台湾の白色テロと同じことをしている、中共軍による香港大虐殺 | 誇りが育つ日本の歴史

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台湾の白色テロと同じことをしている、中共軍による香港大虐殺

 

 

香港で無防備の学生達が、中共軍(人民解放軍)により、テロを受けています。

 

なぜ、中共軍(人民解放軍)は、同じ自国民であるはずの無防備な学生達を、容赦無く殺していくのでしょうか?

 

昭和20年8月15日終戦。

 

この日から台湾に住んでいた約50万人の日本人たちが、一斉に内地(日本本土)に帰って行きました。

 

なぜ台湾に住んでいた日本人たちは、終戦後も台湾に住み続けることができずに、帰らなければならなかったのでしょうか?

 

連合国は、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏した時点で、本州、四国、九州、北海道の4島だけに日本人が住むことを許しました。

 

したがって、それまで満州、朝鮮半島、台湾、中国大陸、樺太、千島列島に住んでいた民間の日本人たちは、一斉に日本本土に向けて引き上げていったのです。

 

もちろん武装解除した日本兵たちもです。

 

これらの地域では、日本人たちが引き上げていったあと、誰が統治したのでしょうか?

 

朝鮮半島は38度線を境にして、南を米国、北をソ連軍が統治し、満州は一旦、ソ連軍が統治したあと、毛沢東の中国共産党軍に移譲。樺太と千島列島はソ連軍が統治しました。

 

では台湾は、どこの国が統治したのでしょうか?

 

日本軍が武装解除した後、蒋介石の国民党軍に台湾が明け渡され、昭和20年(1945年)10月17日、約1万2,000人の兵士と官吏200人が台湾島に上陸。

 

10月25日、「光復」(日本からの解放)を祝う式典を行って、台湾を統治し始めました。

 

翌11月から、毛沢東の中国共産党軍と蒋介石の国民党軍が戦闘を再開。(国共内戦)

 

中国大陸は内戦状態になりましたが、満州を支配下においた共産党軍が連戦連勝。

 

また、米国のバックアップもなくなってしまった蒋介石の国民党軍は総崩れして、昭和24年(1949年)10月、台湾に避難。

 

そのまま、国民党軍(中華民国政府)が、台湾を統治することとなりました。

 

台湾に上陸した国民党軍の兵隊達は、台湾人が歓迎して沿道で見守る中、主要道路を行進しました。

 

その国民党軍の兵隊たちを、歓迎しようと沿道でみた台湾人の中に、後に台湾総統となる李登輝がいました。

 

彼は、このときの感想を一言で次のようにのべました。

 

「番犬が去って、豚が来た」と。

 

番犬とは日本軍のこと。日本軍の規律は世界でも一番の厳しさ、また、日本人は法律を守ることに非常に厳しかったので、「番犬」と例えたのです。

 

一方、国民党軍は、軍規も緩く、腐敗しきっていました。

 

それは、兵隊の行進する姿をみれば、一目瞭然。

 

そのような腐敗し切った国民党軍を「ぶた」と例えたのです。

 

国民党軍が台湾を統治するようになってから、どのようなことをしたのでしょうか?

 

まず、日本統治時代に作られた建物を、かたっぱしから破壊していきました。

 

神社仏閣を始め、ありとあらゆるものをです。

 

建物だけではあきたらず、日本統治時代、日本内地の東京や京都や大阪などの帝国大学で学んだインテリ層の人間も、消して行きました。

 

どうやって消していったかというと、虐殺です。

 

昭和22年(1947年)2月27日、台北市で闇たばこを販売していた女性(本省人)に対して、官憲(国民党)が、女性を銃剣の柄で殴打し、商品および所持金を没収しました。

 

翌日の2月28日、この事に対して、一般市民が市庁舎に向ってデモを行い、激しく抗議。

 

なぜ、本省人の人たちは、激しく抗議デモをおこなったのでしょうか?

 

国民党軍が台湾にきて以来、元々台湾に住んでいた人たち(本省人)と、戦後に中国大陸からきた国民党の人たち(外省人)との間で、対立感情がありました。

 

日本統治時代は、台湾帝国大学も創設されたり、小中の学校教育も充実して、インフラも整備されたので、台湾の経済は、日本内地の東京市と同じくらいの高い水準でした。

 

また、夜も家の窓を開けっ放しで寝ても安全なほど、治安がよかったのです。

 

しかし、国民党軍が台湾にきてからは、治安が悪化していき、役人の著しい汚職、軍人・兵士などによる狼藉、さらに著しいインフレーションになり、倒産企業が相次ぎ、台湾経済は大混乱になりました。

 

日本の統治を体験した台湾人たちは、汚職まみれの国民党政権にに対する不満が、爆発寸前だったのです。

 

そのような背景のもと、この228事件は、両者の対立感情が一気に噴き出した事件でした。

 

デモ隊に対して、市庁舎の屋上から国民党の憲兵が機銃掃射。

多くの丸腰の市民達が虐殺されていきました。(228事件)

