国などの社会主義国家の脅威とならないように教育すること』、3つ目は『日本と言う国家政体を弱体化させ、できれば社会主義国家に作り変えること』、4つ目は『国家権力を敵視する意識を植え付けること』、そして5つ目は『敗戦により創られた東京裁判史観や日本の対外戦争全般に対する自虐史観を継承させること』などです。

こういった思想教育が顕著に見られる事柄としては、例えば日本という国を愛しているという思いや考えを捉えては『右翼』のレッテルを貼ったり、国旗や国歌斉唱を是とすると、前大戦での戦勝国が創作した歴史観を持ち出し『過ちを犯した国家の象徴を讃美するな』と日本国そのものを罵倒する始末。また最近では朝日新聞社が大いに日本の国益を損ねた大ウソキャンペーン・従軍慰安婦捏造史を、今も有難く信奉し『反省と被害者への救済』を叫んでいるお粗末さ………。

こいつらはどうしてそこまでマルクス主義を信奉できるのか理解できません。大体、マルクスが唯物史観に基づき社会主義思想を構築した背景には当時の社会がまだまだ君主による特権階級のモノであったという政治的・歴史的実情があります。それゆえ神をどれほど信奉しても神の恩恵と奇跡が市民を豊かにはしないじゃないか!と考えたマルクスが唯心論を全否定し唯物論の基、社会主義思想を構築したのです。つまりは彼の恨みや怒り・嫉みが生み出した極めて個人的な思想に他ならないのです。

……崩壊したソ連(現ロシア)を見れば分かる通り階級的差別を取っ払い、国民みな平等としても結局、個々の人間の性質(性格)が思想や制度を維持することは無理であったことを歴史は証明しているのです。どんなに思想教育をしようとも人間の本質にある我欲が消えて無くなる訳もなく、何時でも何処でも人は人より多くを望んだり、また楽して美味しい思いをしたい欲望を内在している生き物なのです。そんな人間の本能である精神の基軸部分を、これまた人間の本質である怒りや憎しみ・嫉みを持って生み出されたマルクスの社会主義思想がコントロールすることなどできる訳もないのです。

別に資本主義が素晴らしい!、完成された制度かつ思想だと言っている訳ではありませんが、社会主義より遥かに人間の精神性を汲み取った現実的な思考だと思います。……そんな‘人の本質’を無視した思想を掲げて、この国の教育を担う教育者たちを組織化している日教組が子供たちをより良い方向へと導くことなどナンセンスと言わざるを得ません。

…ところで広島で教員達のいい加減な導きによって尊い生徒の命が失われたことを前回のブログで少し書きましたが、実はこの広島は全国的に見ても日教組の影響力が強い地域なのです。そんな広島の県立・世羅高校の生徒達が修学旅行で韓国を訪れた際、日教組の教員たちは独立運動記念公園(ソウル内)で生徒達に『旧日本帝国侵略と植民地蛮行を謝罪する文章』を朗読させ、さらにそこに並ぶ韓国人たちを前に膝をつかせて謝罪させたのです。

この独立記念公園には由来となる独立門があるのですが、そもそもこの独立記念は日清戦争に勝利した日本が下関条約を以って冊封体制(属国支配)にあった李氏朝鮮を中国より独立・解放させたことに鑑み、韓国人たちが自ら独立を記念し建てた門と記念公園なのです。…それを日教組の教員達は韓国の反日捏造歴史教育に同調し生徒達をあらぬ方向へと誘導、そして意味なく謝罪させたのです。本来ならば、逆に日本が頭を下げられてもおかしくない史実なのに……………。

こんなアホなことが現実に教育と言う名の元に行われている訳ですから本当に始末に負えない連中です(こいつら壊れてるよ~
)。

また非常勤講師という格安なアルバイト教員の推進をしたのも日教組であり、社会主義思想を踏襲しながら現場では仲間内に平気で差別的・格差的存在を創り出す。……彼らの教育観は思想的に偏っているだけでなく人間的にも狭量な視野と、ご都合主義に裏打ちされた行動原理しか持ち得ていないです。教育の順序も組合活動が第一であり生徒達への教育的配慮は二の次……………。

…この夏参議院選挙が行われますが、日教組の支持母体は言うまでもなく民主党です(…あっ、民進党でしたっけ!)。政治にも深く関与し社会を支える鼎の1つである日本教育を蝕む害虫組織。こんな組織が組織として存在すること自体が子供たちの未来に暗雲をはびこらせていることを僕たちはしっかり認識し、できれば駆除すべきだと思うのですが………。












