北方領土は4島返還です。2島返還はあり得ません
日本の保守政党の中では、北方領土4島の返還を要求すべきか、2島返還で妥協すべきかと意見が分かれています。
北方4島は日本の固有の領土であり、歴史的に見ても日本以外の国が主権を持った事実がありません。
サンフランシスコ講和条約において、日本は、南樺太と千島列島の領有権を放棄しました。
北方4島は千島列島に属するのかどうかという議論もありますが、どちらにしても、この講和条約に当時のソ連は著名しておりません。
つまり、国際法上では、北方4島の領有権は日本に属しているのです。さらに、南樺太の主権もロシアにはありません。
南樺太は、どの国にも属していない空白地帯なのです。
ロシアは、不法に南樺太と北方4島を占拠し続けていることになります。
なぜ、ソ連は、不法に南樺太と北方4島を占領し続けているのでしょうか?
昭和19年(1944年)2月4日から11日まで、クリミア半島のヤルタにおいてルーズベルト米国大統領とスターリン(ソ連)とチャーチル(英国)が会談しました。(ヤルタ会談)
その際、ソ連の日本への参戦と、満州の主権は中国(蒋介石政権)が保持すること、南樺太と千島列島の領土はソ連に引き渡されること、などがルーズベルトとチャーチル、スターリンとの間で密約されました。(ヤルタ協定)
ソ連軍は、このヤルタ協定に従い、昭和20年8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄して、満州、外蒙古、南樺太、千島列島を侵略して占領しました。
ロシアは、次のように主張し続けています。これは、ルーズベルトとチャーチルと密約したヤルタ協定に従った、正当な行為である、と。
しかし、ルーズベルト大統領がスターリンと交わした密約については、事前に米国議会の承認を得ているわけではなく、当時の政権中枢にいたものでさえしらされていない話でした。
終戦後、日本にやってきた占領軍の司令官、マッカーサーも知りませんでした。
この事実を知っていたのは、ルーズベルトの側近中の側近である、アルジャー・ヒスなど数人だけでした。
1995年、アメリカの国家安全保障局が、ソ連軍の暗号文(ヴェノナ文書)を解読し公開しましたが、その中で、アルジャー・ヒスは、コミンテルンのスパイであったということが明らかとされました。
また、日米開戦が始まる前の昭和13年(1938年)7月、ニューヨーク総領事であった若杉要は、宇垣一成外務大臣に対して次のような機密文書を送りました。
「アメリカ共産党(コミンテルンのスパイ)の真の狙いは、日米関係を悪化させてシナ事変を長期化させて、日本がソ連に対して軍事的圧力を加えることができないようにすることであります。
(ルーズベルトの反日政策の背後には、アメリカ共産党員がいることを指摘して)、共産党による日米分断策動にのらないようにすべきである」と。
日本の外交官は、すでにルーズベルト政権の中枢、特に民主党内に共産党員がスパイとして暗躍していることを掴んでいました。
当時の米国の指導者、ルーズベルト大統領は、ソ連のスパイ達の意向に従って米軍を動かしていたのです。
1952年3月20日、サンフランシスコ講和条約の批准を承認する際、米国の上院議会は、「南樺太及びこれに近接する島々、千島列島、色丹島、歯舞群島及びその他の領土、権利、権益を、ソ連の利益のために、サンフランシスコ講和条約を曲解し、これらの権利、権限及び権益をソ連に引き渡すことを、この条約は含んでいない」との決議宣言を行いました。
1953年、アイゼンハワー大統領は、年頭の一般教書演説において「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言。
また、1956年、アイゼンハワー政権は、次のような国務省声明を発表しました。
「(ソ連による北方領土占有を含む)ヤルタ協定は、ルーズベルト個人の文書であり、米国政府の公式文書ではなく無効である」と。
2004年、ブッシュ大統領は、アメリカ保守主義同盟40周年大会の記念講演で、ルーズベルトの側近アルジャー・ヒス(ソ連のスパイ)らを告発した『タイム・マガジン』記者のチェンバースを、アメリカ保守主義のリーダーとして高く評価。
2005年、ブッシュ大統領(息子)は、ラトビアで演説した際、ヤルタ協定は史上最大の過ちの一つだと強く非難。
米国政府が、無効であり最大の過ちであったとしたヤルタ協定。
コミンテルンのスパイを信頼して、側近においていたルーズベルト大統領は、ソ連の利益が最大限になるように、戦後の新しい世界秩序を作りました。
その世界秩序を作るための大きな役割を果たしたのが、ヤルタ協定だったのです。
日本は、いまだにヤルタ協定に従った世界秩序から、抜け出すことができずにいます。
北方領土は、4島ともに日本の固有の領土です。
2島返還で妥協するのではなく南樺太の返還要求をしてから、その後、妥協して4島返還で合意する。
それぐらいの外交交渉をしてほしいです。