(昨夜、アップした)この記事の続きである。

 

 

 

山本薩夫監督の(1959年製作の)映画『人間の壁』では、佐賀県教職員組合の1957年2月14日~16日の3日間にわたる『一斉休暇闘争』とほぼほぼ並行して、近隣の炭鉱での『閉鎖反対』あるいは『人員整理反対』の地域ぐるみの戦いが描かれていた。

 

そのため、私は、ある種の『地域のゼネスト?』的な戦いの状況があったのかと思ってしまった。

 

しかし、小説『人間の壁』ではあくまでも、主人公のふみ子(香川京子演じる)の視線を通して、全体状況が描かれている。

 

ふみ子の教え子のなかには、親が炭鉱夫であったり、元炭鉱夫という人も出てきて、ある程度の『炭鉱の状況とのつながり』が示されているが、決してそれがメインではない。

 

山本薩夫監督の映画で、『地域の共闘』が重視されていたのは、監督の映画のプランのなかで、いわば『60年安保闘争の前段』的な位置づけで、民主勢力と反民主勢力のぶつかり合いが、次第に緊迫化している――そのような状況を描き出したかったからではないかという気がする。

 

しかし、どちらがその当時の『リアルな状況』を伝えているのか、当時の地域の労組共闘組織の中で、これらを結びつけようとする動きがどの程度、あったのか? それはこれらの映画と小説の見比べだけでは、わからない。

 

 

もう一つ、面白かったのは、映画『人間の壁』では、一方的に『悪い奴』『裏切者』的な扱いであった(ふみ子の元夫の)志野田健一郎が、小説の中では、一部、彼の視点で描かれている部分もあって、きちんとした『生身の人間』として描かれていたことである。

 

何しろ映画では、南原伸二(後の南原宏治)が志野田役を演じていることもあって、最初から『キリストを裏切ったユダ』のように、胡散臭い男として描かれている。

 

それが小説では、彼には彼の『言い分』があるかのような描き方になっている。

 

妻・ふみ子とうまく行かなくなったきっかけにしても、当初、ふみ子の側が『親を安心させるために』と功利主義的に立ち回って、結婚に同意していたことなども記述している。

(映画のように、ふみ子は『純真・潔癖』な女性ではなく、『優柔不断』でもあり、『ずるさもある』女性として描かれている。)

 

さらに、もう一人興味深い人物として、ふみ子の同僚教師の一条先生という人がいる。

 

この人物は、『小利口』であり、『労組側の理屈』も『当局側の事情や理屈』も周知していて、なおかつ、『労組の戦いは、成り行きで盛り上がることがあっても、最後はつぶされるだろうから、深入りしないほうが賢明だ』と言ったり、『人間はずるいのだから、みんながヤレヤレとけしかけている間は良いが、その後は、どうなるか知りませんよ』などと冷や水を浴びせることを、平気で話す人物である。

(映画では、高橋昌也という役者が演じている。)

 

この人物も、特に小説の中では、『石川達三のもう一つの声』としての重要な役割を担っているようだ。

(映画では、ある種、漫画的な人物にとどまっているが…。)

 

実際、佐賀県教組の戦いというのは、ある意味では、『各地の県教組のなかでも組織が弱い』とされていたらしいのが、『定員削減反対』『教育を守れ』的な運動が広がっていく中で、現場の教師のなかでは『押せ押せムード』が高まっていって、当局の側が警察や検察と一体となって、弾圧を準備しているのに、それに構わず突き進んでいって、結局、足元をすくわれる結果になった側面もあったらしい。

(このあたりの、『運動の盛り上がりの危なっかしさ』を一条先生の口を通して、石川達三は語らせていると感じた。)

 

しかし、小説『人間の壁』というのは、佐賀県教組の戦いのその後という視点で見ると、意外と大きな役割も果たしていたようだ。

 

実際、この小説のなかで語られているのは、『教師という身分』の『社会的には、時には先生と持ち上げられながら』、実際には、給料も安く、さらに長時間労働(自宅への持ち帰りの仕事も含めて)を強いられるという、『矛盾に満ちた存在』である。

 

特に当時は、『団塊の世代』等のベビーラッシュの時代であり、また、戦後の引揚者の急増の影響もあって、どんどん生徒数が増え、オンボロ校舎の増設とか雨漏りなど、今の時代とは様変わりの問題を多く抱えていた。

(この小説の小学校及びその周辺校では、一クラス平均が58.88人という数字が記載されている。おまけに、その後の財政難による定員減さらには、県教組の闘争に対する処分や人員整理などで、その後、一層、一クラスの生徒数が増加し、教師不足が進行するといった有様だった。)

 

ところが、教師が校長や当局から、しめつけが多くなりながら(その結果、事務作業が急増するというのは、今も昔も同じらしい)、ほとんど『モノ言わず、働かせられる』という状況に、石川達三は、怒りを感じたらしい。

(同時に、『教研集会』などで、『理想的な教育』『生徒たちの自主性や創造性の引き出し』のために教師集団が、さまざまな知恵を発揮している様に、彼は感動したようだ。)

 

こうした事情から、この小説『人間の壁』では、当時の学校や生徒、教師たちの置かれた困難な状況が、リアルに描かれている。

 

その結果、(ネットの記事などにも書かれているが)当局の側による『佐賀県教組』に対する刑事弾圧、行政処分の乱発にもかかわらず、彼らは一方的に『教組の側』を叩くだけでは、世論を納得させることはできなかったらしい。

これらのウィキペディアの記事(『佐教組事件』の項目である)にも書かれているように、小説『人間の壁』は、読者に対して大きな反響を獲得して、その結果(も影響して)、1963年に『公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律』が改正され、学級編成と教職員定数を明確に定めた法律を制定するというきっかけにもなったようである。

(この辺は、本来、教育の歴史を書いた専門書などにも目を通すべきところだろうが、現状ではこのくらいしかわからない。)

 

最後に、小説『人間の壁』の下巻(岩波現代文庫)の巻末におさめられている、佐藤忠男さんの『解説』の一節を引用してみたい。

 

<戦後民主主義という言葉がある。…日本の民主主義が、自力でかちとったものではない弱さを持っていることは否定できない。しかし、ではまるまる支配者から与えられただけの、だからいつでもまた取り上げられてしまいかねないほどの弱いものだと自嘲するにも当たらない。>

 

<小説『人間の壁』は、そういう日本の戦後の民主主義の浸透過程、確立過程の貴重な記録というべきではなかろうか。そこにはまあ、あまりたいした英雄もいないかもしれないが、日本の民主主義の身の丈にふさわしい良き人々、愛すべき人々が確かな手応えのある群像として息づいており、そこに私は、近年ややもすれば否定的なニュアンスをともなって語られる傾向さえ生じている戦後民主主義というあいまいな理念の初心や志を正しく読みとりたいと思う。>

 

2001年9月に第1刷が発行されたこの『人間の壁(下)』に収録された解説(おそらく、2001年に書かれたものなのだろう)の言葉は、それこそ、『戦後民主主義』どころか『民主主義』そのものも、それを否定することが、何やら流行になってしまったかのような最近の風潮を考えると、今更ながら、『重み』を感じてしまう。

 

やはり、『過去の歴史、つまり現実はどうだったのか?』『当時の人たちは、何を考えていたのか?』そうしたことは、『どうでも良い』ことでは、決してないと思う。

(そして、そうした事柄を知るうえで、『映画』や『小説』などは資料として重要だろう。)