天安門大虐殺 | 誇りが育つ日本の歴史

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自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

天安門大虐殺

 

香港で大虐殺が起きようとしてますが、実は、今から30年前に、北京市内の天安門広場で同じような大虐殺がありました。

 

この事を知っている中国人民はあまりいません。

 

なぜなら、中共が、中国人民に対して、インターネットなど情報統制を厳格に行っているからです。

 

天安門大虐殺とは、どのように起きたのでしょうか?

 

1985年、ゴルバチョフが、ソ連の共産党書記長に就任。

 

彼は、ペレストロイカをスローガンに、ソ連政府の改革を実行していきました。

 

それまでのソ連国内では、宗教の自由や言論の自由が許されていませんでしたので、政府内部は腐敗しきっていました。

 

崩壊寸前まで進行していた、汚職腐敗まみれのソ連を立て直すため、ゴルバチョフが実行していったのは、”民主化”(ペレストロイカ)政策だったのです。

 

翌年の1986年、中国共産党の総書記に胡耀邦が就任。

 

胡耀邦総書記は、ゴルバチョフが推進していた民主化(ペレストロイカ)を見習い、共産国でありながら”言論の自由と民主化”政策を提唱。

 

この胡耀邦総書記の民主化の提唱には、学生やインテリ層を中心に、中国人民から支持されました。

 

汚職腐敗まみれの中共を立て直してくれるのは、胡耀邦総書記しかいない、と。

 

しかし、この民主化の動きをよく思わない勢力がありました。

 

当時、中共のトップだった鄧小平と保守派の長老たちです。

 

しばらくして、胡耀邦総書記は失脚。

 

平成元年(1989年)4月15日,胡耀邦元党総書記が死亡。

 

学生達やインテリ層達は、失望してしまいました。

 

胡耀邦総書記の謎の死から間も無く、学生達が次第に自然発生的に、天安門広場に集まってきました。

 

 

その数は日に日に増えていき、広大な天安門広場を埋め尽くすほどになり、ついに10万人に。

 

なぜ多くの学生たちは、天安門広場に集まったのでしょうか?

 

学生達は、中共政府の民主化を求めてデモをしていたのです。

 

北京市内の交通網も麻痺。

 

そんな最中の5月15日、ゴルバチョフが訪中。

 

それまで対立していた、中国とソ連の関係改善と友好をアピールする目的でした。

 

その為の様々な歓迎式典が、北京で行われる予定でしたが、学生達による民主化デモの為に全て中止。

 

そして、ついに中共政府は信じられない行動をとりました。

 

中共は、この無防備な学生達の民主化要求に耳を傾けることなく、大虐殺を実行していったのです。

(天安門大虐殺)(六四事件)(Tiananmen Square massacre)

 

平成元年(1989年)6月4日、天安門広場(Tiananmen Square)に、人民解放軍が出動。

 

人民解放軍は戦車のキャタピラで、無防備の学生達を次々と轢き殺していきました。

 

一体、どれほどの人達が、天安門広場で虐殺されたのでしょうか?

 

以下は、当時、北京にいたアラン・ドナルド(Alan Donald)駐中国英国大使が、6月5日に英国に打電した極秘電文になります。

 

平成元年6月2日、楊尚昆(よう・しょうこん)共産党国家主席と鄧小平最高指導者は、内戦勃発の危機が迫っている(imminent)と考えて、

 

人民開放軍の39軍に2,3日以内に天安門広場に進軍するように指令。

 

6月3日の夜、既に、天安門広場に入っていた人民解放軍で瀋陽軍区の兵士の第1グループは、学生を一般の人から分離し、学生は1時間以内に天安門広場から退去するように指示。

 

 

その5分後、山西省の第27軍の装甲兵員輸送車(APC)が、学生と兵士に向けて無差別に発砲。

 

兵士は散弾銃を乱射。

 

生き残った約1000人の学生達は、逃げ道を案内されたが、そこで待ち伏せていた兵士により機関銃による機銃掃射を受けました。

 

装甲兵員輸送車(APC)は、瀋陽軍区(SMR)の兵士たちに追いついた。

 

学生たちは腕を組んで、装甲兵員輸送車(APC)の進軍に対抗しようとしたのですが、皆ひき殺されてしまいました。

 

そして、装甲兵員輸送車(APC)は、何度も何度もキャタピラで遺体を踏み潰して、”人間パイ”を作りました。

 

人間パイになった学生達の遺体を、ブルドーザーが集めていきました。

 

遺体は焼却されて、ホースで排水溝に流されました。

 

負傷した女子学生4人が命乞いをしたのですが、軍人に銃剣で刺されてしまいました。

 

中国当局は、山西省の第27軍を最も信用しているので、天安門広場に第27軍を送り込んだと思われる。

 

以上、アラン・ドナルド駐中国英国大使の極秘電文から引用。

 

6月末、中国共産党は、”北京市内で起きた「反革命暴動」を鎮圧し、市民200人と治安部隊数十人が死亡した”と発表。

 

その後、死者数は数百人~1000人以上と、様々に推計されていましたが、

 

