この記事の続きである。

 

 

 

面白いのは、こうした藤木氏のあげたのろしに、呼応する人たちがいろんなところから出てくることである。

当時、91歳になっていた藤木幸夫氏は、やむにやまれず、ある種の『意地』とか『美学』で『横浜港の表玄関=山下ふ頭に、賭博場を作らせてはいけない』『先輩たちの努力を踏みにじってはいけない』という大義を発した。

 

ところが、これが乾ききった砂地にしみわたるように、思いがけない反響の連鎖を引き起こしていった。

 

ある横浜自民党の長老は、以前からIR=賭博に対して警戒を強めていて、大学教授などその方面の研究者の知り合いがいて、その研究者を藤木氏がスタートさせた勉強会?の講師として紹介してくれた。

 

藤木氏がこうした会をスタートさせると、『IR』に対して半信半疑だった横浜、神奈川の古くからの政治家や経営者など多数が、いわば白紙の状態でこうした勉強会に参加し、まじめに勉強をしていった。

 

そればかりでなく、こうした活動を紹介したネット動画などを見て、今度は、アメリカ在住のIR=カジノの設計プランを手掛ける日本人村尾武洋氏が、『我が意を得たり』として、飛行機で飛んでやってきて、『カジノが人間を中毒にして金を巻き上げる、その仕組み』を詳しく説明してくれた。

 

この人は、風貌もユニークだし、自分自身がカジノ設計の中心にいるのだから、話も極めて明確である。

 

こんなことをすれば、自分の商売、生活にも影響しそうで、普通、躊躇しそうものだが、『何も知らない日本人が、金儲けしか頭にないカジノ業者のプロパガンダに騙されているのが、納得できない』『アメリカなどのカジノに来て、損をする人は、自分自身でわかっててやるのだから、しようがない』しかし、『日本人はすっかり、業者のウソに騙されてしまって、こんなプランに飛びついているのを、黙って見ているわけにはいかない』といった義侠心で行動をしたようだ。

 

カジノの裏の裏まで知っている、村尾氏が味方についてくれたのは、本当に大きいことだったのだろう。

通常であれば、このような事業の推進側に回るはずの、政治家や企業家も、村尾氏の話を聞いて『これはIR=カジノを認めるわけにはいかないな』と心底感じる人が、どっと増えたことだろう。

 

このほかにも、いろいろな奇跡のような『つながり』が戦いのなかで生まれ、育っていったことが、この映画のなかでは描かれている。

 

たとえば、藤木氏自身が(自分と同世代の)かつての戦災孤児の『非行少年たち』を組織してつくった『レディアンツ』というグループの仲間たちが、今回のこの戦いでも大きな力となった。

(このメンバーは地域に根を張っているがゆえに、孫やひ孫の世代にまで、後輩たちを増やしていき、絶えることがない。)

 

彼らは、権力者とは無縁の人々であるがゆえに、独自の結びつきを地域のなかではぐくんでいて、そのような力こそが、かつてない『地殻変動』のようなうねりを拡大したのだという。

 

 

こういう映画には、『物事を美化』したり、『面白過ぎる』ようにしてしまっている面もあるかもしれない。

しかし、戦後、大人たちが勝手に態度を急変させていったことに対して、戦災少年たち、非行少年たちが、『大人たちは信用できない』『今後は、自分たちで力を付けて生き抜いていこう』と決意していったこと。

 

藤木氏が、損得を超えて、『IR=カジノ』が地域を滅ぼし、人々の生活を滅ぼす、金儲けのためにそれをごまかして、何でも進めようという輩がいる、

そのことに対して、自分の『生きざま』『散り際』をかけて戦ったとすると、ここで描かれている話というのは、なかなか『良い話』ではないかという気がする。

 

 

もちろん、今後、IR=カジノはどうなるかわからない。

コロナが収束したからと、復活を目指す動きも当然あるだろう。

しかし、2021年の『勝利』の経過と意味を振り返ることは、今後の闘いにつながりそうだ。

 

そういう意味で、この映画は『見てよかった』『この件については、もっと考えていきたい』と思えるような映画だった、

横浜や神奈川の人たちをはじめ、多くのIR=カジノに疑問を感じる人たちに薦めたい。

(案外、『維新』などの地盤の地域でも、この映画を上映していけば、『そういうことなのか』と地域の気分が変わってしまうかもしれない。)

 

何しろ、IR=カジノを推進しようとしているのは、(米中戦争などと一方では言われているが)アメリカ系、中国系など双方の『儲かればあとはどうでも良い』という連中なのである。

 

 

なお、蛇足ではあるが、私はこの映画を見て、黒澤明監督の名作『七人の侍』のことを思い出していた。

『七人の侍』というのは、異なる人々が力を合わせて、野盗の軍団から村を守る物語である。

同時にそれは、農民たちが浪人を利用して、村を守るがそれが成功するや、浪人たちを村から追い払うというしたたかなストーリーでもある。