 

これをきっかけにして抗議デモが、台湾全土に広がっていきました。

 

収集がつかなくなってしまった、台湾行政長官の陳儀は、この時まだ大陸にいた蒋介石に、次のように打電。

 

「政治的な野望を持っている台湾人が大台湾主義を唱え、台湾人による台湾自治を訴えている」

 

「台湾人が反乱を起こした」

 

「台湾の独立を企てた反逆行為を行なっている」と。

 

蒋介石は、この電報を受けて、翌3月、第21師団と憲兵隊を大陸から台湾に派遣。

 

国民党軍は、台湾の各都市に厳戒令を発令して、武力により徹底的に鎮圧していきました。

 

特に、裁判官や医師や弁護士、教師など、日本統治下で帝国大学などで高等教育を受けてきたインテリ層を中心に、逮捕、投獄、拷問の後、虐殺。

 

国民党軍は、北京語を上手く話せない本省人を全て逮捕し、針金を手に刺し込んで縛って束ねて「粽(チマキ)」と称してトラックに載せて、そのまま港に投げ込んだりしました。

 

約3万人の本省人の市民が虐殺されていきました。

 

 

この時期の本省人は、厳密に言うと日本人でした。

 

昭和26年(1951年)9月8日、サンフランシスコ講和条件に日本が署名した時点で、日本は正式に台湾の権利、権限、及び請求権を放棄しました。

 

したがって、それまでの台湾は日本に権利、権限があり、日本統治時代から台湾に住んでいた人達は、日本国籍だったのです。

 

つまり、228事件に端を発した、国民党軍による白色テロの犠牲者は、この時までは、日本人が虐殺されたわけです。

 

なぜ、中共軍(人民解放軍)や国民党軍は、同じ国民であるはずの一般市民を、平気で虐殺するのでしょうか?

 

中国の歴代皇帝は、大陸を武力で支配すると、土地や建物、地下資源はすべて皇帝の所有物として認識しました。

 

物的資源だけでなく人的資源もです。

 

つまり中国大陸の上で生活している人民もすべて、皇帝の所有物として認識してました。

 

国民が支配者の所有物ってどういうこと?

 

と、あなたは思うかもしれません。

 

日本人の感覚では理解できないかもしれませんが、歴代の中国皇帝は、土地建物など物的資源だけでなく、その土地の上で生きている人間も自分の所有物として認識していたのです。

 

このような統治を「うしはく」といいます。

 

「うしはく」の統治では、支配者に逆らったものは、容赦無く捕まり消されます。

 

特に中国では、反革命分子というレッテルを貼り、人間扱いをしません。

 

なので、同じ国民、同じ民族であるはずなのに、平気で虐殺していくのです。

 

まるで、家畜のように。

 

ご主人様にさからった家畜は、容赦無く虐殺。

 

ご主人様に従順でしっぽをふっていたら、それなりに生かしてくれる。

 

それが、「うしはく」統治。

 

一方、日本の歴代の統治者は、どのように統治していったのでしょうか?

 

武力で天下統一した武将が、日本の統治者と思うかもしれませんが、その武将に征夷大将軍の位を与えてた天皇が、日本国の最高権力者になります。

 

では、その歴代天皇は、どのように日本を治めていたかというと、国民のことを大御宝(おおみたから)として、治めていました。

 

このような統治を「しらす」といいます。

 

大御宝(おおみたから)とは、国民は宝である。その宝である国民の生活が平和で豊かになってほしい、と常に祈っていました。

 

いまでも祈っています。

 

日本国民だけでなく、世界の国々の人々の平和と繁栄を、天皇は祈ってくれているのです。

 

皇恩に感謝。

 

そして、この宝である国民から信任が得られないようになったら、いつでも、天皇という役目を終える。

 

そういう立場で、日本を統治してきました。

 

このような「しらす」統治をしてきた国家は世界の歴史上、日本を除き、存在しません。

 

ですので、天皇のことについて、中国人はもちろん欧米人も理解できません。

 

せいぜい、「英国の王室と同じじゃないの」、程度の認識です。

 

英国の王室も他のヨーロッパ諸国の王室貴族達もすべて、「うしはく」統治してきました。

 

日本の天皇のような、「しらす」統治ではありません。

 

昭和24年(1949年)5月19日、国民党は改めて台湾全土に厳戒令を敷き、その後も継続してインテリ層を中心に徹底的に弾圧していき、逮捕、投獄、そして処刑していきました。(白色テロ)

 

この戒厳令が解除されたのは、なんと38年間後の昭和62年(1987年)でした。

 

台湾での白色テロが終ってから32年後の令和元年(2019年)、舞台は香港。

 

大学生を中心としたインテリ層を中心に、香港警察や機動隊を装った中共軍(人民解放軍)が、狙い撃ちしています。

 

台湾から香港に舞台を移し、今度は中共軍(人民解放軍)により、白色テロが起きています。

 

香港大虐殺。

 

そんな歴史的事実が起きないように祈ります。

 

参考画像

228事件