大東亜共同宣言を読めば、大東亜戦争が侵略戦争であったかどうかわかります。 | 誇りが育つ日本の歴史

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日本では自殺者が増え続けています。
自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

 

大東亜会議というものが昭和18年11月6日に東京で開催されました。

 

参加者は、東条英機(日本)、
自由インド仮政府(チャンドラ・ボーズ)、

 

インドはこの時期、まだイギリスから独立しておらず、独立を目指した亡命政府の代表として、チャンドラ・ボーズ氏が出席さレました。

 

タイ(ワンワイタヤーコーン親王(首相代理))、
ビルマ(バー・モウ内閣総理大臣)、
フィリピン(ホセ・ラウレル大統領)、
満州国(張景恵国務総理大臣)、
中華民国(汪兆銘南京政府)

 

その会議で、”大東亜共同宣言”というものが採択されました。
これは、昭和16年(1941年)8月9日から12日にかけておこなわれた太平洋会談において、チャーチルとルーズベルトが調印した、大西洋憲章を参考にして作成されました。

 

”大西洋憲章”とは、日米開戦前の時期に、終戦後の世界構想を定めるものでした。

 

特にこの検証の中で、「政府形態を選択する人民の権利」というものが規定されましたが、これは、あくまで東ヨーロッパの白色人種に対してのみ適用されるものであり、

 

イギリスがアジアやアフリカに所有している、植民地に対して適用されることをチャーチルは拒みました。ルーズベルトもこの検証は有色人種のためのものではないと側近に語っていました。

 

それに対し、”大東亜共同宣言”は以下の通りになります。

 

「世界各国が、民族毎に自分たちの土地を持ち、お互いにたすけあって、ともに国家として発展し、みんなで明るく楽しみをともにするためには、まず世界平和の確立がその根本です。

 

けれども米英は、自国の繁栄のためには、他国や他の民族を無理矢理押さえつけ、とくに東亜諸国に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、

 

東亜諸国の人々を奴隷するという野望をむきだしにし、ついには東亜諸国の安定そのものを覆(くつがえ)そうとしています。

 

つまり、東亜諸国の戦争の原因は、そこにその本質があるのです。
そこで東亜の各国は、手を取り合って大東亜戦争を戦い抜き、東亜諸国を米英の押さえつけから解放し、

 

その自存自衞をまっとうするために、次の綱領にもとづいて、大東亜を建設して世界の平和の確立に寄与したいと考えます。

 

1 東亜諸国は、協同して東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設します。

 

2 東亜諸国は、相互に自主独立を尊重し、互いに助け合い、東亜諸国の親睦を確立します。

 

3 東亜諸国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、東亜諸国それぞれの文化を高めあいます。

 

4 東亜諸国は、互いに緊密に連携することで、それぞれの国家の経済の発展を遂げるとともに、東亜諸国の繁栄を推進します。

 

5 東亜諸国は、世界各国との交流を深め、人種差別を撤廃し、互いによく文化を交流し、すすんで資源を解放して、世界の発展に貢献していきます。」

 

大東亜戦争前の世界秩序というものはどのようなものだったのでしょうか?

 

東南アジア諸国、今のASEAN加盟国は、ほぼ全て、米国、イギリス、フランス、オランダの植民地支配下に置かれていました。

つまり独立国家と認められていませんでした。

 

植民地支配の東南アジアの国々も、自分たちが白人国家に抵抗して独立できるとは思っていませんでした。

 

そのような時代背景において、日本が主催した大東亜会議において採択された”大東亜共同宣言”には、どのよな内容だったのでしょうか?

 

それは、「東亜諸国の繁栄を推進」「人種差別の撤廃」「自主独立を尊重」といった、植民地支配からの自主独立や有色人種が構成している東亜諸国の繁栄などを宣言したものであります。

 

以下は、大東亜会議に出席された、チャンドラ・ボーズ氏の演説になります。

 

「議長(東條首相)閣下、私が昨日及び本日、この大東亜会議の議事を傾聴している際、私の目の前には「パオラマ」のごとく世界の歴史が去来してきました。

 

私は過去100余年もの間、開催された数多くの国際会議を回想しました。そしてかつて私がインドの自由の叫びに耳を傾けてくれる者を求めて、幾日も虚しくさまよったことのある国際連盟の会議。

 

そして、その廊下やロビーを想起しました。

加えてさらにこの歴史的会議(大東亜会議)の議事を聞いていて、私はこの会議とかつて、世界史上に現れた類似の諸会議との間に、大きな差があることを思います。

 

議長閣下、本会議は、戦勝者間で行われる戦利品分割の会議ではないのです。

それは弱小国家の犠牲に供する、陰謀、謀略の会議でもなく、また弱小である隣国を騙そうとする会議でもないのです。

 

本会議は解放された諸国民の会議であり、正義、主権、国際関係における互恵主義、及び相互扶助等の原則に基づき、世界のこの地域に新秩序を創建しようとする会議です。

私はこのような原則に基づく会議が、日出ずる国(日本)にて開催されたことは、偶然ではないと考える者です。

 

そもそも世界が光明と指導とを東洋に求めたということは、これを持って初めてではないからです。

 

