いちおう、この記事の続きということになる。
私たち夫婦が泊まった、APAの『御堂筋本町前タワー』というホテルの、ちょうど目の前に『船場センタービル』という不思議なビルがあった。
ここは、実は、(昔、山崎豊子の小説などで、その古き世界が描かれた)『船場(せんば)』という江戸時代から繊維問屋が密集した地域を、いわば再開発したものであった。
私は、山崎豊子の小説は、割合、読んでいる方だと思っていたが、彼女の小説は、『社会性』と『娯楽性』が適度にミックスされていて、『小説書き』を商売として考えると、なかなかうまい『やり口』の作家である。
最近、私が読んだものでいうと、例の私が良く行く、東京のほうの京橋にある『国立映画アーカイブ』で『華麗なる一族』の1974年版の映画が上映されたので、実は11月23日に見に行っていた。
(てっきり、ここのブログに感想を書いたと思ったら、書いていなかった。あまりにも強烈な作品なので、敬遠したみたいだった。)
これは、山本薩男監督作品で、仲代達矢が猟銃で自殺する一族の長男の役を演じていた。(テレビ版では、田宮二郎がこの役を演じた。そして、1978年12月28日の田宮二郎自身の最期も、似たような死に方だったので、当時、世間を震撼させたものである。私も、田宮二郎には、何となく親近感を感じていたので、ショックを受けた一人だ。)
銀行の合併による金融業界の再編の話と、この銀行の頭取となる男の、妻と妾を同居させるという異様な生活ぶりとを共に描いていて、卑俗な表現をすると、いやに『サービス精神満点の小説』がもとにあって、それを昔『共産党員』でありながら、娯楽大作を撮るのはお手の物という山本薩男監督とが、タッグを組んでいるから、まあ、面白くないはずはない。
11月23日に国立映画アーカイブで見た作品も(途中、休憩時間をはさんでいたが)211分の大作でありながら、途中で中だるみのようなものは感じさせなかった(と記憶している)。
この作品でも、『山崎豊子という人は、すさまじい世界を平気で描く女傑だな』と改めて感心した。
それで、大阪に来ようと思う直前に、『そういえば、彼女に、大阪の商売人の世界を描いた作品があったな』(というより、むしろ、そうした作品で彼女はデビューを果たしたのだった)と思い出して、図書館から『ぼんち』という小説を借りて、読みだした。
もっとも、この作品、やはりえぐい世界を描いていた。
女系家族である、船場の繊維問屋があって(恐ろしく気位が高い)、そこは代々、最も優秀な番頭を婿にするという習慣がある。
しかし、この婿は、いわば『種馬』として婿に登用されるので、結婚した以降、特に(めでたく)世継ぎの子供が生まれた後は、再び、『使用人』扱いをされる。
そして、顔とか性格の似た、祖母、母、娘(この三人は、血筋がつながっている)の女系家族が、『船場の問屋の気位』と『遊びを含めた文化』を継承していくという、『不気味な世界』を描いた作品である。
この小説を読んだのは、『船場というのはどういうところなのだろうか?』と思いながら、図書館から借りて読み始めたのだが、結局、全部読む時間もなく、途中で辞めてしまった。
(それも、作家織田作之助の『夫婦善哉』など他の作品と、また大阪関連で橋下徹について書かれた本を一遍に読みだしたために、時間がなくなってしまったことが大きな要因だ。
また、文庫本の活字がやや小さくて、電子版なら自在に拡大しつつ見れば良いのだが、読みにくかったというのも、読み切れていない一因である。
まあ、ある種の大阪旅行の『資料』として読み始めたということもあったのでやむを得ないところがあるが…。)
実は、この『船場』という地域と、極めて近い場所に、私たちが泊まったホテルはあった。
『船場』の真向かいみたいな場所であった。
だが、今や、『船場』はすでにない。
『船場センタービル』というビル街みたいなのが、1970年の大阪万博の直前に建てられていたのだが、ここは、『船場』を再開発し、周辺の堀(運河)の幾つかを埋め立て、『船場の街』を再開発したあとに、その上に高速道路を何本か通し、さらにこの高速道路下に『船場センタービル』というビルを建てて、そこに『船場』で商売していた問屋などを入居させたというそのような『荒療治』というか『文明開化?』が行われていたのである。
私も、まさか、『ぼんち』で描かれているような『船場の問屋の世界』が今でもあるとはおもっていなかったが、それにしても、随分、大きな転換が1970年の大阪万博を機に行われていたのだな、と思う。
この『船場センタービル』については、実はBSフジの番組『ビルぶら!レトロ探訪』という俳優・梶原善さんがメインのレポーターを務める番組で、1月5日と15日に放送が行われていて、『船場の歴史』なども織り込みながら紹介していた。
私は、1月5日に放送された『前篇』のほうは、大阪に出発する直前に、その大半を見ていた(例によって、あわてて、直前に見るというスタイルだ)。
こういう番組をやることは、前から予告されていたので、自宅のテレビでも『前篇』だけは録画予約してあったのだが(後篇のほうは録画しそこなった。もっともネットでも見ることが出来そうだが…)、大阪旅行の後、自宅にもどってからもう一度、見てみた。
カミさんにも見せようと試みたが、長いせいもあって、途中で嫌がって『脱落された』。
(前篇は、私たちが実際に訪れた10号館とか9号館などではなく、むしろ真逆の1号館から取材が始まっていて、10号館など訪れた場所のことは一切、入っていなかったことも、彼女の『脱落』の要因の一つかもしれない。
それにカミさんは、大阪旅行で、かなり疲れたみたいだった。)
この番組は、開業から40数年?たった現在、『船場センタービル』が外観などは改装してそれなりに、きれいに見えるところもあるが、実際は『青息吐息』の状態にあることを、比較的、率直に伝えていた。
(私から見ると、この『船場センタービル』の青息吐息の状況は、大阪全体が抱えている問題点、それこそ橋下徹劇場が、ここ何年か大阪府・大阪市をめぐって上演?がされてきた、その原因とも言えるような大阪の『地盤沈下』『直面している矛盾』と、どこか共通するところがあると感じたものである。)
(つづく)