オウム真理教は北朝鮮とつながっていた | 誇りが育つ日本の歴史

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オウム真理教は北朝鮮とつながっていた

かつて、オウム真理教による首都機能破壊計画がありました。

 

平成6年(1994年)6月27日、長野県松本市において死者8名、重軽傷者660人被害を出したサリン事件が発生。(松本サリン事件)

 

松本サリン事件における土壌と、すでに異臭事案が起きていた上九一色村のサティアンの土壌のサンプリングを、陸上自衛隊化学学校が調べると、同一のサリンであることが判明しました。

 

人工化学物質であるサリンは、人間の指紋が一人一人違うように、生成過程により微妙に化学組成が違います。

 

それが一致したと言うことは、松本サリン事件はオウムが実行犯であると言うことを意味します。

 

松本サリン事件はオウム真理教が行なったものである、という証拠資料を警察に提供しましたが、「オウム真理教には手を出すな」と言う指示が、国家公安委員会から特捜に出されました。

 

もし、この時に特捜が動いていたら、地下鉄サリン事件は未然に防げていたでしょう。

 

当時の金日成は、朝鮮半島を制圧する際に最大の障害となる、米軍の兵站基地である後方部隊(在日米軍基地)を叩くことを計画していました。

 

上九一色村のサティアンには、ドラム缶700本の薬剤と旧ソ連軍の軍用ヘリコプターがありました。

 

軍用ヘリコプターにてドラム缶1本を吊るして、東京上空からばらまくと、100万人が死亡するほどの破壊力を持っていました。

 

サリンを使って東京の首都機能を麻痺させたのち、北朝鮮のコマンド部隊1500名が、漁船に乗って秋田県能代湖を中心に潜入するという計画でした。

 

オウム真理教と北朝鮮はつながっていたのです。

 

警察の作戦会議が開かれました。

 

会議終了後、どのような事態を考えているのかと池田整治氏(当時、陸上自衛隊作戦参謀)が聞くと、警察の総指揮官は次のように答えました。

 

「最悪の場合、最初に封鎖に向かう機動隊員50人~150人が死ぬかも知れない。でも、我々はその上で泥縄的に対処するから」

 

「では、へりが飛び立ったら?」と聞くと、「その時に考える」という回答でした。

 

池田整治氏は、この時次のように覚悟を決めました。

 

「当事、陸上幕僚監部の作戦(運用)幕僚は、班長以下10名。

その10名で日本の防衛を考えていました。気持ちは黒田官兵衛です。

 

『へりが飛び立った時、どうするか・・』

 

上九一色村から都内までへりなら30分もかからないだろう。飛び立ったときに仮に警察から対処を依頼されても、物理的に間に合わない。

 

何よりも日本の首相がタイムリーに自衛隊に「出動命令」を出すことは望めない。因みに当事の首相は社会党の村山首相でした。

 

自衛隊は、知事の要請か、首相の命令がないと駐屯地から動けません。

 

しかし、100万人の国民の命にかかわる。そこで「ハラ」を決めました。

 

『飛び立ったら、直ちに陸上自衛隊の攻撃へりAH-1で撃墜する!』

 

その為の攻撃へりをあらかじめ近傍の駐屯地に準備する。民間へりを落としたと言うことで国民から非難があがるときは、この決定をした課長以下運用3人がハラを切って国民に詫びよう。」と。

 

平成7年3月19日夜、池田整治氏は妻に次のように言いました。

 

「明日から三日間は連絡も取れない。どこに行くかは言えないが、やがてテレビでわかるだろう。もし、四日目に連絡がなければ、俺のことはあきらめて三人の子供はよろしく頼む」

 

翌朝の3月20日、死者13名、負傷者約6300名という被害を出した、地下鉄サリン事件が発生。

 

警視庁は、3月22日に上九一色村のサティアンへ強制捜査を予定していましたが、その直前に捜査員を狙ったテロでした。

 

警察の情報はオウムに筒抜けだったのです。

 

5月16日、自衛隊と警察によりサティアンに捜査が入り、教団代表が逮捕されましたが、それまで、軍用ヘリが薬品を入れたドラム缶を吊るして東京に飛ぶことなく、大惨事は免れました。

 

参考

『地下鉄サリン事件20回忌』元自衛官 池田整治氏HPより