世界新秩序建設は、過去において、かつ他の地域において、何度も試みられてきましたが、全て失敗に終わりました。

 

それは新秩序創建の指導的立場に立つべきものに利己欲、強欲、及び猜疑心があったためです。

 

それゆえに、ここに世界が再び光明を東亜に仰がなければならないことになったのは、誠に当然の理であり、歴史的必然なのです。」

 

ボーズ氏は、
「本会議は、戦勝者間で行われる戦利品分割の会議ではないのです。」と言っています。

 

昭和18年11月6日の大東亜会議のあと、
昭和18年11月22日、カイロ会議が行われました。

 

この会議には、ルーズベルト(米国)、チャーチル(英国)、蒋介石(中国国民党)が参加しました。

 

日本の無条件降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中国への返還、朝鮮の自由と独立などに言及した宣言が出された。

 

昭和20年2月4日から11日、当時のソ連クリミア自治のヤルタ近郊で、ヤルタ会談が行われました。

 

ルーズベルト(米国)、チャーチル(イギリス)、スターリン(ソ連)が集まり、ドイツと日本の敗戦後、勝ち取った領土をどのように、山分けしようかと話し合われました。

 

ほとんど、スターリンの要求通り、満州、千島列島、南樺太がソ連の持分と決まりました。
 

そして、ドイツ降伏後の3ヶ月後に日本に参戦するという、参戦時期まで決まりました。

 

参戦した後に北方領土も、この時のルーズベルトとの約束に基づき、占領してしまいました。

 

なぜ、ルーズベルトはスターリンの要求をほぼ全て受け入れたのでしょうか?

 

ルーズベルトの側近に、アルジャーヒスとハリー・ホプキンスという人物がいました。彼らは、ヴェノナ(Venona)文書でソ連スパイであったことが明らかとなりました。

 

ヴェノナ(Venona)文書とは、第二次世界大戦中に米国陸軍が、ソ連(モスクワ)と米国内に潜伏していた共産党スパイたちとの暗号通信を傍受していて、それを記録した文書となります。

 

ルーズベルトは、ソ連スパイであるアルジャー・ヒスや、ハリー・ホプキンスを信頼して側近におき、その助言だけを聞き入れ、様々な決断をしていったのです。

 

 

その約束どおり、5月8日ドイツ降伏の3ヶ月後の8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄して、日本に宣戦布告。9日の午前0時に160万に上るソ連軍が満州と南樺太の国境を越えて怒涛のごとく侵略してきました。

 

9月2日ミズーリ号の艦上での降伏文書調印までの、たった24日間の参戦で、満州、千島列島、南樺太を日本からぶん取って行きました。

 

24日間と言っても、日本軍は8月10日にポツダム宣言を受諾する旨を連合国に打電し、8月15日に降伏して武装解除してましたので、数日間という極めて短期間に、広

大な領土をぶん取って行ったことになります。

 

ボーズ氏は、大東亜会議について次のように語りました。
 

「本会議は、戦勝者間で行われる戦利品分割の会議ではないのです。」と。

 

カイロ会談、ヤルタ会議など、連合国が戦利品の分け前を話し合った会議とは、全く次元が異なります。

 

また、つぎのように言っています。
 

「それは弱小国家の犠牲に供する、陰謀、謀略の会議でもなく、また弱小である隣国を騙そうとする会議でもないのです。」

 

このような”大東亜共同宣言”にある理想を元に日本は大東亜戦争を戦いました。

 

しかし、米国の小学生が学ぶ歴史教科書では次のように書かれています。

「日本では軍人の一派が権力の座につきました。ナチスがヨーロッパを支配するのを夢見たのと全く同じように、

 

この新しい軍事政権はアジアを統治したいと夢見ていました。1937年に日本人は中国を侵略したのです。

 

蒋介石率いる中国軍は強硬に抗戦しましたが、3年間の血なまぐさい戦争の後、1940年には日本は、中国東部をほとんど支配したのです。

 

ルーズベルトは強い懸念を持ち、日本はドイツと同じくらい危険な侵略国であると断じました。」(「アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書」ジェームス・M・バーダマン)

 

米国では多くの人が、日本はかつて侵略国家であったが、終戦後、GHQにより民主主義を教えたやったので、戦後の日本は平和民主国家となったという認識でいます。(「アメリカにはめられた日本」マックス・フォン・シュラー著)

 

しかし、戦前の日本は侵略国家であったという認識は、この”大東亜共同宣言”を読めば、”嘘(プロパガンダ)”であることが明らかになります。

 

現在、中国共産党は、ウイグル、チベット、モンゴルを植民地支配しています。そしてその少数民族を浄化(抹殺)する計画で、大量虐殺し続けています。

これは、決して日本のマスメディアでは報じられない、現在進行中の事実です。

 

東南アジア諸国を白人支配からの独立を支援した、かつての日本。
その一方で、アジア諸国を植民地支配して大量虐殺している中国共産党。

 

しかし、米国、日本、中国、韓国の学校では、「日本はかつて危険な侵略国家であって、その残虐な日本に対抗したかわいそうな中国」というように教えられているのです。