【小池都知事の秘密】インサイダー新聞社に守られての『惰性の都政』 後篇
 

 

 

こういう記事を水曜日(24日)にアップした。

 

何やら、同じことをグルグル書き続けているというような気もするのだが、この記事の内容に関連して、まだ書き足りない気がしてしまうので、やや切り口を変えながら、牛のよだれではないが、書いて行きたい。

(というこの原稿は、25日に書き出したのだが、話を広げ過ぎてしまったために、頓挫してしまい、書き直しながら、今頃アップしている次第だ。締まりのない話ではあるが…。)
 

<小池都知事を巡る一連の問題>、正直言って、築地再開発プロジェクトで、今回東京都が『三井不動産・読売連合』を選定したことが、どういう意味を持つのか、よくわからないところがある。
 

これまでの(私の書いた)記事では、『読売新聞社』が『小池知事の学歴詐称疑惑』に関して全く触れようとしない(これに対して、『朝日新聞』などは、直接ではないが、いろいろチクチク、間接的に批判するような紙面を構成している)ことをもって、感覚的に『インサイダー疑惑』みたいなことを書いてしまった。
 

しかし、これはプロジェクト全体としてみると、この『11社の連合体』がどういう意味を持つのか、よくわからないもので、(はっきり言って)『感覚的』に書いたものでしかない。

 


また、告発した側の小島さんについても、バックにどのような利害があるのか、ご本人のいうような『正義感の発露』みたいな話を真に受けて良いのかも、躊躇する部分がある。

今回の一連の出来事で、特徴的な気がしたのは、(少し話を一般化しすぎているのかもしれないが)人々の心に訴えかけている部分は、『ザマアミロ』的なものが大半を占めているのではなかろうか?という疑問である。
 

例えば、『小池都知事』については、『学齢詐称疑惑』が再燃して、苦境に陥るとすれば、『あの緑の狸がいよいよ、窮地に陥ったか』『ザマアミロ』という感覚。
 

これは、彼女のバックにいたとされる、あの元気な女性たちに対する『反感』のなせるわざなのだろうか?
(とすると、こうした感情を覚える者は、『元気な緑の狸の応援団』に反感を覚えるような人たちということで、もしかしたら年配の男性が多いのかもしれない。)
 

今回は、首都圏では『東京15区の衆議院選の補選の行方』と話が結び付いてしまっているところがあるから、いよいよ話が厄介である。
 

しかも、小池氏は、もともとは『都民ファーストの会』として、(『五体不満足』の著者である)乙武洋匡氏と提携して、『花火を打ち上げよう』としていたらしいので、話はいよいよ、ややこしくなる。


今回、『東京15区の補選』には、こんなにたくさんの候補が立候補しているという。
いちおう、新聞報道的には、『立憲民主党』が支援し、共産党、社民党なども相乗りしている『酒井なつみ』 さんが、リードしているなどという話もある。
 

しかし、これに対しては、『立憲共産党の候補』だなどという批判もあり、例えば、労働組合『連合』の女性会長などは、『決して容認できない』などと息巻いているから、実際にどの程度の票が集まるのか、よくわからない。
(だが、この『連合の女性会長』が仮に、現代の『悪代官』的な役割を引き受けてくれれば、『連合の女性会長』に一泡食わせてやろう?ということで、逆に、『立憲民主党』の候補に注目が集まり、票が集中する可能性もなくもない。)
 

他方、今回、(別の意味で)注目されているのは、『日本保守党』という百田尚樹氏、有本香氏らが2023年9月に設立したという政治団体の候補者である『飯山陽(あかり)氏』かもしれない。


彼女は、月刊『Hanada』などでは、前から記事を書いているような人でもある。
(ただし、私は、はなはだ『怠慢』なものでその記事をこれまで、まともに読んだことがなかった。)

 

『イスラム思想研究者』『アラビア語通訳』であるというので、彼女が、小池百合子知事に対して、批判的なのも、小池知事が『ナンチャッテ アラブ通』であるということを、知り尽くしているためという側面もあるのかもしれない。

 

なお、飯山氏は、埼玉県川口市で、トルコから来たクルド人が増加していることに伴って発生している問題を取り上げて、『外国人』が日本で勢力を伸ばしている、このことを見過ごしていると、『いつの間にか、我が国の領土が内部から侵犯されていることになりかねない』『外国人に地方レベルであるとはいえ、参政権を少しでも認めることがあってはならない』といったことを主張しているらしい。
(この辺も、『不勉強』なので、いい加減なことを書いている。)

