治癒率100%のガン治療が抹殺されました | 誇りが育つ日本の歴史

誇りが育つ日本の歴史

日本では自殺者が増え続けています。
自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

治癒率100%のガン治療が抹殺されました

 

現代では、2人に1人はがんになるといわれています。死亡原因の1位もガンです。また、医療費も毎年1兆円規模で増え続けています。

 

ガンは完全に治る病気、ガンは怖くない病気、という時代は、いったいいつになったらくるのでしょうか?

 

実は、今から80年以上も昔、末期がんの患者さんが100%治ってしまったという、奇跡のような治療法が開発されていたのです。

 

1920 年、ロイヤル・レイモンド・ライフ博士(Royal Raymond Rife)は、 人間にがんを作るウイルスを発見。 正常な細胞をがん化させる研究を 2 万回以上も試みました。

 

さらにこの微生物の培養液から 、400 種類もの腫瘍を作りだすことにも成功しました。

 

そして、これらの過程をすべてフィルムや写真に収め、その詳細にいたるまで記録に残していきました。

 

1929 年、新聞に「ライフ博士が開発した顕微鏡で、ウイルスの生態の観察に成功した」いう見出しで記事が掲載されました。

 

その新聞記事をみたミルバンク・ジョンソン博士は、友人からの依頼もありライフ研究所を訪問してライフ博士の協力者となりました。

 

また、アーサー・ケンダル博士も、ウイルスを培養して、生きたまま観察できる培養液(K- medium) を開発し、ライフ博士と共同研究をはじめました。

 

バージニア・リビングストン博士は、ニュージャージ 州からライフ博士の研究所のある米国サンディエゴに引っ越して、頻繁にライフ博士の研究所を訪れました。

 

1931 年 11 月 20 日、ミルバンク・ジョンソン博士の主催で晩餐会が催され、米国内で最も尊敬される医学界の権威、 44 人が集まりました。

 

そして、ライフ博士とアーサー・ケンダル博士の2人を「ウイルスを培養し、生きたまま観察できることに成功した」共同研究の功績をお祝いました。

 

1934 年、南カリフォルニア大学は、ライフ博士のがん治療を行うための特別医療研究チームを作りました。

 

そして、カリフォルニア州パサデナ郡立病院において、ミルバンク・ジョンソン博士が治療している末期がん患者を対象にして、ライフ博士のがん治療を行いました。

 

ライフ博士のがん治療をはじめてから3ヶ月後に、86.5 %の末期がん患者が完全に治癒し、さらにその4 週間後には、残りの 13.5 %の末期ガン患者が完治したと報告しました。

 

つまり、ライフ博士のがん治療による治癒率は、100 %だったのです。

 

そのような驚くべき治療法が開発されたのですが、その治療法が全世界に普及してしまうことを最も恐れた人物がいましたた。

 

米国医師会(American Medical Association)(AMA)の理事長であり、医師会のすべての株を所有していたモーリス・フィッシュベイン氏です。

 

1934 年 、彼は、ライフ博士の治療法の独占権を売ってほしいと要求。

 

ライフ博士はその要求を拒否。

 

医薬品業界は、副作用も治療費用もほとんどかからずに末期がんを 100 %完治させてしまうという、奇跡のような治療法が世の中に流通してしまうことをも最も恐れました。

 

なぜ、医薬品業界はそれを最も恐れたのでしょうか?

 

医薬品業界は、巨大な利権です。

 

彼らは、他の業界のメーカーと同様に、物(薬)を売り利益を得ることを商売としています。その薬を全く使わずに、ガンが完全に治ってしまうとなると、多くの医薬品メーカーは大打撃をうけてしまいます。

 

そこで、ライフ博士の研究により、利権を侵されると感じたモーリス・フィッシュベイン氏は、薬を使わない代替医療に対して圧力をかけていったのです。

 

また、医薬品業界の背後には、世界の富を支配しているといわれる、ある大物人物がいました。彼は、石油王と呼ばれた男です。

 

医薬品と石油。一見すると何のつながりがあるのだろうと思いがちですが、実は西洋医学の薬というのは、石油から作られた化学合成物質なのです。

 

1938年5月6日付のイブニング・トリビューン紙には次のような大見出しで、ライフ博士の研究成果を述べた記事を掲載しました。

 

「サンディエゴ在住の科学者、恐怖の病原菌は光で破壊できると宣言」

 

小見出しには「医学界への福音」とありました。

 

ライフ博士は、 すべての物質と同様に、目には見えないレベルでウイルスもそれ独自の振動数で、振動していることに着目しました。そして、そのウイルスと共振する周波数の光を照射して、ウイルスをさらに振動させました。

 

微生物が、その構造的な形を維持するのに耐えきれなくなるまで照射レベルをさらに上げてやると、ウイルスの形は歪み、崩壊してしまうのです。

 

この周波数の光(致死反応振動数(MOR))は、ウイルス以外の周りの正常な細胞を破壊することはありませんでした。

 

全てのものは、その物質個有の振動数で振動しています。

 

ある一定の周波数の音をワイングラスにかけると、その音波の影響を受けてワイングラスは割れてしまいますが、他の物質は破壊されません。

 

物質にはそれぞれ固有の振動数があり、その固有の振動数に影響を与えるとピンポイントで破壊されてしまうのです。

 

ライフ博士は、ヘルペスや小児麻痺、脊髄膜炎、破傷風、インフルエンザなどのウイルスの病原菌を破壊する、特定の周波数を発見するために、寝る間を惜しんで研究に没頭していきました。

 

また、 電気を使用した治療法なので、実質的にわずかな電気代しかかからないため、治療費もたいへん安いものでした。

 