 広島で亡くなられた中学3年生の生徒に際し、まず「心よりのご冥福をお祈り申し上げます」。

…昨年の12月に広島県府中町にある町立府中緑ヶ丘中学校の3年生・男子生徒が自ら命を絶つという大変痛ましい事件が起こりました。これまでも全国の中高などで自殺をする生徒の訃報が報道されたりしてきましたが、その都度に思うことは、ただ、ただ、残念でならないという思いです。

このような悲しい出来事が起こる度に昨今の学校組織、教員の資質についての是非が論じられてきましたが、今回の事件はいよいよもって教育現場の劣化が著しいことを社会全般に知らしめることとなったように思います。そして日々報道される事件の経緯が紛うことなき事実だとすれば、これは由々しき事態であると考えざるを得ません。

皆さんもよく御存知だと思いますが、この生徒が自殺するに至った経緯は高校受験に際して学校推薦が得られなかったことですが、その事実内容が学校組織としては考えられない杜撰さにあったことです。僕も30年近く教職に就いていましたし、進路指導を20年近くやっていたので事実経緯を知った時には「えっ!!」と絶句しました。

この中学校では公立高校受験において不合格が出た場合を考慮し私立高校を専願推薦させることで、生徒が高校へ進学できない事態への予防線を張っていました。このことは多少の進学指導の違いはあるにせよ恐らく殆どの中学校が取組みとして実施していることであり、特に問題とはならないと思います。

また学校長が認め発行する専願推薦書は人物評価に一定の条件があることも中学間で多少の違いを除けば基本のガイドラインは同じだろうと考えます。…問題は推薦書発行の為のガイドラインを実際に発動する時点で起こっているということです。

今回、生徒さんが亡くなられた原因はその推薦書の発行に際し彼の素行に誤ったデータ(万引き履歴)が付加され、それにより専願受験ができないという事が彼を死に追いやったという事実です。これは明らかな人災であり、業務上過失致死という刑事罰に相当するといっても過言ではないかも知れません。

「万引き」という不適切な行為を行った生徒の記録を自殺した生徒の履歴に記載し、しかも最初の段階から記載ミスが分かっていたにも関わらず修正もせず2年間も放置。…こんな組織管理が行われていたことに1つ目の驚き!。そして2つ目の驚きは進路相談(進路面談)での環境設定および、そのやり取りの不自然さや矛盾……少子化が進む今日、廊下で面談を行うという不親切さ、教室も確保できないほど手狭な学校だとはとても思えませんし、またその面談の内容も意味がわかりません。

報道された教師と生徒のやり取りでは「万引き履歴があるので推薦はできない」という教師の言葉に亡くなった生徒は「はい」と答えています。しかしこれは考えにくい(考えられない)事実経緯です。やってもいないことに対して、どんなに気弱な、どんなに口べたな生徒でも疑問を呈するはずです。身に覚えのないことで自身の将来が左右される重大事にこんな矛盾した応答がなされたとは到底思えません。

5回行われた進路相談(進路面談)……学校側が提示した面談内容には自分達の組織、そして教員としての責任回避と保身に走る姿しか思い浮かばないのは僕だけでしょうか?

さらに3つ目の驚きとして、これらの面談内容を補足するように学年主任だか進路主任だか忘れましたが「なかなか自分の思いを口にできない生徒もいるようで…」などとふざけた事を語っていますが、この責任回避がにじみ出ている迷言には驚きを通り越して怒り心頭です。

確かに自己表現が不得手で内向的な生徒もいますが、それこそ教員がしっかりサポートして、幾らかでもコミュニケーション能力向上のために手助けすることが努めでしょう。それに今回亡くなられた生徒に対するクラス仲間や友人たちは、彼の性格は明るくて勉強もできたと答えていますし、また運動部(陸上部)にも所属していたということで普通に活発な生徒だと見うけられます。そんな生徒が自分の思いを…やってもいない万引きを認める受け応えをするでしょうか??……。

組織としてもダメ!、そこに勤める人材も多くがダメ!……そんな教育施設がこうして厳然と存在することはある意味恐怖と同義語です。僕は学校が持つ隠蔽体質を少なからず見てきました。また責任の所在についても回避することに腐心する姿も目の当たりにしたことがあります。僕自身はケンカした形で教育現場に見切りをつけたので(やってられねぇ~と思った!)、あまり偉そうに講釈を垂れるつもりはありませんが、それでも少なからず全国にはこういった体質の学校、そして自己保身に汲々とする教員が潜んでいることは留意しておくべきかと思います。

