占領軍による教育改革 京都勅語 | 誇りが育つ日本の歴史

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占領軍による教育改革 京都勅語

昭和21年3月6日、占領中の日本に、米国から教育使節団がきました。

 

団長は、ジョージ・D・ストダード(George D. Stoddard)

 

日本側では、教育使節団に対応するために教育家委員会が組織され、東京大学総長の南原繁が、その委員長となりました。

 

教育使節団のメンバーの一人に、ジョージ・S・カウンツ(Geroge S. Counts)がいました。

 

彼は、報告書の国語改革の部分を担当したのですが、米国の国務省から依頼が来た時、断りました。

 

その理由は、日本語の事はよくわからないので、という事でした。

 

しかし、日本語について知らなくても良かったのです。

 

なぜなら、マッカーサーが推し進めている、日本の民主化に貢献できるような改革が出来れば、それで良かったからです。

 

昭和20年3月30日、ジョージ・S・カウンツの他、使節団のメンバー達は、日本に滞在した20日間で報告書をまとめ、マッカーサーに提出しました。

 

その報告書には、何が書かれていたのでしょうか?

 

日本語のローマ字化。

 

漢字を廃止して、日本語をローマ字を使って表現する事、とありました。

 

日本の小学生達は、漢字を覚えたり書いたりする、というつまらぬ仕事に割くことを要求されている。

 

そして、その習得のために膨大な時間を使っている。

 

そのため、自然界や人間社会についての本質的な知識の獲得に、捧げる事のできる時間が少なくなっている。

 

これからは、漢字を全面的に廃止して、すべてローマ字で表記する事が、日本の将来のために良い、と。

 

報告書には書かれてませんでしたが、さらにもっとも重要な事が、ローマ字採用に隠されていました。

 

それは、漢字を全面的に廃止すると、日本人は、歴史的文書を読めなくなるので、日本の歴史や文化の分断、断絶ができるようになる、という事でした。

 

この報告書に従って、昭和21年(1946年)4月1日、全編ローマ字で書かれた児童雑誌「Robin」創刊。

 

昭和21年(1946年)11月、米国国務省でローマ字化大賛成派の国務次官捕ジョン・ヘンリー・ヒルドリング(John Henry Hilldring)とベントンは、教育使節団の報告書を読み、政策文書「日本の国字改革と国語問題」を作成。

 

そして、国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCC)の審議に付託しました。

 

ジョン・ヒルドリングは、「民主主義体制は、適切な情報を与えられた選挙民があってこそ機能するのだが、そうした選挙民を育てるのに妨げとなっているのが日本語の表記方法である」

とジョージ・アチソン・ジュニア(George Atcheson Jr)に説明。

 

ジョージ・アチソンは、この件をマッカーサーに相談すると、次のような意見を述べました。

「これは、日本人自身にまかせるべき問題だ」と。

 

また、「この問題をこれ以上騒ぎ立てるのは賢明でない」と。


ジョージ・アチソンは、このマッカーサーの意見をヒルドリングに書き送りました。

 

ワシントンの国務省では、マッカーサーの意見に従い、日本語ローマ字化の政策を撤回。

 

マッカーサーの、「日本国民の意思に任せる」、という意見や、ワシントンが、日本語のローマ字化の政策提言を撤回したという事も知らずに、

 

昭和22年4月、学校の教育現場で、小学四年生からローマ字を教えるようになりました。

 

一方、ローマ字雑誌は、一時は27誌も創刊されたのですが、昭和25年10月には、わずか2誌が残るのみで、他の雑誌は売れずに廃刊となりました。

 

日本の国語審議会でも、日本語のローマ字化が議論され、昭和27年に日本の主権が回復した後も、

 

小学校では、ローマ字教育が実施されていきましたが、ローマ字が普及することはありませんでした。

 

同じ漢字廃止の中で、ローマ字教育の他に、仮名文字を推進する人達もいました。

 

教育家委員長であった南原繁は、漢字を廃止してローマ字にする国語改革について、全く反論しませんでした。

 

 

書道と、柔道、剣道、空手などの武道も全面的に廃止。

 

その理由は、軍国主義につながるというものでした。

 

 

各都道府県単位に教育委員会を設立。

 

戦前の日本では、文部省が権限を集中して持っており、一元的に教育方針を決めていました。

 

これは民主的ではない。

 

そこで、各都道府県単位に教育委員会を作り、それぞれの地域で、教育方針を決めていくべきである、と。

 

教育使節団のドナルド ニュージェントが、米国の教育制度をモデルにして提言しました。

 

修身の授業の廃止。

 

修身の学科は、日本人が、忠義心を通して従順な公民になる事を目的としていたので、これは軍国主義につながる、という理由で廃止にされました。

 

神話と歴史の分離。

 

日本の歴史と神話が意図的に混同されていたので、客観的な歴史から日本神話を分離して、他の民族と同じように、文学として保存する。

 

 

男子校、女子校から男女共学へ。

 

明治24年(1891年)、「学級編成等に関する規則」が発行。

 

尋常小学校の1、2年だけを共学として、3年生以降は男女別々の学ぶこととしていました。

 

また、男子と女子で、カリキュラムも教科書も全く別な物とすることが、公立、私立の各学校に義務付けられました。

 

それに対して、報告書では、男女平等が民主的であるため、男子校と女子校を廃止して、男女共学にすることを提言しました。

 

男子校、女子校が、終戦まで日本全国にあったのはなぜでしょうか?

