この記事の続きだ。

 

 

 

私は、もちろん、『桐島聡』という人物とはもともと面識がないし、第一、『東アジア反日武装戦線』などというのは、私が最も嫌いなタイプの闘争をする連中である。

だから、『桐島聡』が本当は、どういう人物だったとか、彼は自分の人生をどう考えていたのだろうか、などわかるはずもない。

 

ただ、今回の報道ぶりを見ていて、多少、腹が立ったことがあった。

というのは、どこのメディアだったかは忘れたが(どうせ、大したことのない無責任にはやし立てるようなタイプのメディアだろう)、昔、『桐島聡』を運動のなかで知り合ったと称している男が次のようなことを言っていた。

 

この人物は、既にその種の運動とは関係のない人物らしいのだが、それでも、未だに旧幹部といった偉そうな口調で、『桐島は、どういう男か知っているが、はっきり言って、思想的にも大したことがないし、<使えない男>だったよ』、こんなことを言っているのが、記事としてまとめられていた。

 

妙に偉そうな感じの口ぶりだったけど、何をもって、そんな『偉そうな口ぶり』が出来るのか、よくわからなかった。

(大抵、大学教授などの、それらしき『肩書』を入手すると、人は偉そうな態度をとるものである。)

 

私も何人か、元学生運動をやっていた人を知っているが、『大学教授』程度では、普通、さほど偉そうにしないものだろうけど、時には、永年大学教授をやっていたというだけで『名誉教授』と名乗ってもいいよ、という許可を得ている人がいるものである。

 

普通の人は、『名誉教授』というとよっぽど何か業績を挙げたのであろうと勘違いをしている人もいるものだ。

そういう人たちの前では、『名誉教授』先生は、胸を張っているのかもしれない。

(実際は、『名誉教授』というのは、その大学の元教員で、昔の小中学生の『皆勤賞』のように、一定の勤務実績があったということをうたっているに過ぎない。

だから、時々、とんでもない破廉恥罪を犯した人物が、新聞で『名誉教授』と紹介されたりもしている。)

 

 

ただし、今となっては直接、付き合いはないが、元『全共闘の八派の集会』において、党派を代表して演説を行っていたこともある某氏は、学生のころから他党派との交渉において、交渉力を発揮していたらしいが、今や、『日本〇術会議』のお偉いさんOBである(らしい)。

そういう人などは、多分、今でも自らを『ひとかどの人物』と思っているのだろうと感じる。

 

それで、先ほどの『桐島聡』を『あいつは、昔から使えない男だった』と嘆いて見せる元幹部の『評価』を聞くと、『何をいつまでも偉そうなことを言っているのだ』という気がしてしまう。

 

 

この辺は、(私自身)極めて要領の悪い人生を生きてきたので、自分自身の『さえない感じ』が、『桐島聡』に投影(逆投影?)されてしまっているのかもしれない。

 

しかし、最近、報道されている事柄を聞くと、むしろ、『桐島聡』は自分自身の意思で、『自首したり、名乗り出たりしなかった』ようにも見える。

 

もし彼が、指名手配されていた当初は、誰かの助けを得たのかもしれないが、その後は、割合、容易に逃げおおせていたとすると、彼の(50年近くの)『逃亡人生』というのは、それなりに、『自由意志』に基づく、自らが選択した生き方だったのかもしれない、という気がする。

 

今回、『桐島聡』が逮捕された?というようなニュースに触れた時、多くの人が、警察が追いかけ続けて、ようやく捕まえたのだと思ったことだろう。

 

また、身元が分かったというのも、『桐島聡』が以前、逮捕歴とかあって、彼の指紋のデータが警察に把握されていて、それでバレたのだろうと思ったのではなかろうか?

 

しかし、事実として言えば、警察は、『指名手配書』は至る所に貼りっぱなしにはしていたが、現実に追いかけていたということはなかったようである。

そればかりでなく、『桐島聡』については指紋のデータも何もなかったらしいから、本当に『追いかけていたのかどうか』すら怪しいものである。

 

 

どうやら、私たちは、『日本の警察の優秀性』という伝説というか、神話を信じすぎていたようである。

(あらゆる組織の組織風土とか技能や意識が、劣化、風化していく中で警察のレベルだけ維持されているだろうと考えるのは、どうやら『買いかぶり』だったのではないかという気がしている。)

 

未だに、警察は、『本当に桐島聡だったのか、どうか』を判断する手段を持っていないようだ。

 

このような状況であるならば、『桐島聡』は彼の自由意思で、『自首しなかった』『不思議な逃亡生活を続けていたのではないか』と判断してやっても、良いのではないかという気がする。

 

そこでは、それなりに楽しいこともあっただろう。

人との触れ合いも、そこそこあったのかもしれない。

 

 

彼が今回、『名乗り出よう』としたというのは、どういう動機によるものなのか。誰かに『俺は死ぬよ』という挨拶を送りたかったのか、それとも(健康保険にも入っていないので)単純におカネが完全に尽きてしまったからなのか、その辺はわからない。

 

しかし、そういうことは『わからないまま』で、人が死んでゆくことも大いにありうるのではないか、という気もしている。

 

 もし『桐島』なる人物が、若き日に過ちを犯し、その後、それなりにそれを悔いながらも、『まともな人生』になんかは戻れない?として、終生、『雑兵』としての下積みの生き方をまっとうすることを選んだ、不器用な男であったとしたら、そんな人間を糾弾することのできるような人間も、それほど多くないのでは…という気もしてしまう。

 

『甘すぎる』といわれてしまうかもしれないが…。