第二次朝鮮戦争の危機 | 誇りが育つ日本の歴史

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第二次朝鮮戦争の危機

 

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かつて、北朝鮮の核開発を巡り、第二次朝鮮戦争の危機がありました。

 

ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党 国際担当書記は、次のように語りました。

 

「昭和33年(1958年)、平壌にある軍事工場を訪問した時、金日成は核戦争に備えるべきだ、と繰り返し語りました。

 

すでにその時から核兵器開発計画はあったのです。」

 

ソ連と核開発競争を繰り広げていた米国は、1960年代末、在韓米軍に核兵器を1000発実践配備していたと言われています。

 

「核兵器を持っていれば、韓国を脅かすことができます。核兵器は、朝鮮半島を統一するために、米国に対する抑止力になるのです。」

(ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党 国際担当書記)

 

昭和31年(1956年)7月、金日成がソ連を訪問。ソ連と金日成は、平和目的の原子力発電所開発における協定を結んでいました。

 

昭和38年(1963年)、後のニョンビョン核研究センターに、ソ連から原子力技術者が派遣されました。

 

その時、核兵器に必要なプルトニウムを抽出しにくい、軽水炉型原子炉の技術提供をしました。

 

建設責任者であったセルゲイ・コトロフは、次のように語りました。

 

「ニョンビョン核研究センターの存在は、北朝鮮でも極秘扱いでした。外部に情報が漏れないように厳重に注意がされていました。

 

ニョンビョンには、100人以上の朝鮮人核技術者が集められていました。

 

私たちは、原子炉の開発に必要な技術を、北朝鮮の技術者たちに教えました。」

 

昭和40年(1965年)、ソ連から派遣された核技術者たちは、ニョンビョンを去りましたが、ニョンビョンが核兵器開発の拠点になるとは想像していませんでした。

 

ドナルド・グレッグ元米国CIAアジア担当は次のように語りました。

 

「北朝鮮に関する諜報活動はあまりうまくいってませんでした。北朝鮮が何を考え、どんな技術を持っているのか、私たちは無知でした。」

 

昭和59年(1984年)、米国は、北朝鮮が核兵器に必要なプルトニウムを抽出することができる、黒鉛型原子炉を建設していることに気づきました。

 

「私たちは、ソ連が核兵器開発に必要な技術を、北朝鮮に教えたことを知っていました。NPT(核拡散防止条約)に加盟させるようにソ連に圧力をかけました。」

(ドナルド・グレッグ元米国CIA)

 

昭和59年(1984年)、ソ連から大使がやってきて、核兵器を大量に開発しているようだがやめたほうがいい、と度々忠告を受けました。

 

しかし、金日成の長男の金正日に伝えると、そんな忠告は無視しろ、と言われました。」

(ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党 国際担当書記)

 

平成2年(1990年)9月、シュワルナゼ元ソ連外相が平壌を訪問し、北朝鮮外相と会談。

 

この時の様子を、セルゲイ・タラセンコ元ソ連外相補佐官は次のように語りました。

 

「我々は核兵器開発を急ピッチで進めている。何が何でも核兵器を開発させてみせる。ソ連が韓国と国交を樹立するならば、我々も然るべき行動をとる、と彼らは言いました。」

 

ゴルバチョフ元ソ連大統領は、次のように語りました。

 

「北朝鮮の発言を、我々は真面目に受け取りませんでした。なぜなら、我々が外交姿勢を変え始めたことに対する、単なる感情的な反発だと思ったからです。

 

それ以外の何物でもありませんでした。」

 

ワジム・トカチェンコ元ソ連共産党中央委員会は、次のように語りました。

 

「我々は北朝鮮からの脅しを無視しました。彼らは、我々を攻撃するために核兵器を開発しているのではなかったからです。」

 

平成3年(1991年)9月、ブッシュ大統領は次のような声明を発表しました。

 

「米国は世界に配備した核兵器を全て撤去します。」

 

ベーカー元米国務長官は次のように語りました。

 

「私たちは、在韓米軍に配備していた核兵器を撤去すれば、北朝鮮がNPT(核拡散防止条約)に違反していると訴えやすく成ります。

 

さらに北朝鮮に、核兵器開発を進める口実を与えない目的もありました。」

 

平成3年(1991年)12月、ソ連崩壊。

 

平成4年(1992年)5月、北朝鮮はIAEA(国際原子力機構)の査察受け入れに合意したので、ニョンビョン核研究センターに査察が入りました。

 

その後、平成5年(1993年)、米韓合同軍事演習を行うと、北朝鮮は、突然NPTを脱退すると宣言しました。

 

それを受け、ワシントンで米朝高官協議が行われました。

 