脱毛などの副作用に苦しんだりすることもなく、無事に家族の元にもどることができました。抗がん剤や放射線療法など、現在一般的に行われているがん治療に比べて、患者さんの負担は大幅に軽減されました。

 

当時の顕微鏡の倍率は、2,500倍が限界でした。2,500倍では、実際に病気を引き起こしているウイルスを見ることはできませんでした。

 

しかし、ライフ博士は、独学で 60,000 倍もの倍率を誇る光学顕微鏡を開発してしまいました。(ユニバーサルマイクロスコープ、Universal Microscope)

 

このユニバーサルマイクロスコープは、生きているウイルスを観察できました。ライフ博士は、生きたままウイルスを観察した世界初の人間となったのです。

 

また、ライフ博士は、「ビーム線」装置を発明しました。この「ビーム線」装置は、物質を構成している科学物質に対して、ある特定の周波数で共鳴エネルギーを与えることによって、病原体を弱体化または破壊することが可能であると報告しました。

 

ライフ博士の開発した、生きたままウイルスを観察できるユニバーサルマイクロスコープとビーム線装置により、多くの病原体となる細菌を駆除することができるようになったのです。

 

これは、人類史に残る画期的は発明でした。

 

しかし、ある日、ライフ博士の研究所(サンディエゴ)から、フィルムや写真や研究書類の多くが盗まれるという事件が起きました。

 

そして、ライフ博士の研究成果を生かすために設立された、バーネット研究所(ニュージャージー州)が放火されてしまいました。

 

ライフ博士は、失ったデータを復元するために苦労しましたが、再びライフ博士の研究所に誰かが侵入して、ユニバーサルマイクロスコープが破壊されてしまい、 5682点の部品が盗まれてしまいました。

 

当時はパソコンなど無い時代です。バックアップデータを取っておくことなど、簡単にはできないことでした。

 

そして、ライフ博士の研究所は、警察から令状なしに捜索を受けて、50年かけて蓄積してきた資料のすべてが、没収されてしまいました。

 

ライフ博士が、命をかけて研究に没頭して画期的な発明をして、きちんと整理整頓して残していた研究成果のすべてが、何者かの指示によって闇に葬られてしまったのです。

 

1939 年、フィリップ・ホイランド氏は、ある人物から依頼されて、ライフ博士の周波数治療器を製造していた唯一の会社である、ビームレイ・コーポレーション社を訴えました。

 

結果的に、ホイランド氏は敗訴しましたが、ビームレイ・コーポレーション社は、莫大な訴訟費用の負担に耐えられずに倒産してしまいました。

 

世界で唯一、ライフ博士の開発した治療器具を生産していた、ビームレイ・コーポレーション社が倒産したことにより、世の中にライフ博士の開発した治療器具を流通させることが、できなくなってしまいました。

 

米国で出版されている医学雑誌は、 ライフ博士の研究成果について掲載されることはありません。なぜなら、医学雑誌は、製薬会社の広告収入によって経営を維持しており、AMAの支配下にあるためです。

 

よって、大学の医学部で学ぶ学生のほとんどは、ライフ博士の研究成果について全く学ぶことなく、医者になっていきました。

 

また、かつてライフ博士と共同研究を行ったバージニア・リビングストン博士やミルバンク・ジョンソン博士、アーサー・ケンダル博士や、その功績を称賛していた多くの医師たちは、皆、ライフ博士の研究について口を閉ざしてしまいました。

 

ノースウェスタン大学医学部の理事であったアーサー・ケンダル(Arthur Kendall)博士は、約25億ドルを受けとり、メキシコに引退。

 

ライフ博士の研究に協力してきたDr. George Dockは、AMAが与えることができる最高の栄誉と巨額の助成金を受取ることと引き換えに、ライフ博士の研究成果について一切話しませんでした。

 

1950年、ライフ博士は、AMAや公衆衛生局、医薬品業界などが、同僚を洗脳して脅かしていたと主張。しかし、科学的な根拠がないとして、ライフ博士の主張は拒否されて、非難されてしまいました。

 

1971 年8月5日、ライフ博士は、精神安定剤とアルコールの過剰摂取により死亡。 83 歳でした。

 

ライフ博士が、癌を完全に治癒するのに成功した人類史に残る輝かしい業績は、米国医師会(American Medical Association)(AMA)の強力な陰謀によって、すべて抹殺されて闇に葬られてしまいました。

(「The Cancer Cure That Worked」Barry Lynes 1987年出版)

 

この本「The Cancer Cure That Worked」が出版された1987年以降、闇に葬られていたライフ博士の研究への関心が高まっていきました。そして、「Rife」という名前を付けた装置が、がんやAIDSなどの疾患の治療に効果がある、としていくつも販売されるようになりました。

 

その中には、がん治療に効果が疑問視されるものがあり、訴訟問題に発展してしまったものもありました。

 

ライフ博士は、自らが発明した治療器を使っていたため、不摂生な生活を過ごしていたにもかかわらず、83歳まで生きることができたといわれています。

 

ガンになったら、抗がん剤、放射線、手術、といった3大治療法が主流となっています。それ以外の代替療法もいろいろ試されており、それぞれ成果が出ているものもあります。しかし、末期がんが完全に治るという治療法はいまだに発見されていません。

 

巨大な利権を守る為に、がん治療の完全な治癒ができた画期的な発明を闇に葬ってしまった、米国医師会(AMA)理事長モーリス・フィッシュベイン氏。そして、その背後にいた世界の石油王。

 

2人に1人がガンになるといわれる時代。

 

もし、ライフ博士の治療法が世界中に普及していたら、抗がん剤や放射線治療などの副作用により、もだえ苦しむガン患者はいなくなり、その家族も含めて多くの人々が救われていたことでしょう。