幻のアイヌ独立国
今、アイヌの人達は、日本からの独立自治を勝ち取ろうと様々な活動をしています。
なぜ、今頃になって独立しようと躍起になっているのでしょうか?
実は、アイヌの独立は、戦後間も無い頃に実現していたかもしれませんでした。
1947年、占領下の日本で、北海道と本州北部を担当していた、第11空挺師団の司令官であるジョセフ・スイング将軍 (Joseph May Swing)が、アイヌの長老たちを呼び出しました。
呼び出されたアイヌの代表は、椎久堅市氏、小川佐助氏、森久吉氏、文字常太氏の四名でした。
この時のヒアリングで、アイヌの長老達は、アイヌは、他の日本人とは異なる民族を構成しない、と説明しました。
アイヌの長老達は、日本人と異なる民族として独立することには、興味がありませんでした。
戦後のアイヌ協会の活動は、アイヌ民族の主体性を確立することではなく、日本内地へのより深い同化を達成しようと心掛けていきました。
以下は、スウィング少将とアイヌの長老達との米軍聴聞会での会話です。
“あなた方は、日本人ですか? それとも特別なアイヌ人ですか?”
椎久堅市氏
“我々は日本人です。特殊な人種ではありません。”
文字常太氏
“今はアイヌだといってのたまわってますが、祖先は日本人であったのではないかと思います。わしも日本人です。”
小川佐助氏、森久吉氏も同じ意見でした。
またスウィング少将は、次のように言いました。
“あなた方が独立したいなら、今です。今こそアイヌ人が独立するときです。”と。
なんと、占領軍は、アイヌの人達に日本から独立するように勧めていたのです。
しかし、長老達は
“私達は日本から独立することなど考えてません。日本人として祖国の再建に尽くします”、と。
スウィング少将は、それを聞いて忠告しました。
“お前たち、今、日本から独立しないというのなら、今後、シャモと喧嘩するんじゃないぞ。
絶対に、シャモと喧嘩するなよ。
それだけを忠告しておく。”と。
(“シャモ”とは、アイヌの人達が、和人のことを指して言う呼び名。)
和人と結婚したり、日本の学校教育を受けて育っていたので、自分は日本人である、というアイデンティティの方が強かったのでしょう。
同じ日本人なら、内地(本州、四国、九州を指していう呼び名)から独立する必要などなかったのです。
このアイヌの長老達と、占領軍の北海道担当指揮官との会談から、約70年。
今、アイヌの人達は、日本内地からの独立自治を勝ち取ろうと、国会で様々な活動をしています。
かつて、アイヌの独立を勧められたにもかかわらず、その誘いを拒否したアイヌの長老達。
その独立を拒否した長老達は、占領軍から忠告されました。
“今後、絶対に、シャモと喧嘩するなよ”
その忠告を今のアイヌの人達は、忘れてしまったのでしょう。
いや、もしかしたら知らないのかもしれません。
参考図書
北海道ウタリ協会『アイヌ史 資料編3』