…それにしても全容を知る担任の嘘偽りない事実説明が必要だと思うのですが、相も変わらず体調不良で発言の場には出てきませんね。ひと一人の命が損なわれているのですから「這ってでも出て来ないと!」と言いたくなります





 最近知ったことなのですが、『こんな立派な人がいたのかぁ~』とつくづく感心させられた人物と出会いました……その人物とは旧日本陸軍・陸軍中将(最終階級)「樋口季一郎」氏という方です。

ナチス・ドイツによる民族浄化運動、いわゆるユダヤ人排絶の悪行は歴史の真実ですが、そんなユダヤ人の命を救った歴史上の人物として私たちは「オスカー・シンドラー」氏や「杉原千畝」氏のことは知っています。

しかし同じようにナチスの迫害から逃れようとした多くのユダヤ人たちの命を救った軍人・「樋口季一郎」のことはほとんど知られていないように思います。……戦後長らく「杉原千畝」の人道的偉業も表に出ることはありませんでした。私たちが彼をして‘命のビザ’のことや人道に対する世界的名誉‘諸国民の中の正義の人’賞をイスラエル国家より授与されたことを知るのはずっと後になってからです。

…では「樋口季一郎」とはどのような人物で、どのような経緯の基にユダヤ人の命脈を繋いだのでしょうか?、わずかですがその概要を書き記したいと思います。

樋口季一郎(ひぐちきいちろう)は兵庫県の三原郡本庄村上本庄(現:南あわじ市)に生を受けます。18歳で岐阜にある樋口家の養子となった彼は大阪陸軍地方幼年学校、陸軍士官学校で優秀な成績を修め陸軍大学校へ進みます。そこで彼は当時日本が仮想敵国としていたロシアについて学び、卒業後はロシア通として満洲・ロシア・ポーランドの駐在武官などを歴任し1935年8月ハルピンに赴任、37年には日中戦争勃発と同じくしてハルピン特務機関長(関東軍・諜報機関のトップ)に就任します。

こうして満洲国・ハルピンに着任した彼ですが、着任早々現地民を食いものにする日本人たちを見て「満州国は日本の属国ではない、人民の主権を尊重し内部干渉を避け、滿人の庇護に極力努める旨」を部下たちに徹底させます。また悪徳日本人を容赦なく摘発し満州国の民意の安定に尽力するのでした。そんな彼を見てアジア地域におけるユダヤ解放運動のリーダー:アブラハム・カウフマン博士(彼はお医者さん)が訪ねてきます。カウフマン博士は樋口にナチスのユダヤ人迫害の非道を全世界に訴えるために極東ユダヤ人大会をこの地で開催させて欲しいと許可を得に来たのでした。

彼はこれを快諾!こうして1938年1月15日・第1回極東ユダヤ人大会が開催されます。そして特筆すべきはこの大会において樋口が日本陸軍の高級将校としてスピーチしたことでした。彼はナチスのユダヤ人迫害を正面切って避難し、また人種差別の愚かさを世界に向けて語ったのです。彼のスピーチは終了するや否や大声援と歓喜、割れんばかりの拍手で迎えられます。しかしこのことは日独防共協定を締結していた日本としては看過できない重大事でした。やがて陸軍内を始め各所より猛烈な非難が樋口に殺到するのでした。

そん中で歴史的事件・偉業はなされます。この年(1938年)満洲国とソ連との国境にあるシベリア鉄道・オトポール駅にナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人たちが足止めされていました。理由は満洲国が入国を拒否したことでユダヤ難民たちは身動きが取れない状態にあったのです。しかも時節は真冬のソ連国境!零下20度以下の中にさらされているユダヤ人難民たち!!……この状況を知った樋口はカウフマン博士の難民救済の要請も含め満洲国外交部や軍上層部にユダヤ難民救出を具申するのです………

…が、しかし樋口の意見は満洲国・外交部からは拒絶されます。なぜなら当時の日本とドイツの関係を考慮する満洲国では到底ユダヤ人救出に動ける訳もなかったからです。しかし日本陸軍(関東軍)は満洲国に対し内面指導という名目で内政干渉できる権利を有していました。樋口は悩みます、そして彼は熟慮した結果「人道上の問題」と結論づけ独断でユダヤ人の救済・保護を決定するのです。決断を下した後の樋口の行動は迅速でした。大連・満鉄本社の松岡総裁(後の松岡外相)に難民救済のための列車を手配させオトポール駅よりユダヤ人たちを輸送、ハルピンへ避難させたのです。この時樋口が救ったユダヤ人は2万人とも言われ、その多くがハルピンに腰を落ちつけたり、上海やアメリカへ渡ったりと命脈を繋ぎます。

