教育勅語の成り立ち 3 | 誇りが育つ日本の歴史

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日本では自殺者が増え続けています。
自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

 

 

教育勅語の成り立ち(続き)

 

天照大神は、鏡(三種の神器の一つ)を見ることで我が心を見ることとしなさい、と言いました。

 

そこに一切の私心は無い。ただひたすら国民の平安を願っている。それが天皇である。

 

井上毅(こわし)は、天皇の徳によって、日本は始まったのであるという事を、国学を学んでいくうちに理解していきました。

 

井上毅(こわし)は、明治憲法の草案の中で、その第一条に次のように書きました。

 

第一条

大日本帝国憲法は万世一系の天皇の”シラス”ところなり

 

”シラス”とは、天皇という最高権威の元で、君(天皇)と民(国民)とは一体であり、民を宝とする事で、民自身が権力者から自由を得るという統治形態を言います。

 

しかし、近代憲法を発布するにあたり、”シラス”という古語を用いるのはいかがなものかということになり、”シラス”が”統治す”という表現になりました。

 

明治憲法は、明治23年11月29日に発布されましたが、その前に、教育勅語についてまとめることになりました。

 

教育に関する勅語は、他の政治上の勅語とは異なるものである。

 

教育に関する勅語が発布されるにあたり、明治天皇から、これからこの考え方に従って生活をしていく事、と命令されるものと思われていました。

 

君主(天皇)が臣民(国民)の良心の自由に干渉せず。

 

これは政治上の命令では無い、天皇の著作広告でなければならない。

 

例えば、天皇は御歌を発表されます。これは命令ではありませんが、そこから天皇のお考えを知ることができます。

 

教育勅語は、そのようなものでなければならない、と。

 

また、教育に関する勅語を作成するにあたり、次のような条件を井上毅(こわし)自ら定めました。

 

1、この直後には天をうやまり、神を敬うという言葉を慎む事。

これを入れてしまうと、宗教宗派同士で争いが起こってしまうため。

 

1、哲学上の理論を避ける事。

このような文言を入れてしまうと、哲学者同士での争いになってしまう。

 

1、政治的なことを入れないこと。

政治上の言葉を入れてしまうと、これは天皇の言葉ではなく、山縣有朋の言葉ではないかと思われてしまうため。

 

1、見るからに儒教、明らかにキリスト教というような文章を書いてはいけない。

 

1、あれしてはいけない、これしてはいけない、というようなことを書いてはいけない。

 

1、明治天皇からのありがたいお言葉である、というような感激するような文章でなくてはならない。

 

1、長文であってはならない、凝縮された短い文章でなくてはならない。

 

1、天皇のお言葉にふさわしい文章でなくてはならない。

 

このような条件に従って、井上毅(こわし)は草案を作成し、明治天皇に御裁可を仰ぎます。

 

明治天皇は、井上毅(こわし)が作成した草案に対して、当時儒学者の権威であった元田永孚(もとだながざね)に相談します。

 

その後、井上毅(こわし)が作成した草案を元田永孚(もとだながざね)が添削し、その添削された文章を、さらに井上毅(こわし)が、再添削して、お互いに加筆訂正していきました。

 

元田永孚(もとだながざね)と井上毅(こわし)はお互いに儒学という共通思想が土台にあったとはいえ、必ずしも意見が一致していたわけではありませんでした。

 

井上毅(こわし)は元田永孚(もとだながざね)に次のような手紙を送りました。

 

「自説に固執するのは、人間の捨てがたい癖であります。固執心こそ悪魔です。ただただ国家のために考えましょう」、と。

 

元田永孚(もとだながざね)は「その通りです。」と返信します。

 

この二人がお互いを尊重しつつ、意見を出し合い、教育勅語の一字一句を精魂込めて磨いていったのです。

 

(参考図書:「教育勅語の真実」伊藤哲夫著 致知出版)