南京事件の証言 大阪朝日新聞 山本治上海支局員 | 誇りが育つ日本の歴史

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南京事件の証言 大阪朝日新聞 山本治上海支局員

 

南京事変の証言です。

大阪朝日新聞 山本治上海支局員

 

南京に着いたのはいつですか?

山本「着いたのは、入城式(昭和12年12月17日)の日の午後で、入城式の終わったあとでした。」

 

南京の様子はどうでしたか?

山本「城壁の周りには中国兵の死体がありました。中山門から見た時、場内は何箇所も煙が上がっているのが見えました。」

 

城内の様子はどうでしたか?

山本「特別変わったことはありません。南京で印象的なのは城壁で中国兵の死体を見たくらいです」

 

虐殺があったと言われていますが?

山本「全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはありません。誰もそういうことを言ったことがありません。朝日新聞では話題になったこともありません」

 

難民区(安全区)はご覧になっていますか?

山本「難民区は兵隊や憲兵がいては入れませんでした。そういうことですから市民は安全でした。

 

一般市民の死体というのは一つも見ていません。紅卍字会の人が戦死体を片付けたりしていました。」

 

南京には何日間いましたか?

山本「数日間いて自動車で戻りました。」

 

上海や杭州でも南京大虐殺は聞いていませんか?

山本「一度も聞いていません。上海支局長の白川さんは軍の最高幹部とも付き合いがありましたけれど、白川さんからも聞いたことはありませんでした。」

 

南京大虐殺はあったと言われていますが?

山本「事件というようなものはなかったと思います。私も見ていませんし、朝日でも話題になっていません。

 

また、あの市民の数と中国軍の動きでそういうことが起きるはずがありません。

 

私が上海、南京で見た死体というのは、最初、黄浦江の船の周りにあったたくさんの中国兵と、上海市街戦での戦死体です。

 

あとは南京の城壁ですね。城壁の死体は綺麗なもので、首を切られたとかいう虐殺されたものではありません。

 

戦死体は弾が当たって死ぬので綺麗です。

 

それと虐殺という表現ですが、戦場では、普通最も悪いとされていることが、最大の功績になるわけです。

 

平和になって平和時の感覚で言うのは、何も意味がないと思います。

 

そう言う基準で虐殺と言っているような気がします。

 

私は昭和15年になって召集され、少尉として従軍しました。この時は自分で攻撃命令も出したこともあります。

 

ですから自分で戦争もしていますし、また、記者として客観的にも見ていますが、そう言う体験から見ても虐殺事件というのはどうでしょうか」

 

参考図書

「南京事件 日本人48人の証言」阿羅健一著 小学館文庫