この出来事は『オトポール事件』として日本政府および陸軍省内で大変な問題となります。樋口はすでに極東ユダヤ人大会でも問題となるスピーチをし日独関係に幾らか水をさした形となっていました。それゆえ彼への処分の声は強まっていたのです。加えて当然ながらドイツからもヒトラーの片腕と言われるリッペントロップ外相の抗議書が突き付けられていました。…そしてそんな樋口を関東軍司令部・東条英樹参謀長が呼び出します。東条は樋口に事の本質を問い正します。すると樋口は「日本はドイツと盟邦関係ではあるが属国ではない、ゆえにユダヤ民族抹殺がドイツの国策であっても、人道に反するドイツの処置に屈する訳にはいきません!」と答え、東条も「確かに!」と樋口の正当性を認めるのです。……その後ドイツからの再三の抗議に対しても東条は「当然なる人道上の配慮によって行ったことである」とこれを一躍するのでした。

…『オトポール事件』から3年後、日本は連合国相手に大東亜戦争に突入していました。樋口は参謀本部二部長や金沢の第九師団長を務めた後、1942年に北海道・札幌に置かれた北部軍司令官に赴任します。しかしここでも彼は苦汁・苦難の連続に直面するのです。ミッドウェイで大敗した日本の戦局はジリジリと後退していました。そんな中アリューシャン列島のアッツ島に布陣する守備隊は北方より来るアメリカ軍に対し必死の防衛を続けていたのです。樋口司令は幾度も大本営に増援と補給を打診するのですが、大本営はアッツ守備隊を身捨てる決断を樋口に伝えます。こうして樋口は大東亜戦史で最初の玉砕を指揮した司令官として名を残すのです。

アッツ島陥落後、アメリカ軍の次の目標はキスカ島でした。樋口はアッツの二の舞だけはさせてなるものかと強行な態度で大本営にキスカ島守備隊撤退を具申し、ついに撤退に必要な艦船を確保!、これもまた大東亜戦史に残る奇跡の全将兵撤退を成功させます(アメリカ軍はこの完全無欠の撤退作戦をパーフェクト・ゲームとして褒め称えた)。

そして……終戦を向かえた1945年8月15日、北部軍司令としての樋口の戦争も終結するはずだったのですが8月18日、突如としてソ連軍が占守島へ攻撃を仕掛けてきたのでした!報せを受けた樋口司令はまたも選択を迫られます。大本営からは一切の戦闘行為を停止する旨の通達がなされていましたが、しかし現実問題として占守島の民間人の生命は危機に瀕しています。…樋口はソ連軍と対峙する占守島守備隊(第九十一師団)に対し独断で戦闘開始を了承。守備隊はソ連軍を粉砕し上陸部隊を壊滅の一歩手前まで追いやります。しかしここでソ連側が停戦を申し入れ、8月21日に戦闘は終了します。

ソ連の指導者・スターリンはアメリカ軍の日本占領が完遂しない内に北海道までを占領地として手中に収めようとしていたのですが、樋口司令とその貴下にある第九十一師団に侵攻を食い止められ、しかもその間にアメリカ占領軍は北海道に部隊を展開させるに至り、その野望は潰えることとなったのです。

こうしてやっと樋口季一郎の戦争は終わるのですが、こうして簡略ながら彼の足跡をたどってみれば分かる通り、彼は軍人としても一人の人間としても大変立派な人物であったことが分かります。戦後の日本は特に大東亜戦争での軍人批判が著しく教育され、ロクでもない人物像として流布されてきました。しかし、彼・樋口季一郎を含め当時の日本の軍隊には多くの人道主義者、素晴らしい人格者がいたのだと思います。戦争に負けたことで日本軍は鬼畜のような存在として歴史で語られていますが、本当の鬼畜・非人道な行為を繰り返してきたのは勝者であるアメリカやイギリス・フランスであることを人類史から読み解くべきだと思います。

最後に……東京裁判でのお話し。戦犯決定においてソ連のスターリンは北海道占領を阻止された復讐として樋口を戦犯にせよと連合軍の中核・アメリカに強く申し入れてきます。しかしアメリカはこれを断固拒否、しかも占領国軍総司令官・マッカーサーからは樋口を徹底的に守り抜けという命令まで発せられます。…それはなぜか?、そう!あのオトポール事件で救われたユダヤ人たちが全世界に働きかけ樋口季一郎の戦犯決定を阻止したからだったのです。

樋口季一郎………日本軍人を悪鬼の如く描く作家や酷評する評論家達の言葉を胡散臭く感じさせるほどに立派で見事な生き様を僕に見せてくれた偉大な人物です。

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