中国共産党は、厳しい情報統制を敷いているので、事件の真相はいまだに明らかになっていません。

 

2017年10月に情報公開された、ロンドンの英国立公文書館に保管されている、アラン・ドナルド(駐中国英国大使)からの報告では、

 

中国人民解放軍が殺害した学生の人数は少なくとも1万人に上るとありました。

(Minimum estimate of civilian dead 10,000)

 

アラン・ドナルド大使は、「中国国務院委員を務める親しい友人から聞いた情報を伝えてきた」とし、「事実と憶測と噂を慎重に区別」した人物から入手した数字だと説明。

 

ちなみに中国国務院とは、内閣に相当 します。

 

事件当時、軍隊の出動を命じたのは、”改革開放”のスローガンで有名な、鄧小平最高指導者でした。

 

鄧小平最高指導者が進めた”改革開放”により、松下電器など多くの日本企業が中国に進出していきました。

 

また、欧米諸国からも積極的に外資を受け入れることにより、中国は経済発展をしてきました。

 

しかし、天安門大虐殺をきっかけにして、欧米諸国は経済制裁を実施。

 

そのため、成長率が急激に伸びはじめていた中国経済は、大打撃を受けました。

 

 

その時、ある国が、無防備な民主化運動をしていた学生達を大虐殺した中共に、救いの手を差し伸べました。

 

その奇特な国とは、なんと日本。

 

ODA(政府開発援助)という名目で、お金が干からびてしまった中共政府に、莫大な資金を提供したのです。

 

ちなみに、日本政府が中共に貢いだ、その莫大な資金の源は、全て日本国民の税金です。

 

さらに、この時の日本政府は、1992年、天皇陛下の訪中まで設定してしまったのです。

 

これには、世界が仰天。

 

この事により、中国は、再び、世界のひのき舞台に出ることができました。

 

なぜ、日本はこんな事をしてしまったのでしょうか?

 

1993年にNHKの”クローズアップ現代”、という番組で、天安門大虐殺について放送しました。

 

その番組の中で、天安門事件で犠牲者は一人も出なかった、と結論を述べてました。

 

“中共を世界から孤立させてはならない”,と、日本政府は、中共に莫大な資金を貢いだのです。

 

まるで、イソップ童話の”風と太陽”の物語で、太陽役を日本が演じたようです。

 

その一方で、中共政府は、この天安門大虐殺を隠蔽しようとしました。

 

隠蔽工作のために使った人物は、アイリス・チャン。

 

彼女は作家として名声を得たいと思っていたのですが、中共政府からある事について書くように依頼が来ました。

 

そのある事とは、南京大虐殺。

 

彼女は、中共政府からもらった資料を元に執筆。

 

“レイプ オブ 南京”というタイトルで、中共政府の強力なバックアップのおかげで、世界的ベストセラーとなりました。

 

なぜ、天安門大虐殺を隠蔽するために、南京大虐殺というプロバガンダが利用されたの?

 

と、あなたは疑問に思うかもしれません。

 

アイリス・チャンは、次のように述べていました。

 

“天安門事件がきっかけで、南京大虐殺の問題がでてきた。”と。

 

 

中共の狙いは、日本を貶める事で、天安門大虐殺の負の遺産を打ち消す事だったのです。

 

世界から避難を受けて孤立しているところを、助けてくれた日本。

 

資金難で困っているところを、救ってくれた日本。

 

天皇陛下と謁見することで、世界に良いイメージを与える機会を与えてくれた日本。

 

そんな救世主である日本を、中共は、南京大虐殺という、事実無根のプロバガンダ(戦時中、敵を貶めるための宣伝)を世界的に展開して、日本を貶めていったのです。

 

恩を仇で返す。

 

これは中共の得意技。

 

今年は、天安門大虐殺が起きた1989年(平成元年)から30年後の2019年(令和元年)。

 

舞台は、北京の天安門広場から香港。

 

いま、再び大虐殺が起きようとしています。

 

中共のターゲットは、今回も無防備な学生達。

 

すでに中共政府は、香港大虐殺の後、世界的な避難と経済制裁を受けることを覚悟しているのでしょう。

 

なぜなら、かつて資金難に陥っていたとき、貢いでくれた日本に、また頼ろうとしてるからです。

 

ちなみに、中共の幹部達は、今まで、香港に資金を蓄えてましたが、近年、香港からシンガポールに資金移動していきました。

 

その中共幹部達が資金移動した、シンガポールの外貨預金口座の金額は、6月から8月までの間で40億ドル、過去1年間で164億ドルもの巨額にのぼります。

(ゴールドマンサックス調べ)。

 

情報をいち早くキャッチする中共幹部達。

 

その中共幹部達が、人民元を香港に蓄えていたら危ないと、香港からシンガポールに巨額の資金移動をしていたのです。

 

また、中共政府は、国賓として天皇陛下と謁見することで、世界に良いイメージをアピールすることができる、と計算しているのでしょう。

 

さらに、香港大虐殺を隠蔽するために、また、南京大虐殺という事実無根のプロバガンダを、世界展開することも計画しているのかもしれません。

 

 

参考図書

「64機密文書」香港01