強制査察を取りやめるならば、NPTを脱退するのを取りやめる、という北朝鮮の駆け引きに米国側は応じました。

 

平成5年(1993月)3月、南北実務者会談が開催されますが、その席で北朝鮮側は、「我々は戦争の準備はできている、ソウルを火の海にする。」と韓国側に発言。

 

韓国側代表は、「宣戦布告する気か」と応戦。

 

平成6年(1994年)、米国は在韓米軍に最新鋭の兵器を投入。それに対し、北朝鮮は、38度戦に軍を重点配備しました。

 

キム・ソンミン元朝鮮人民軍は語りました。

 

「あの時、全ての兵士は、長距離砲を発射する準備はできていました。命令が出ればすぐにソウルに向けて発砲する体制でした。」

 

1995年5月、北朝鮮は、プルトニウムを抽出する準備を開始。

 

これを受けて、ワシントンには政府高官が集まり、協議しました。

 

その時、クリントン政権下で、トニー元大統領補佐官は、在韓米軍を増強すべきであると主張しましたが、それでは戦争になると反対されました。

 

「我々は、ニョンビョン核研究センターを、ピンポイントで爆撃する計画をしていました。」

(ウイリアム・ペリー元国防長官)

 

ジェームス・レイニー駐韓大使は、米国の挑発に対して、北朝鮮はメンツとプライドをかけて戦争を仕掛けてくると考えていました。

 

そこで、カーター元大統領に、米国特使として金日成と会談してもらい、米国が戦争を望んでいないことを伝えようと要望しました。

 

平成6年(1994年)6月15日、元大統領のカーターが民間人として訪朝。

 

同時に、米国は、国連安保理に北朝鮮に対する経済制裁の決議案を提出。

 

北朝鮮は、「経済制裁はすなわち戦争である。戦争になれば容赦しない。」、と平壌ラジオで放送。米朝間の緊張が頂点に達しました。

 

韓国では、全国一斉に防空避難訓練が大規模で行われました。

 

米軍は2隻の空母と、30隻以上の軍艦を配備。一触即発の危機でした。

 

「もし、この時何もしなければ、北朝鮮に舐められると思いました。だから行動に出た方がいいと判断したのです。」

(ペリー元国防長官)

 

6月16日、ホワイトハウスにてクリントン大統領以下政府首脳が集まり、北朝鮮対策の協議していました。

 

在韓米軍に1万人規模の派兵を決定しようとしていた、まさにその時、平壌で金日成と会談していたカーター元大統領から電話が入りました。

 

「金日成が、核開発を凍結してもいいと言っている。」と。

 

その後、平壌からCNNのライブ中継が放送され、「金主席は、米朝協議が再開されれば、核問題は解決されると言っている。北朝鮮の提案を米国政府が受け入れることを期待する」と、ジミー・カーター元大統領は語りました。

 

北朝鮮の提案とは、軽水炉原発を建設し、その建設費用を日米韓で負担する。プルトニウム抽出可能な、黒鉛型原子炉を解体する代わりに、重油を無償提供する。米国が北朝鮮を核攻撃しない保証。

 

クリントン大統領は、この提案を受け入れたことにより、第二次朝鮮戦争の危機が回避されました。

 

金正日は、このような米国の譲歩に大喜びでした。なぜなら、何もしないで、軽水炉原発が手に入ったからです。しかも”タダ”で。

 

そして、翌月の平成6年(1994年)7月、金日成が死亡。

 

「1993年か94年か定かではありませんが、金日成がまだ生きている時、私は金正日から直接、次のようなことを聞きました。核兵器開発は終わった。その責任者を表彰する。」と。

(ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党 国際担当書記)

 

平成6年(1994年)10月、北朝鮮と米国は、米朝枠組み合意に調印しました。米国はこの時、北朝鮮がすでに核兵器開発に成功していたことを知らずにです。

 

「この米朝合意以降、核問題については、金正日と姜錫柱との間で決められるようになりました。

 

軍需工業の担当書記が、平成8年(1996年)の夏か秋にやってきて、言いました。『問題は全て解決した、核兵器開発に必要なウランを共同開発する協定を、パキスタンと合意した。もうプルトニウムは必要なくなった』」と。

(ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党 国際担当書記)

 

北朝鮮は、米朝合意したにもかかわらず、核兵器開発を諦めることはしませんでした。

 

そして、カーター元大統領とクリントン元大統領のコンビによる、安易な妥協をした結果、北朝鮮に「いくら挑発しても米国は軍事攻撃をしてこない。そればかりか、軽水炉原発もプレゼントしてくれる。」という誤ったメッセージを与えてしまったのです。

 

参考

NHKスペシャル「ドキュメント北朝鮮」