一昨日(実際には、5月4日に入ってからだったが)アップした記事で、勘違いして、櫻井よしこさんらの宣伝(というか、プロパガンダ?)に乗せられかけて、書いてしまったものがあるので、今回は、それを訂正しておきたい。

 

というのは、この記事である。

 

 

 

櫻井よしこさんらが、主催するこんな集会があった。

 

 

そこで、私は彼らの主張を出来るだけ、正確に伝えようと思って、彼らの集会の写真とか、岸田首相(というよりも、自民党総裁としての立場で寄せたものかもしれないが)からのビデオメッセージの写真などを掲載した。

 

 

実は私自身も、あまり整理ができないままに、『今国会の会期中に、(彼らが)憲法改正の発議をする』ことを目指しているかのようなことを、そのまま書いてしまった(ような気がする)。

 

だが、よくよく考えてみると、『今国会の会期中に、憲法改正の発議をする』ことなど、ありえないことである。

(クーデターでも起こして、今の国会の会期が半永久的に続くようなことを『超法規的に強制する?』みたいなことでも、仕出かせば、『話は別』かもしれないが…。)

 

 

普通に考えると、『憲法改正の手続き』というのは、『現行憲法の規定』に乗っ取って行うべきものである。

そうすると、『各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする』(日本国憲法第96条)とある。

 

そして、憲法改正の発議については、次の流れで行うべきものとされている(ようだ)。

 

 

このように、『憲法改正』に際しては、『憲法改正原案の発議』がなされ、さらに(衆参両院での)憲法審査会での審査、衆参それぞれの本会議での(総議員の3分の2以上の賛成による)可決などを経る必要がある。

 

 

ところが現状ではまだ、『憲法改正原案というものの合意』がなされていない。そればかりでなく、憲法審査会自体が、衆議院のほうは『毎週開催を』と声が出るくらいにそれなりに回数を重ねているが、参議院のほうは、今国会においても数えるほどしか開かれていない。

 

その背景として、参議院は自民党と公明党を合わせても(当選時において)139人(総定数245人中、比率は56%)に過ぎず、衆議院の289人(自民党+公明党、当選時、総定員は465人(比率としては、62%)に比べても比率が低いことがあげられる。

 

それだけでなく、現在の改憲案のなかには、(参議院から見て)参議院の重要性、存在意義を低下させるというような改憲条項も含まれているため、そういう意味でも、参議院における『改憲に対する抵抗感』(もちろん、条文によるので、逆に言うと『9条』などは通りやすいという可能性がなきにしもあらず、らしい)は強いとされている。

 

ところが、現状では、まだ、憲法審査会のそのものの開催頻度は、衆議院に比べて参議院は圧倒的に低いようである。

このような状況で、はっきりいって、『今、国会で(改憲案をまとめ切ったうえで)改憲の発議を』などというのは、『空語』に近い。

 

これは、岸田首相が、『まだ国会の会期末まで、日程があった状況』において、自身の『地位』を高め、『政権延長プラン』に有効に働くように、『早期の改憲発議』みたいな発言をしたこともあったようだが、実際問題として、最近においてはそんなことは言っていない。(ましてや、4月28日の補選で『全敗』をしたことで、ますます『ありえない』話になっている。)

 

 

そのため、5月3日の『改憲派』の集会において、櫻井よしこさんが、さも『今、国会での改憲の発議』がありうるかのような発言を、一部でしていたのは、そのようなことを言わないと、『自分自身の立場』が危うくなってしまうからだろう。

 

つまり、『内部を固める』というか、『バラバラ』になってしまわないようにするための、『プロパガンダ』あるいは『アジテーション』のようなものだと考えるべきだろう。

 

 

このように、『憲法改正手続き』には、まだまだ日数を要するようだ。

 

しかし、もちろん、無限に『余裕?』があるわけではない。また、『現行憲法』に強い『執着心』を持っているのは、(私の見るところ)60歳以上の世代が圧倒的に『支持が大きい』(逆にいうと『改憲』にこだわりを持っている人たちも、同様に高齢化しているようだが…)。

 

そのため、『時間の経過』(つまり、その世代の『消滅』。もちろん、私自身を含めての話である。誤解のないように)とともに、『改憲に対する抵抗力』は低下していく(それとともに、『国際環境の厳しさ』とか『日本の地位の低下』に対する不安とか、不満も増大していくことだろう)と思われる。

 

 

 

だから、いわゆる『護憲派』の人たちが思っているらしい、『平和憲法が日本を守ってくれる』とか、『平和憲法は、周囲の国に対しても、<戦争状態>をひきおこす抵抗力となりうる』(周囲の国が、『平和憲法の理念』に拘束される?)などというのは、『一種の信仰みたいなもの』(宗教心のある人に対しては申し訳ないが…)に過ぎず、やがて、どこかで(どういう条文が、とりあえず対象になるかはわからないが)『憲法改正』がなされるということは、避けられないものと思われる。

 

むしろ、『憲法』が日本人の一部しか尊重せず、また『現実に起こりつつある諸問題に対して非常に無力なもの』と化してしまうよりは、そのような状態の方がむしろ『好ましい』ものとなる可能性が高いのでは…と私自身は将来について、考えている。

 

またまた、文章が長くなってしまったが、『櫻井よしこ氏の集会』で言われたことについて、このように、補足・訂正をしておきたい。