 

例えば数学。

 

女子は数学が苦手という先入観が先生にも生徒にもあるので、男女共学にしてしまうと数学の成績上位は男子生徒が占めます。

 

しかし、女子校で同じテストをすると、男女共学の成績上位者と同じくらいの成績を女子校生徒がとります。

 

女子校では女子しかいなので、男子と比較して女子が劣っている、という先入観がないからかもしれません。

 

これは数学の一例ですが、共学にするより男子校、女子校と分けた方が、成績や能力が伸びるために、戦前の日本では、全国的に男女を別々にしたのでしょう。

 

 

義務教育

 

明治33年(1900年)、尋常小学校の授業料が無償化となり、1915年(大正4年)には通学率が90%以上でした。

 

義務教育期間は、尋常小学校修了するか14才になることの、どちらか早い方まで、とされていました。

 

報告書では、小学校6年、中学校3年の9年間を、義務教育として学び、6才から15才までを義務教育期間とする、と提言しました。

 

また、それまであった飛び級制度を廃止。

 

理由は、皆、年令に応じて平等に授業を受けなければならない。

 

学力に応じて飛び級などしたら、他の学力のない人と不公平になる。という理屈でした。

 

ちなみに、米国では、15才の子供が大学に入学して学んだりしており、飛び級は当たり前にあります。

 

 

安倍文部大臣

ロバートポール

ヒルガード

前田多門 文部省

 

 

 

教育勅語の廃止。

 

その替わりに、”京都勅語”というものを導入しようとしました。

 

シーフェリン司令官は、マッカーサー宛てに次のように手紙を送りました。

「マッカーサー元帥がこれを拒否するようなら、大変な損失です。

 

マッカーサー元帥が、いま学校に浸透している日本人の権力に対する服従と尊敬の念を、継続的に利用しようと思っているのなら、天皇に勧めて新しい勅語を出させるべきです。

 

マッカーサー元帥が、日本人の考え方を無理のない方法で変えようと望むのなら、これ(京都勅語)しかありません。」と。

 

このシーフェリン司令官からの手紙を受けとったダイク局長は、教育部に回しましたが、教育部では、マッカーサー元帥まで報告する事なく放置。

 

七カ月後の1946年7月まで何もしない

 

京都勅語

 

朕思うに、皇祖こうのうに教育に関する勅語をたまいてより、じに五十有5年、国運に興隆し国威四海に輝くを得たり。

しかるに我が国、今や空前の苦艱(くかん)に遭遇し、再建の前途なお遼遠なり。

 

顧みるに、維新以来の国運の隆昌はもすれば、人心の安逸(あんいつ)を招き、国事を後にして専ら一身の栄達一家の繁盛を希うの風を超し、且(か)つ、累次(るいじ)の戦勝は僑慢(きょうまん)の心を唆(そそのか)したり、徒に(いたずらに)自国の優越に酔(よ)いて、国際精神を希薄(きはく)ならしめたるは否むへきにあらす。剰(あますさ)へ、封建の遺風ありて君民の間を遮(さえぎ)り、言論の暢達(ちょうたつ)を妨げて、遂に国策を誤るに至りたる痛恨措(お)く能(あた)はざる處(ところ)なり。

 

会得し、君民一体の賓をけて国体の精華(せいか)を発揮すべきは云(い)うを俟(ま)たす。以って、民意の暢達を遺憾ながらしめ、我が国が自由、平等、公正の精神横溢(おういつ)せる道義的立憲国として信を列国の間に恢復(かいふく)し、人類の平和と福祉とに寄興(きよ)し得むことは朕の念願止まさる處(ところ)なり。

 

汝臣民、宜しく真理を愛し、良心を明らかにし、責任感を固くし、自他の人格を尊重し、寛容を持って一切の自由を確保し、大和以って協同の賓を学けて内は文化、政治、社会、経済における凡ゆる機会を均しくしてその楽を分ち、外列国との友誼(ゆうぎ)を篤(あつ)くし、之と協力して永く

 

 

参考図書

「国敗れてマッカーサー」西鋭夫著