本日(5月3日、既に暦のうえでは、4日だが…)は、憲法記念日だった。

昨夜、ほとんど徹夜で、こんな本を読んでしまったので、今朝は昼近くになってようやく起きた(その前に、『ゴミ出し』とかはしていたが…。)

 

 

この本を読んだのは、最近、『本を最後まですらすら読む』という経験が、あいばらくなかったために、その感覚を取り戻すために読んだもの。

(なお、この本には、『日本の空き家問題』という重要なテーマについても、いろいろヒントになることが書かれているが、筆者の重松清氏が、どういうわけか『明るいメッセージを届けたい』という気持ちが強すぎる?ためだろうか、テレビの『日曜劇場』によく原作を提供している、池井戸潤氏にどこか似ているような、『調子の良すぎるストーリー展開』となっていたのがやや残念な気がする。)

 

この本を徹夜で読んだために、本日は、その『後遺症?』で結局、一日中、家にこもっており、外出しなかった。

その代り、上記の集会(午後2時にスタートして、2時間半かそれ以上やっていた)をネットで見ていた。(私自身は、『護憲派』の言っていることも気になるが、気分としては、<『現行憲法の掲げる理想』から『世界の状況』が外れてしまっているのは、ケシカラン。憲法を守れ>と主張することに対しては、抵抗を感じている。

 

これを見る前は、『百田尚樹氏、あるいは東京15区の補選に立候補していた飯山あかり氏』など、『日本保守党の連中』もこの集会に参加するのかな、と思っていた。

(私は、いわゆる、日本の『自称、保守の政治界隈』で何が起こっているかは、良く知らない。)

 

ところが、この集会のなかで、櫻井よし子氏は、『自分は、堕落した?として攻撃を受けている』が、岸田首相に、今の国会で『憲法改正の発議をしてもらう』ことを追求したいと思っているなどと言っていた。

この内容にもびっくりした。

 

この集会には、岸田首相より、『憲法改正のための発議を目指す』とのビデオメッセージ(現職の総理・総裁のメッセージとしては、これまでになく踏み込んだものであろう)が寄せられていた。

(この集会の模様は、全国で共有されていたようで、この写真は、熊本の集会でその内容を視聴している様子である。)

 

なお、集会に参加して、党の代表者を送り出していたのは、自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党、教育無償化の会などだった。

(参政党などは含まれていなかった。)

 

 

さらに、びっくりしたのは、(これは、もちろん、5月1日くらいの時点からわかっていたことなのだが)飯山あかり氏が、日本保守党の『東京15支部長(つまりは、小選挙区の候補であり続けるということ)』の座を、病気のために辞任するという話を聞いたこと。

 

これも、内容がよくわからないので、結局、ユーチューブで、飯山あかり氏が自分の状況を説明している動画を見た。

(これが、飯山氏自身が発信していた動画の内容である。病気の状況について詳しく話していた。)

 

『つばさの党』というのか?彼女に対して大音響のスピーカーでの攻撃(時には、大きな体格の中年の男たちが、行き道をふさいで、『質問』と称して攻撃をしてくる)を繰り返し、行ってくることに対して、PTSDか何かのような病状を発症してしまったらしい。

(もっとも、彼らは他の政党や候補者に対しても、同様のことをやっていたとも聞く。)

 

これについては、正直言って、この人は『そんなに、メンタルが弱かったのか?』と思わなくもない。

また、選挙に対する取り組み姿勢についても、『本気でやっていたのか?』という疑問を感じてしまうことも事実である。

 

 

だが、根本には、彼女の話をよく聞いていると、彼女自身、日本にいなかった期間(外国で研究生活を送るなどして)が多かったようで、日本の選挙制度がどう変わってきたのか、日本の政治のなかで、何が起こってきたのか、『良く知らない』部分が多々あったらしい。

(これは、私自身を振り返っても、1990年代とか、自分の生活の関係で、『政治のことなど情報を心理的に遮断していた時期』、あるいはその後、中国とか台湾に行ったりして、日本の状況がよくわからなかった時期もあるので、『そのようなことは、十分ありうる』という気がしている。

 

むしろ、そのような人を候補として、引っ張り出してきた『日本保守党』なるグループの体制が問われるのだろう。

 

ともかく、飯山あかりという人の話をよく聞くと、やはり、『日本保守党』というのが、政治に素人の人たちの寄せ集め集団で、小選挙区制のもとで、『政党』でなく『諸派』扱いで出馬した場合、どれほど『ハンディ』があるのか、よく認識しないままに立候補していたらしいということが、何となく見えてきた。

 

そういう意味では、(たしかに)『櫻井よしこ』氏が、(小池百合子氏ではないが)時の権力者の意向に沿いつつ、主張と運動スタイルを変えているのとは全く対照的に(もっとも『憲法改正実現のために』ということなのだろうが)、(あまりにも)『政治音痴』であるらしいことに、驚きを感じた。

 

 

そればかりでなく、飯山氏は、言葉でははっきり言わないが、彼女に対して『個人攻撃』を執拗に繰り返す、集団に対して、『日本保守党』は『守ってくれない』というようなことも、節々で語っていた。

(もしそれが、本当なら、これは『日本保守党』の反省材料であろう。また、飯山氏の言う通りの攻撃を、加えているグループないし個人がいるのであれば、これは『東京15区』に出馬している、(良識ある)全候補が『党派を超えて』反撃すべきところだろうという気もした。

 

もちろん、それは『本来、云々』という建前に過ぎず、『そんなことできるわけないだろう』という声が高いだろうという状況も否定できない。

 

ともかく、このような問題を内側に抱えている、『憲法改正の発議を、今国会で実現しよう』という改憲グループは、相変わらず、矛盾だらけで、『内輪もめ』が絶えないという印象がある。

(ただし、これまでとの違いは、『地震等の災害』に対して危機感を持っている人が、『緊急事態条項』について、具体的な提言を行っていることが印象に残った。

たしかに、いわゆる『護憲』志向の強い人々は、『原発事故』に対する危機感はあっても、『大地震などの天災害』に対しては、具体的な危機感が欠如している傾向があるかもしれない。)

 

そして、現下の世界の状況を考えると、『現憲法を守れ』とか、あたかも日本国憲法を、いわゆる『不磨の大典』(永久的な真理)のようにとらえる動きに対して、『違和感』を感じてしまうのもまた事実である。