ただし、今回の東京15区の補選のいろんな候補者の政見放送とか、演説などを見てみたが、飯山あかり氏の演説というのは、驚いてしまったのだが(かなり)品がなく、『これでは、年寄りの票は集められても、若い世代の票集めは難しいのでは…』という印象をもった。

(あくまでも、個人的な感想である。)

 

彼女の演説には、まるで、昔の『大日本愛国党の赤尾敏?』クラスの品のなさを私は感じてしまった。

(江東区の辰巳団地で演説をしたら、5階建ての建物らしいのだが、各階から応援しているような灯りがともったというので、ご本人が『辰巳団地の奇跡』などと表現して、喜んでいた。)

 

だいたい、候補者自身が、偉そうに『罵倒用語』を連呼するのは、今の時代にマッチしていないという気がする。

候補者以外の応援弁士が、いつもの、かなりの高齢者たちが『慣れない演説をする』という風情のものばかりなので、ご本人が、ついつい張り切ってしまうのであろう。

(『日本保守党』というのが、いかに組織実態のなさそうな団体なのかが、良く感じられる。

しかし、『候補者本人』はあくまでも『統一したイメージ』で通すべきであって、『偉そうな大学の先生が、関西弁だったか、東京っぽくない方言で壇上からアジる』みたいなイメージが、混在しているのは、『選挙戦術』上、決して上策とは言えないだろう。)

 

 

その点、例えば『参政党』などは、感覚的に(山本太郎の率いる)『れいわ新選組』に通じるところがあって、かなりスマートである。

(露骨にいうと、『マインドコントロール効果』というか、無意識のうちに『脳内に潜入する』力も、PR動画を作成し、編集、発信する力も、あなどれないものがある。)

 

飯山あかり氏は、『老人世代のアイドル?』には、なれるかもしれないが、それ以上の浸透力は欠如しているような気がした。



こうした飯山氏の演説などが喚起する(人々の)感情というものは、例えば、最近で言うと、『上野で飲食店を買いあさっていた事業家夫婦』(二人とも、中国籍から日本国籍に帰化した人たちであるという話が、週刊誌等で報じられている)が、残忍な殺され方をしたらしいというのは、実は『外国人同士の金儲けのトラブル』が激化した上で発生したようだといった話と結びつくと……

 

『やっぱりねえ』『心配よねえ』『日本人は、あんなに残忍な殺し方はしないわよね』(もっとも、最近、タイでは日本人の実業家?が他の日本人によって殺されたという話もあり、『日本人は、残忍ではない』という話は、あまり当てにならないようでもある。)といった、ムードが醸し出されやすい。
 

 

このように、人々が『感情をゆすぶられやすいような話』が、今ではあちこちに転がっている。
こうしたなかで、岸田首相は、世間にある『安倍派の長期支配』に対する反発を(一面では)利用しながら、自らの政権の延命を図っている(ようだ)。

この『岸田文雄に対するアレコレの感情』が一方ではあり、『岸田だけは許せない』という人もいれば、『安倍派だけは許せない』という人、あるいは、『安倍さんの遺志をきちんと受け継がなかった、安倍派の幹部たちがいけないのだ』という説など、それぞれの人々の、各種各様の説(妄想?)が世間にはうずまいている。
 

これは、アメリカの大統領選挙ともある意味で結びついていて、『バイデン大統領』にひたすら<抱き着く>こと(コミットメントという言葉を軽々しく口にする人)を選択する人々、あるいは、『ほぼトラ』『もしトラ』に備えて、トランプ前大統領の勝利を見据えて、『トランプとのパイプ』をきちんと保険としてかけておくべきという人もいる。
(こうした声を受けて、麻生太郎氏が、訪米しトランプとの『旧交』を温め、『大統領選で勝利したら、ヨロシク』という役割を現に果たしつつあるようである。)


しかし、結局、『トランプ』に対しても、『バイデン』に対しても、実は『ザマアミロ』という感情を抱いている人たちがたくさんいて、そうした感情は、至る所に広がっているという気がしている。
 

結局、私自身、『どうすべき』とかいう意見があるわけでもないのだが、この『ザマアミロ』という感情の渦は、日本のなかでも燃え広がっており、次第に手がつけられなくなりつつあるという気がしている。